【歌は心で歌うもの、誰それは
テクニックだけで歌っているから
ダメなんだ!もっと心で歌う事に
努めなきゃ…!】などと
馬鹿馬鹿しくて聞いている内に
だんだん滑稽に思えて来る様な話を
最近又、耳にした。
誰が誰に向かって言っているのかは
ともかく、何をトンチンカンな事を
言っているのだろうか!。
今の日本のエンタメ界、
…っと言うかポップス界もっと
平たく言えば歌謡界で、そんな事を
自らの歌唱力を棚に上げて
言える資格のある人物など
美空ひばり、島倉千代子がこの世を
去って以降、悪いが
今日現在一人も存在していない。
心で紡ぐ歌、感動を与え得る歌。
それが理想、それは確かに
その通りである。
しかし、その心の表現を果たし得る
方法は何かと言えば、それは
即ちテクニック、歌唱力なのである。
ごく当たり前の事だ。
心で歌う事、つまりその表現性、
音楽に対するアプローチ、そして
それをどう歌唱表現と言う形に
具現化させるか、生きたものに
するか、それ即ちテクニックだ。
美しい声、明瞭で曇りのない歌詞、
言葉の提示、明確に広がる響き、
正確なフレーズとそれを確かなもの
とする為の適切なブレス。まさに
歌の基本、こうした技術的下支え
なくして思い描く音楽表現、
心から心へ訴えかける感動的な
歌など歌える訳がない。
自分だけ自らの歌に酔い、
気持ち良さそうに悦に入られては
聴かされる方がたまらない。
クラシックの世界では、この手の話
が、かなりリアリティーを持った
話として実感する事がある。
非常に秀でた技巧を持ち合わせた
演奏家であるにも関わらず
【音楽的アプローチに欠ける】と
評価される事が…。しかしその
評価の前提は超絶的とも思える
技巧の持ち主であると言う、
高度なテクニックを持っている
と言う演奏家としての先ずは
絶対的条件をその演奏家が
完全に満たしているとの前提評価が
あり、尚且つそれに比して
【誠に持ってもったいない】と言う
観点からの評価、即ち全く次元の
違う高い芸術的見地からの
批評なのである。これなら
実にリアルで、まさしく建設的な
話であると言えるのだ。
自らが、歌を歌う為の修練を
ましてや、テクニック構築の為の
トレーニング方法も体現し得ない
者が全く的外れな論評を繰り広げる
など、あってはならない。
テクニック論は軽々に語るものでは
ない。今の芸能界、歌の世界で
まともに正しい音程をキープ出来る
歌手、いや歌い屋さんが何人いる?
【歌はテクニックで歌うもの、
そこで初めて心の歌を体現出来る
のだ。】ゆめゆめ間違えては
ならない。
【気持ちで歌う。心で歌う。】
その事自体は間違っていないから
こそ、歌を論じる時、
はたと立ち止まって考えるべきだ。
自らはその有識者で
あるかどうかを…!。
(ルチアーナ筆。)
☆私など歌を歌って来て40余年。
自らの声の黄昏を感じつつも
まだ、歌の何んたるかが
解らぬ事がある。歌とはそれ程
難しいものなのだ。
今秋のリサイタルを持って歌い手と
してその幕を下ろすが、きっと
最後までその本質は
解らぬままで終わるに違いない。
凡なる人間の、しかし歌の虜と
なってしまった人間のこれも又、
宿命なのだろう。それにしても
しかし、日本のエンタメ界の
程度の低さには恐れ入る。
でも、売れれば勝ちか…!
歌の本質を解らぬ者がわかったと
勘違いしたまま、次の世代に
嘘を先送りするのだから…!。
そしてそれを、鵜呑みにした
未熟者が又、下手な歌を歌う。
だが、それが売れてしまうのだから
始末が悪い。前にも言ったが
聴く者の感性も又、劣化の一途を
たどっていると言う事だ。
そして、最後は世界の物笑いの種となる。
★私のリサイタルに関する情報は
H26.4/7付けのブログ記事にて
ご確認下さいませ。