フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴは名作の誉高き作品群を擁するまさに巨星である事は今更言うまでもないが社会的混乱に諸々の意味で巻き込まれる事はどの時代でもそうだが例外を与える事は決してなく彼も又、体制に媚びへつらう事なく作家としての良心と反骨精神を持ち続けたが故にその創作には数々の困難が立ち塞がった事を後世の者として彼の作品に接する時我々は熟知していなければならない。彼の名声を不動のものにしている作品【レ・ミゼラブル】近年は四半世紀に渡って世界各地で上演されている欧州ミュージカルの名作としても名高いがこうした権力の横暴が蔓延る世の無情を痛烈に批判した作品にもう一つ【王の乱行】と称する作品がある。
これも又、【レ・ミゼラブル】同様一部特権階級の横暴を告発すると共に人間の業の深さを愚かさを又、悲しさを扱った秀作である。そしてこれを原作として生まれたオペラがヴェルディの代表作「リゴレット」なのである。しかしこの作品はその内容が余りにもあからさまで痛烈な権力風刺を含んでいるが故に舞台背景を変え、ストーリー展開の場所もフランスからイタリアのマントヴァに移され登場人物の名も改めさせられると言う大変な憂き目を見る事になる。俗に言う検閲だ。レ・ミゼが理不尽な世のあり様に対してあくまでも慈悲の心で生き抜くジャンバル・ジャンの孤高の姿を描いているのに対して、リゴレットは自由気ままに遊び呆け人を人とも思わぬ乱行で人心を傷付け罪の欠片も感じぬ横暴貴族の長、マントヴァ公爵の毒牙に犯された娘の仇、復讐を誓う主人公リゴレットが殺し屋を雇い公爵を罠にかけ殺害その死体を受け取り復讐の成就の叫びを上げようとしたその時、木陰から今まさに自分の目の前に死体としてある筈の公爵の歌声が聴こえ、慌ててその死体の入っている筈の布袋を開け調べて見るやそこには公爵の身代わりとなった我が娘ジルダが弾幕魔の姿をさらしている。はずかしめを受けながらも公爵を憎みきれぬ娘ジルダ。親であるリゴレットが殺し屋と公爵殺害計画を立てているその会話を耳にしてあえて身代わりとなったのだ。悪魔の呪いに打ち拉がれる主人公リゴレット。ヴィクトル・ユーゴが描いた不条理の世界、救い様のない結末、しかしこのオペラは見事にユーゴの原作の持つ価値観を踏襲しながら大胆かつ流麗な歌とオーケストレーションの妙により今日イタリアオペラの欠く事の出来ないレパートリーとなっている。因みにヴェルディはレ・ミゼもオペラ化するつもりだったようだがそれは実らなかった。今日我々はユーゴの優れた原作に基づく二大戯曲、一つはミュージカルとなった【レ・ミゼラブル】もう一つは歌劇【リゴレット】この二つを鑑賞出来る時を共有している。生きるとは何を意味するのか?時代の流れに翻弄され、事の本質が見出せないそんな不確実な価値観にまみれた今この時こそ
この二作品に触れる事の意義は大きい私はそう思えてならない。ユーゴの原作を讃えると共にミュージカル【レ・ミゼラブル】、歌劇【リゴレット】この二作品、アプローチこそ違うが一見にかする事請け合いだ。当然過ぎる事を最後にあえて付け加えておく事にしよう…。8/28現在。 (ルチアーナ筆。)
「蛇足だが帝劇で上演されている
【レ・ミゼラブル】で準主役を
演じ、歌っているキャストの
一人に私のかつての教え子が
いる。
又、私は歌劇【リゴレット】の
マントヴァ公爵をかつて
よく歌ったものだ。現在
この役を歌うには声が重く
なり過ぎた。歳の為だ仕方が
ない。」