マゼール逝く…”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

世界的指揮者の一人で
我が国への来日も数多に及び
その特筆したバトンさばきで
我々を幾度となくその演奏に
寄って深い感動へと導いた
マエストロ、ロリン・マゼールが
亡くなった。84年の生涯で
あった。まさに彼は天才で
あった。何んと年齢的にはまだ
十代の前半だった頃から
既に指揮活動を開始し、
その生涯において、ひと時も
とどまる事なく米国、欧州、アジア
まさしく全てと言っても過言では
ない世界のあらゆる地域で
勢力的に指揮活動を展開したので
ある。昨今もミュンヘン・フィル
を率いて来日に矍鑠とした見事な
指揮ぶりを我々の眼前に繰り広げて
いたし、それに先駆けてN響へも
昨秋客演している。そうした
勢力的で果敢な演奏活動が
この様に急な形で終結を迎えるとは
誰が想像しただろう。
誠に残念至極である。
若き日の彼がベルリン・フィルを
振ったシューベルトの【未完成】の
録音など、私はレコード盤が
擦り減る程に聴いたものだし、
ミラノ・スカラ座の来日公演の際に
見聴した【トゥーランドット】での
ピット内でまるで精密機械の様に
性格無比に音楽を操る彼の姿に
天才の成せる技を垣間見た瞬間など
今、改めて思い返しても、その感動
が蘇るのを抑える事が出来ない。
考えてみればこの数年来、
20世紀の後半を
大きく支えた芸術家が数多く、
この世を去って行った。特に音楽界
では指揮者の訃報が目を引く。
コリン・ディビス。
ウォルフガング・サヴァリッシュ。
クラウディオ・アバド。
そして、今回のロリン・マゼールの
それである。私も長い音楽生活の
中で幾度となく名演奏と言われた
コンサートに遭遇して来たが
その感動をもたらしてくれた、殆ど
のアーティストが今やこの世の
人でない事に一抹の寂しさを
感じる事しきりである。
古くはエルネスト・アンセルメ。
ヨゼフ・カイルベルト。
カール・ベーム。
H・S・イッセルシュテット。
ヘルベルト・フォン・カラヤン。
こうした巨星の演奏を
私はリアルタイムで全て体験して
いる。…が故、尚の事、
寂しさがこみ上げて来るのである。
ロリン・マゼールの死は
まさに巨匠の時代の終焉を意味する
のかもしれない。そうだ!
ジュゼッペ・シノーポリも
カルロス・クライバーも既に
いないのであった。
何んと言う事だ!。
こうなれば、やはりマエストロ
小沢征爾とズビン・メータに
頼るしかないか?!。いや…、
そうだ!J・レヴァインもいる。
W・ゲルギエフだって健在だ。
そんな諸々の事を考えては、溜息を
ついたり、安堵してみたり。
こんな日が恐らくは
もう暫くは続くだろうに
違いない。
それだけロリン・マゼールの死が
与える動揺はクラシック音楽界に
取っては大きいと言う事
なのだ!。
(ルチアーナ筆。)