歌うという行為はそもそも作曲者の或いは作詞者の意をたいし、それを我々がより高度にどれだけの技量を持って表現・提示出来るかの問題、ただそれだけだと私は思っている。極端な事を言うとお思いだろうが、さに有らず我々は楽曲にとって豊かな質を持った
楽器でなくてはならない。身体は声帯と言う楽器を鳴らす為の共鳴体なのである。はっきり言えば「物」であり「器」だ。ピアノは調律・調整と言うメンテナンスが定期的に必要、弦楽器なら弦のチェンジ、弓の張り替え、場合によっては本体の解体補修等も必要とする事とてある。しかし身体そのものが楽器であってそれを駆使して音楽を構成する歌は物理的メンテナンスは不要である。健康管理を徹底させ、あとはアメでも舐めておけば良い。そして、いやしくも歌を歌う人間は自分が歌手だと思うのなら、その思いに恥じぬ様、美しい声、美しい言葉で歌う事に専念すべきなのだ。しかしどうだろう!今ちまたには素人カラオケの延長線上の様な「歌い屋さん」ばかりが幅を効かせているではないか!。喉が鳴っていない。そんなのはザラだ。ハンドマイクを口に押し付けて…何だろうあれ…?ソフトクリームじゃあるまいし、そのうち食べてしまうのではないかと思うほどだ。他方、超小型のピンマイクが歌の雑さを助長していると言う面もあるだろう。機器に頼って歌など成立してはたまらない。もっと真面目に歌いなさい。私は頻繁にそう思う。「無知の知」と言う事を言うが今の現状は余りに本物を知らない人間が多過ぎる。そしてその殆どが自らが何も知らないという事を知らないのだから本当に始末が悪い。歌う事とは何んなる事なのか考えて然るべき私はそう思う。声と言う楽器を支える身体と言う器、逆転した考えが、はびこっている現状を変えなければ…、奇妙ななりをして、「その衣装…と君の歌、どんな関係があるの?」っと思わずたずねたくなる様な状況、憂うべき事態は益々進行している。いや…恐ろしい!。料理と同じ…!器は脇役、主役は料理、器たる身体は脇役、声と言う主役を盛り立てる事こそ肝要だ。盛り立てると言っても訳のわからぬダンスなんかをやりながら歌えと言っているのではない。それは本末転倒だ。つまりこうだ。器の方が目立つ様なら、それは骨董品だと言う事。台に乗せられ布を被せられ「何でも鑑定団」にでも出たら良い。しかし鑑定品の多くはまがい物…、そんな事の方が多いのではなかろうか?。歌がこんな風に揶揄したくなる様では余りに情けない。あれ!そう言えばあの番組まだオンエアー中でしたっけ?!。
(ルチアーナ筆。)