罪深き…!。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

AKB48グループドラフト会議とやらが終了しノミネート人員全29人中20人がAKB.SKE.NMB.HKT.の各グループ、各チームの指名を受けメンバー入りが決定したとの事だ。今回は流石に民放キー局も地上波による生中継とまではいかなかった様だがいずれにしても、又もやAY氏を始め上層部は「してやったり」とばかり今頃祝杯でも上げているやもしれない。だが、どうだこのイベント…。私は止めどなく罪深き行為だったと思っている。少なくとも今回予備オーディションを通過した少女達は一様にそれ以後日々、真面目に実直に数多の項目に及んでレッスンを積んで来ている事と思う。それを今更振るいにかける様な事をして…。まだ子供の域を出ていない彼女達の人格を、そして何よりもその心に深い傷を負わす様な残酷な事を無慈悲に行っておいて9人の少女に計り知れない悲しみを負わせたのであるから本当に罪深い。その一言に尽きる話だ。しかもこの、ていの良い人身売買のごとき行為の中心的役割の一端をまだ、全く社会経験が未熟な各48グループのチームリーダーの子供達に担わせた事、ここにも大きな問題がある。運良く指名された子にしろ振り落とされた子にしろ、それを指名した各チームのメンバーと年齢的には大差がないではないか!。そんな子供達に子供達の言わばこの先の職業選択の一貫、人の運命を託して良いものなのか?。分別ある大人なら言わずもがな、分かって然るべきであろう。今回、選にもれた9人の子は救済措置として次回には無条件でファイナリストになれると言うお涙頂戴的なこれまた批判かわしの姑息なおまけまで付けた様だがそんな事は単なる偽善である。AY氏を頭にこのグループをつかさどる上層部のお歴々は、元々、はなから才能を芸能人として育もうなどとは、爪と先ほども思っていないのは見え見えだが、これに続く各チーム対抗のペナントレース制導入なども空いた口がふさがらない程、幼稚な悪ふざけの決止である。そんなに野球が好きなら今迄ため込んだ大枚をつぎ込んでプロ野球チームでも作れば良い。腰をすえた物作り、芸能活動の歴史に冠たる足跡を遺そうとまでは、例え思っても出来やしない事はもう明白だが、「これが芸能界の厳しさだ。」などと分かった様な事を言って、よもや自分達が成した人権侵害紛いの行為を正当化しようしているなら、もってのほかだ。グループメンバーの少女達は素直に新しい仲間を迎え自分達のチームに取って最良の日だったと感じているに相違ない。それはそうに決まっている。彼女達に奥に潜む悪き思惑など推測する考察力などないのだから…。それも又当たり前、彼女達はまだ人格形成途上にあるのだから仕方がない。従って彼女達に何の罪もないのだ。だが知らぬ間に人身売買的行為の片棒を担がされたという事実だけは残る。これも又、罪深い。要するに今回のこのイベントは企画の段階から単なる思い付きの便乗商法の起着に過ぎず、そのまな板の上に、幼気な少女達が材料として乗せられ、良い様にさばかれたと言う事、それ以上の何ものでもない。しかもそれを48グループの少女達にやらせたと言うとんでもない事象なのだ。AY氏始め上層部・スタッフはこんな問題意識など微塵も抱いていないだろう。そこには女の子達を駒にして行うビジネスゲームの美味に味を占め人の心の痛みも分からず、完全に麻痺した人権感覚に陥った良い歳をした大人のおぞましいボロ儲け主義だけがさらけ出ている卑しい姿だけが浮かび上がっている。世も末だ。端的に言おう。子供に子供の将来を託す様な事、子供に子供の将来を決めさせる様な事、これは絶対に止めるべきであり今後は決してやってはいけないし、させてはならない。罪深き行為、猛省をして二度と行うべからず
そう結論付けるべきだ!。
(ルチアーナ筆。)

★オーディションはあって然るべき
ホリプロ・スカウトキャラバンも
オスカーの国民的美少女
コンテストも、
大いにありだ!
しかしこのAKBドラフトだけは
全然それとは意味が違う。
許されない!。