清しき風の如く”シベリウス。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

5/4、Eテレお馴染みの
クラシック音楽館。今回のオンエアは
シベリウスであった。本年2月。
連日極寒の日々が続いている頃
未曾有の大雪に見舞われた8日、
東京渋谷NHKホールにて
この清々しいプログラムによる
コンサートは開かれた。N響1775回
定期公演である。
オール・シベリウスによる
この公演、冒頭の
アンダンテ・フェスティヴォから
何んと瑞々しい音場感なのだろう。
感心しきりである。
今更ながらN響も実に見事に
成熟したものだ。又、尾高忠明氏の
絶妙なバトンさばきが、
寸分の隙もなくシベリウスの音楽の
静観で気品に満ち、時として
神秘的ですらある独特の旋律美を
完全に掌握し体現してみせる。
続くワン・ジジョンをソリストに
迎えてのシベリウス唯一の名作
ヴァイオリン協奏曲D-mollでは
その例えようもない優美で洗練
された格調高き美質が、より鮮明
に提示され、この美的空間感の
リアリティーは決してお世辞にも
良好とは言い難いTV音声の
クォリティーであっても尚、私を
満足させてくれる事に充分で
あった。この演奏はまさにその
音楽的統率の妙において
尾高氏が今や世界に誇る我が国の
巨匠、マエストロと呼ぶに相応しい
コンダクターである事を改めて
私に深く認識させてくれた。
若き女流ヴァイオリニスト
ワン・ジジョンのソロを余裕を
持ってサポートし極上の美音を
導き出した事は特筆に値する
ものだ。
後半の交響詩「四つの伝説」は
連作の交響詩であり
四曲が連続演奏される事は
極めてまれな事だが、
ここでも、几帳面で品性を持った
尾高氏の統率に変わりは無い。
しかしそれは融通の利かない
通り一辺倒なものではない。
常に暖かい心情の表出を伴う。
ふくよかな音場。そこには実に
清しき優しさに満ちた柔らかな
風が静けく吹き続いている様が
描かれているように思われる。
どうだろう?昨今これ程、
心癒される音楽番組の
オンエアーが他にあったで
あろうか!。まあ~、
それにしても尾高氏の
バトンテクニックは実に見事だ。
基本に忠実、しかもそこから
醸し出される音楽は明らかに
文句の付け様のない名演であるの
だから…。
【清しき風の如く】体現された
シベリウスの名作の数々。
それは恐らくこの見事な尾高氏の
タクトあったればこそ実現された
のではと思わざるを得ない。
そして尚、こうも思う。ショパンが
【ピアノの詩人】と例えられるなら
シベリウスは【北欧の風の聖者】と
でも例えたくなると言う事を…。
(ルチアーナ筆。)

★私のリサイタルに関する詳細は
H26.4/7付けのブログ記事を
ご参照下さいませ。