佐村河内氏の一件は呆れかえって
最早、言葉もない。でも次の瞬間
はた…っと思った。譜面が読めない
、書けない、にも関わらず
作曲家の先生で通っている有名
どころなんて、この日本の
エンタメ界には
ゴロゴロいるではないかと…!。
だがしかし何も作曲は譜面が
書けなくたって
出来ない事ではない。
ギター片手にありきたりの
コード進行の中で鼻歌交じりで
歌詞付けしたメロディーを
口ずさみ、これを収録。それを又
アレンジャーが譜面に起こし
CPに入力してデジタルで音源選択、
メロディーラインに
リズム・ハーモニーを好みに
合わせて付加。
はい一丁出来上がり…ってなもの
である。でもそれに楽曲としての
センスがあれば、売れるのだろうし
それはそれで構いやしない。
長くこの業界にいると私は
あくまでクラシック畑の人間だが
色々と仕事がらみで若い頃は特に
「あ~あ、見なきゃ良かった!
聞かなきゃ良かった!」
などと言う裏事情に遭遇した
ものだ。中にはかつて
【無類のヒットメーカー】などと
もてはやされたポップス界の
大御所的作曲家で全く楽譜を
読めも書けもしない、そんな
自他共に認める大先生とやらに
お目にかかった事すらある。
その方は今は既に他界されていて
これ以上のコメントは
差し控えるが、その方の作品は
今だいわゆる昭和歌謡史に輝く
名歌としてその価値を皆が讃える
に至っている。歌い手とてそうだ。
私が愛して止まない美空ひばりの
数々の名曲、名唱、彼女も楽譜は
読めない。しかし彼女は誰が
何と言おうと不世出の
名歌手であり天才だ。
かのポール・マッカートニーだって
楽譜は読めない。だが彼が優れた
ミュージシャンである事に
疑いを差し挟む余地はない。
彼が実質上作曲した
【リバプール・オラトリオ】などは
壮大なクラシック曲だが、
彼が考えたメロディーラインは
全て補佐役の作曲家が写譜し、
オーケストレーションまで
施して出来上がったものだが
その手法は全てが公になっていて
全く問題無くポールの作品として
認知されている。そうした事から
我々音楽家のモラルとは
何かを論ずれば、それは
自らの能力、実力を
身の丈以上に誇大広告の様に
ひけらかし、虚構を弄して
オーディエンスに対し、裏切り
行為を働く事に対する厳とした
戒めの精神を持つ事だ。
上記列挙した事は従って
全てが何の問題もない事なのだ。
だが佐村河内氏の件は
これらとは全く問題が違う。
彼は音楽家でもなかったのだ。
譜面が書けず読めず、これは
良し。ピアノが弾けない、これも
良し。ただ次のこれが許せぬ!
彼は曲を作っていない。
これを一般的には【ただの人】と
言う。【ただの人】が
現代のベートーヴェンを気取って
嘘に塗り固められた人生を
送る事は断じて許されない。
そして私達、音楽家はこうした
破廉恥な人間に二度と再び
隙を与えぬ為にも自らが奏でる
音楽の世界に最後の最後で
決して嘘があっては
ならないと言う事を戒め
なおす事が必要なのだ。そして
全ての音楽家はその事に今一度
想いを馳せ心して生き抜く事を
決意しなくてはならない。
(ルチアーナ筆。)