季節外れ?…の第九”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

我が国の年末の風物詩、
ベートーヴェンの交響曲第九番
「合唱付き」。毎年師走とも
なると何かに取り憑かれた様に
我が国ではこの第九”の演奏会が
ほぼ毎日の様に行われる。勿論
別々のオーケストラが日替りで、
だが出しているメニューは毎日同じ
と言うレストランなら、
とっくの昔につぶれてしまいそうな
話がである。しかしこれが恒例行事
みたいに戦後延々と続いて来た。
そう、いつの間にやら習慣化した
これは一大イベントなのだ。しかも
第九”のコンサートはオーケストラ
にとっては一番の稼ぎにもなる。
年に一度のお年玉コンサートと
言う事だ。「正月を控えてお年玉
とはおかしな話だが…。」要するに
それはそれで大いに結構であると
言う事。しかしまぁ~それほど、
杓子定規に旬の農作物を
食べたの食べなかったのと
騒ぐ様な話と同類項でも
あるまいし年末の慌ただしい時を
わざわざ選んで第九、第九と
騒ぐ必要も本来ない事だと私は
常々思っている。この習慣に
ついては先述で多少語ったと
記憶しているが、いずれにしても
これ日本だけの現象である事を
改めて申し述べておく。
私は手元に過去、行われた第九”の
演奏に付いてまさに極めつけと
言われる名演の数々の記録を
諸々の形で所持している。古くは
ワルター、フルトヴェングラー、
トスカニーニ。20世紀中期の
クリュイタンス、ベーム、
カイルベルト。カラヤンに至っては
最晩年に至る時期までの数種。
近年ではアッヴァード、小澤、
ラトル、ティーレマンetc。
これら孤高のマエストロ達は
第九”の演奏に関して特別な
思い入れを持って臨んでいる。
即ち、第九”と言うプログラムは
実の所やすやすと取り上げられる
様な部類の選択では本来ないのが
特に欧州などでは
通例となっている。そう、やはり
この作品は特別なのだ。世界最高の
実力評価に価するコンダクターしか
第九”の指揮をどのオーケストラも
依頼しない。そして滅多やたらに
演奏会にかかる事もない。
音楽史に輝くまさに金字塔。
頂点に君臨する最高の芸術作品。
これが第九”に与えられた栄誉で
ある。日一日と夏への
カウントダウンが始まっている
昨今、週末の穏やかさを
満喫しつつ、皆さん如何だろう!。
CDプレーヤーのターンテーブルに
第九”のディスクを
セットしてみては…。
日本の冬の風物詩。
ベートーヴェン作曲。
交響曲第九番.op125.D-moll。
「合唱付き」。
季節外れ?の今、深々と
ソファーに腰を下ろし、じっくり
鑑賞するのも一興である。
そんな風に私は思うのだが…。
(ルチアーナ筆。)

★明日から又、暫く筆を置かせて
頂く。勉強に集中する為だ。
ご容赦願いたい。
因みに明後日のEテレ。
クラシック音楽館、是非ご覧あれ
先週に引き続き
ネヴィル・マリナーの指揮を
堪能出来る。
しかもモーツァルトだ!。
心が浄化される事、
請け合いである。

★【怒りを込めてもう一言!】
昨日の安部首相の
記者会見ご覧になりましたか…?
私は呆れて空いた口が
塞がらなかった。
あんな子供騙しの様な例え話で
国民を恫喝して
あの男は、どうしても
この国を戦争の出来る国に
仕立て上げたい様だ。
60年安保闘争における経緯、
その後の平和維持に付いての
認識も全くの間違いだらけだ。
しかし今日はもうこれ以上は
コメントを差し控える。
この件に付いては
後日、詳しく述べたい。
とにかく私は解釈改憲による
集団的自衛権の行使容認も
自衛隊を日本軍に改編して
挙句は徴兵制を導入する為に
憲法を改悪しようなどとの
考えには断固反対だ!。
安部首相は言う。
「そんな事は考えていない。」…と
嘘をつけ~!!!。