歴史回帰”。そは恐ろしき!。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

「歴史は繰り返す」などと
よく聞く言葉だが、この世の中
何が何でも繰り返させてはならない
歴史がある。まさにそれこそは
歴史の教訓に学び二度と再び、国と
して、人として侵してはならない
誤ちに想いを寄せ、不退転の決意で
その誤ちの道に永遠の封印を施すか
どうかの究極的思考の方向性に立脚
した話なのだ。
昨日も憲法記念日を機に各地で
現憲法を巡って、護憲、改憲、両派
による集会が行われて活発な議論が
なされたやに聞き及んだが
我々日本人が間もなく戦後70年を
迎えようとしているこの時にこそ
闊達な議論討論のかしましい中
唯一、現憲法の指し示す方向性
として最も心しておかなくて
ならない事がある。それが
確立した平和と民主主義の
絶対的なそしてその揺るぎない
価値観の存立だ。
一昨年の総選挙以来
大勝した自民党・安部政権の止めど
ない右傾化政策の渦中、我が国は
いつの間にやら、
どんどん戦争の出来る国へと変貌を
遂げつつある。現憲法の成立の経緯
が如何なものであるにしても、
我々はこの憲法の下、戦後一貫して
民主主義を標榜し平和を希求し、
戦争と言う名においては、
この70年、若者の生命を
唯の一度も犠牲にする事を許しては
来なかったのだ。これはまさに
あの悲惨な戦火の中から我々
日本人が精神の奥深く刻み入れた
【二度と戦争は起こすまい!】と
言う想いの賜物だ。
戦後スキームからの脱却を掲げる
自民党・安部政権はいったい何を
目指すのか!。それは集団的自衛権
の解釈改憲から始まり末は
自衛隊の日本軍への改変、徴兵制の
復活…。そうした道筋である事は
明白だ。
【現憲法は米国の押し付けで
成立したもの!】と声高に主張して
改憲を説き、方や集団的自衛権の
行使容認でアメリカと共に
戦争の出来る国にしよう…!とは
何と節操のない事か!私はそう
思えてならない。安部首相の言う
新しい時代の国際情勢に機敏に
対応する為の積極的平和主義とは
即ち、その実態のおもむく所
あのおぞましい戦前戦中の暗黒時代
への歴史回帰そのものなのだ。
これ以上恐ろしい事があろうか!。
見抜かなくてはならない!!。
総理大臣、安部晋三のまとっている
あの仕立ての良いオーダースーツの
その下には頑強な甲冑が着込まれて
いると言う事を…!。
決して繰り返させてはならない
悪しき歴史の行き付く先には
どんな光景が待ち受けているか、
それは国を離れ、遠い異国の地で
若者が戦い、挙げ句の果てに
棺に納められ人としてではなく、
物として輸送機に乗せられ悲しみに
呉れる家族の元へ帰国する事に
他ならない。そは恐ろしき…!
そんな事態には断じてさせては
ならない。
我々が今最も考えるべきは
ナショナリズムに駆られ
歴史回帰を目論み、
戦後日本人が必死に
努力し構築して来た
民主主義の価値を根こそぎ
打ち崩さんとするあらゆる
策動に強く警鐘を鳴らし、
そうした時代逆行の流れに
決然とストップをかける術を
如何に作り上げて行くかなのだ。
【必要最小限の範囲で…。】云々
これもよく耳するに言葉だが
ここにこそ最大の危険が潜んで
いる。時の権力の都合や考え一つで
自衛の解釈がコロコロ変わって
如何するのか?。集団的自衛権とは
必ず反撃を伴うのだ。
殺し合いだ。戦争とは殺し合いの
連鎖、そしてそれを国を護る為と
称して合法化し国が進んで人殺しを
推進するのだ。人を殺せば殺すほど
英雄と讃えられのだ。これはもう
この世で最も異常な価値観としか
言いようがない。
我が国は僅か70年前まで、
そうした思考の国
だった事を安部晋三・総理…!
知らないとは言わせない!!。
歴史は進むもの!。今の若者が
あの悲惨極まる戦争の惨禍を
知らない事を良い事にその若者を又
再び戦場に送る様な【歴史回帰】は
絶対に許してはならないし許す訳には
いかない。
【そは恐ろしき目論み】は
今まさに、ナメクジの如くジワジワ
と我々の足元に忍び寄っている。
音も無く、執拗に!。
そしてその侵食に気が付いた時には
もうそれは手遅れなのである。
そうならぬ様、我々はもっと鋭く
自らの心眼に磨きをかけて
おかなくてならないのだ…!。
歴史と現況を見定める心の眼をだ。
真の平和と民主主義を守る為に。
(ルチアーナ筆。)