隣の牡丹餅は大きく見えるという諺は何と同じ意味? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

青い柳の樹のように  - counselor's blog -

名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

【カウンセリングルーム「アンフィニ」/名古屋市中区】 
【青い柳のココロカフェ/養成講座/お知らせ】


皆さん、本日の心の天気はいかがですか?

心理カウンセラーの青柳雅也です(^^

このブログで、心理カウンセリングや心理学を身近に!

さて、今回は「たられば」について。

皆さんは、何かが羨ましかったり、

何かを後悔したことがありますか?

 

人間は比較します。

それは生きていくうえで必要だからです。

 

前の経験との比較。

自分の能力との比較。

分量や距離の比較。

 

そういうことができることで、

失敗を減らしたり、効率を上げたりできます。

 

しかし、

過ぎたれば、不毛な心労を生みますね。

 

「隣の芝生は青く見える」

誰もが聞いたことがある諺ではないでしょうか?

自分の持っているものや環境よりも、他人のもののほうが良く見えるという意味ですね。

他にも同様の意味で、別の諺もあります。

 

「隣の花は赤い」
「隣の糂粏味噌(じんだみそ)」
「隣の牡丹餅は大きく見える」
「内の鯛より隣の鰯(いわし)」
「釣った魚より逃がした魚」

 

結構たくさんありますね。

これは、今時点の見えているものとの比較もありますが、

自分のした選択肢Aと選択しなかったBとの比較もあります。

 

A社の内定を選んで、B社を退社した。

Aさんと別れて、Bさんと付き合った。

A県じゃなくて、B県に旅行に行った。

Aランチじゃなくて、Bランチを食べた。

 

それで、何かしらの不満や懸念点が出れば、

「あっちにしといたらよかったかな…。」

「違うほうをえらんでいたらこうならなかったかな…。」

「ああすればよかったかも。」

という気持ちになります。

 

では、そういった経験は無駄なのでしょうか?

悔やみ続けること?自分を責め続けること?

そうではありませんね。

それはそれで、ひとつの経験なのです。

"たられば"は、100万回念じても叶うわけではありません。

 

それよりも受け入れ、味わい、

今後に活かして、誰かとシェアできたら、

それは自分や周りのなかに積みあがっていくことです。虹

 

 

 

いつも有難うございます。

たらればがやまないときはアンフィニへ!

.

ご予約は052-253-5040まで!

∞ ----------------------------------

#カウンセリング #名古屋 #中区
#心理学講座 #コミュニケーション
#カウンセリング口コミ #評判

#法人メンタルケア #社員教育 #名古屋

#カウンセラー非常勤 #名古屋
∞ ----------------------------------