(ルチアーナ筆。)
楽聖ベートーヴェンに付いてあれこれ論評する事自体、今更甚だおこがましい事だと思う。50余年の生涯を余す事なく自らの音楽芸術の到達点を目指し奔走し孤高の峰を築くに至るその人生の葛藤は数々の逸話と共に今までも多くの音楽学者や著名な伝記などにより語られ尽くされた感があるからだ。そして今現在我々は彼がその生涯において残した人類の至宝とも言うべき諸作品に接して何を思うかと言えばそれはもう只々個々の作品の高き芸術性とそこに込められた彼の意思、哲学的主張と計り知れぬ程磨き上げられた壮大かつ美質に満ちたスケール感にひれ伏し感動にむせぶ思いを抱く事に尽きるのを思い知るだけと言う事である。特に彼の生涯の創作活動の核となる全9曲のシンホニーに耳を傾けると彼が年齢を重ねる毎に作られた一曲一曲が共にその内容に大きな変貌をきたし各々の創作時点での芸術的峰を高度に築いて行った事がはっきりと見て取れる。先輩格のハイドンやモーツアルトの影響を受けつつも独自の境地を切り開くきっかけとなった第1番C-dur。スマートで明るい躍動感満載の第2番D-dur。そして古典期のシンホニー形式の常識を遥かに超えた意欲的大作第3番「英雄」Es-dur。そしてこれを転機にベートーヴェンはこのジャンルにおけるありとあらゆる既成概念を打ち破り、その後、後世の作曲家達に範たる第4番以降の全てを音楽史に刻み込む名作の名を欲しいままに最晩年まで作り続けるのである。情緒豊かで爽やかさに満ちた四番シンホニーの後第5番C-moll【運命と呼ばれているが、このニックネームは日本だけ…!。】第6番「田園」F-dur、第7番A-dur、第8番F-dur。そして前代未聞の超大作第9番「合唱付き」D-moll。習作から徐々に作品精度が増した等と言う話ではない。彼のシンホニーは第1番から第9番までが大いなる芸術的主体である。駄作は只の一曲も無い。全ての作品に情熱的息吹がみなぎり聴く者を必ずや感動へと導く。彼は他ジャンルにも名作を限りなく残している。ピアノソナタ等はバッハの平均律クラヴィーア曲集と双璧とされるまさにピアノ曲のバイブルとも言うべき古今の最高傑作だ。しかし彼をコンポーザーとして又、一つの人格として我々が見据える時、最も端的にその偉大さを認識出来るのはまさにシンホニーなのだと私は確信している。折しも秋風が頬を伝う時期の到来である。あっと言う間に師走の足音が近づいて来た。そうなれば我が国では第9番【俗に第九】であろう。楽聖ベートーヴェンが築き上げた孤高の作品群、そのシンホニーの持つ創作理念と表現の理想そして信念はこの最後の作品に集約される。諸兄には申し上げておきたい。ベートーヴェンのシンホニー【交響曲】は全9曲を漏れなくお聴き頂きたい。好みがあっても当然。しかしそれは全曲をご鑑賞の上のご判断として頂きたいのだ。クラシック音楽は俗にベートーヴェンに始まりベートーヴェンに帰着すると言う。どうか諸兄もこの言い尽くされた俗言に一度お乗りになって頂けないだろうか!。そしてクラシックを聴くなら【やっぱりベートーヴェン。】だよな~。…っと一言、口にして頂ければ幸いである。