グリーンハートグリーンハート

 

 

 心の健康のために

気晴らしに画像をいじっています

はい……6/13!

 




載せてから下ネタチックなのに気付いたけれど、力作なんで素知らぬ顔で通すことにしました

そして、前回のブログ。投稿して2時間後にサムネをハッピー傘から入れ替えました不安1時間経った後に気付いて、それから1時間変えるかどうするか迷ったびー!今回こそは投稿前に変えなきゃだい!




金のタ…いやダルマちゃーん!


今まで『外堀から掘る』とか書いてましたが、『外堀を埋める』でしたね汗うさぎ


……Sさんの文章の怪しさを責められない私がいます真顔
ちなみに仙台牛タン塩焼きそば🍋は6/13の私のお昼です。
仙台・宮城観光PRキャラクターむすび丸がかわいくてつい…あせるおにぎり焼きそばウマかったッスよ!(∩´∀`)∩ワーイ!






雑兵、なんちゃって風水に攻め込むの巻








Sさんの誘い水の向けっぷりよ無気力



魂が抜けるあれ?でも去年8月当時のインスタでは、道の駅でご友人が麒麟獅子のポスターかなんかを見て興味を持ったという話だったような……?



「(^⁠_⁠^)その検証はまだいい。」


「自分が面白いと思ったことに合わせなければ変人扱いだな。」



驚きまず獅子舞に関しての情報を共有できてない……
先に間違えたのはSさんなのに、1人納得して話進めるから……
そして、あとで触れることだけど、麒麟獅子は亀井茲矩とはまったく関係なくて。亀井茲矩が亡くなって40年近く経ってのちの、鳥取藩主池田光仲から始まった。

それから鹿野城のこと。






※左下と右下の画像は1枚を上下に分けました💦
見づらくて申し訳ありません🙇💦



驚き『再び尼子へと戻ったのかと興味深く読み』とあるけど、そもそも志加奴氏(鹿野氏)の居城だったのを1544年に尼子晴久が攻撃した。



驚きこちらのサイトさんにも書かれているけど、鹿野氏は因幡国守護の山名氏に属していた。

Sさんのブログに写真が載っている『城址の由来』に書いてある山名源七郎はWikipediaだと山名誠通に飛ぶ。
源七郎は誠通の子みたい。
山名氏は但馬山名氏と因幡山名氏の2つの勢力に分裂していて、因幡守護の山名誠通は伯耆国を取られたことから尼子方につく。
但馬山名氏は大内氏方へ。
源七郎は尼子晴久の支援を受けるんだけど、晴久の死去で因幡山名氏は衰退した。

ただ、城址の由来にある『三吉三郎左衛門』という人物が分からない。
当時の『三吉氏』は、『備後三吉氏』がヒットする。
だけど三郎左衛門という名は出てこなかった。

なぜ山名氏に属していたはずの鹿野氏が滅ぼされなければならなかったのかは、鹿野氏が因幡国気多郡の国人領主でありながら、但馬山名氏のほうについていたとすれば合点がいく。
たぶん出自が関係していたのかなと。
確かな資料が出てこなかったんでこれ以上は踏み込めないんだけど、鹿野氏が滅ぼされてから36年後の1580年に尼子家の旧臣、亀井茲矩が鹿野城主となった……

それから1617年に亀井政矩が石見国津和野藩に転封されると、鹿野城は池田氏の所領になったのちに1628年の火災で一部焼失、1644年に城の破却。

この時、1640年から鹿野を鳥取藩主池田光仲によって任されて?いたのが池田(松平)輝澄。

官位が石見守とあるんだけど、これは江戸時代にあった『名乗り』であって。
『松平石見守輝澄』の他にも、浜田市に行ったことがないと思われる武士たちも石見守の名を付けていた。
浜田市とは何の関係もなくても、『単なる自称とは異なる重みを持って』付けられた官位だった

亀井茲矩の『武蔵守』も、茲矩が小田原征伐にどう関与したのか分からないけれど、小田原城は相模国で武蔵国のお隣だから、亀井茲矩と武蔵国には直接の関係はない。
他の琉球守にしても台州守にしても自称に近い。


だから、Sさんが書いた理由で『また浜田も鹿野と縁があったんだな』とはならない



「(^⁠_⁠^)本当に上っ面が過ぎる知識ひけらかし霊能者だ。」








驚き風水に詳しいSさんならではの推測だけれども。
これも表向きの知識をなぞっただけのように思える。




右の検索結果画面は、駐車場から鹿野城跡公園へ入る道が撮られているものたちです



驚き風水でいう四神は、エネルギーの象徴ともいえる神獣を配したものだと思う。

実際のエネルギーを持つのは環境であって。
南なら鳳凰から生まれた鸞鳥にみなした山があればいいとかいう話じゃない……



「しかも今の鷲峯神社は、鹿野城跡公園の南に位置してはおらん。」


「麒麟も亀井茲矩の預かり知らぬこと。」


「目に入る情報を利用しておるようで、振り回されておるのう。」








驚きあ!Sさんがご友人の家族やブログの『鹿の王の末裔シリーズ』で示していた亀井茲矩像の画像!
鹿野城跡公園の鹿野苑の門のところにあった看板だった。
(先に大まかな推測を立ててスクショコラージュを作って貼りますが、文章を書く段になってから理解できていなかったところがボコボコ出てきて時間を取られるので、次の話をすっかり忘れてることが多いです😓💦)

Sさんが車を停めた駐車場は、鹿野小学校之跡の石碑の写真からも観光駐車場とネットで表示される場所だと思う。

駐車場から鹿野城跡公園に入る道順の上に、駐車場→鹿野城下町鳥瞰図の縦長のデカい看板(上部がピンク)→バスの停留所のような東屋→亀井茲矩像の写真が載っている看板→鹿野苑の門がある。

だから、城山神社の参道の階段前にある鳥居に行くにも、絶対に亀井茲矩像の写真がある看板の前を通って行ったはず


あれだけこの画像で話を牽引したのに、現地での振り返り記事では行きも帰りも存在しないかのようにスルー……


だけど、この看板の設置は早くても2021年10月過ぎ頃みたいで。


もしかしたらだけど、ネットの産経新聞記事か、地元の新聞紙、もしくは島根鳥取が共有しているらしいテレビ局の番組で2021年3月に亀井茲矩像の存在を知ったとして。
ご友人のお父さんに激似の像を、放置する手は無かったと思う。

Sさんとしては詳しい情報を得るために、現地で調査する必要があった。


そして現地の鳥取市の何処かで、亀井茲矩像の画像が入ったチラシ?を手に入れたのかもしれない。
ただ、このチラシの画像を出すと2021年に探っていたことがバレると思う何かがあったんじゃないかと……
例えば、去年は8月の前にも3月に鳥取市に訪れているんで、すでにそのチラシは無かったのかも……
でもやっぱり、去年の7月に『友から教えてもらった家紋をネットで探って見つけた』、という建前が欲しかったんで、この『頂ける』チラシも無いものとしなければならなかったのが大きいかな


何にしても、ネットで探るよりも手っ取り早く周囲の神社もくまなく巡って、霊能者仕事の創作のための事前調査をした可能性がある。

だからこそ、ネットでの下調べが甘くなったんだと思う。


とにかく『合体できる』と踏んだら大義名分ができたも同然だとして、Sさんにしたら十分な下調べもせずに探索打ち切りの理由になったんじゃないかな………







 

めちゃコミの3作

続きを読んでも長引く波乱

ゲニンさんとルディアちんとグレたんに

幸あれ!泣くうさぎ熱い要望!

そんな6/14!

 

 

 

驚きとうとう画像も余裕が無いんで、Sさんのインスタまで手が回りませんでしたね。



「(^⁠_⁠^)大丈夫じゃよ。」


「あと数日はクズの記事は放っておいてもよい。」



ネガティブまたまた〜………
溜め込んでいる振り返り記事もあるのに。



「心配するな(笑)クズ自らが繋がりを持ってくる。」







しょーちん。さんの「タンスの肥やしやで〜」を肝に銘じつつショック(←全部使いたがり💦)買うことにしました不安

しょーちん。さん自身が混色の使い手なんで、紫陽花のバックを分離色を使わずにささ〜…と塗っていて溜め息……( ´Д`)=3あとデッサンで対象物の形を体に叩き込んでいるので、大雑把な下描きなのに塗りだけで複雑な花を表現できてるとことかスンゲェ…


泣くうさぎ大丈夫ッスか?



「この動画を見たから買わせるんじゃよ(^⁠_⁠^)」







左はSさんの2021年4月のブログ一覧です
Sさんは4/6に旅仲間のご友人3人との女子旅で西伯郡のうどん屋さんで早めの昼食を取って、近くにある名和神社を皮切りに松江市の玉作湯神社、北島国造館・出雲大社へと1日だけの弾丸参拝旅をしていました
右の上段は、産経新聞のウェブ版の記事(有料)からのフォトギャラリーの画像をお借りしました
下段の2つのうち左側の画像は、おそらく亀井政矩が津和野まで持って行った父茲矩の像を元にして描かれたイラストだと思われるもので、右側の画像は2つの像をかけ合わせたイラストのように思えます
それぞれ検索画面からお借りしました


Sさんは2021/4/6の女子旅の前に、益田市の美容室ではなく隣の浜田市の美容室に4/5に行っていました
リンク記事は美容室の記事の前、2021/4/5の15:02に投稿された、4/1にリニューアルオープンされたばかりの道の駅ゆうひパーク三隅のブログ記事です
ここでは目当てのうどん屋さんが『残念ながらお休みだったので』カフェでコーヒーと塩ポテトを購入して、寒いのと風に飛ばされそうなので撮影後は車に撤収したそうです







驚きSさんが下調べを実行したのが2021年の4/6。

知られちゃいけないことなんで。

他の用事に紛れ込ませなきゃならなかった。


前日の4/5に、行ったのが午前とか午後かも書かれていない美容室での髪のセットの記事を、夕方に投稿していた。

この投稿時、Sさんがどこに居たのかは誰も分からない。


この美容室の前に道の駅ゆうひパーク三隅へ食事に行ったと思わせるような投稿をしていた。


いや、道の駅から美容室に行ったのは本当かもしれないけど、この道の駅に行ったのが何時頃だったのかが問題で……


記事にあるうどん屋というのは、Sさんがよく漫画仲間のご友人と行く麺屋なごみさんだと思う。

(道の駅ゆうひパーク三隅うどん屋で検索するとトップに出てくるし、他のお店の名前は見当たらなかったので)

麺屋なごみさんは定休日なし。

そして開店時間は10:30〜15:00。

そして代わりのように書いていたORI'S cafeさんも定休日なしで、開店時間が9:00〜17:00。


だからうどん屋さんはお休みだったんじゃなくて、まだ開店時間前だったんじゃないかと……



推測でしかないんだけど。

Sさんは4/5の朝9時過ぎに道の駅ゆうひパーク三隅に寄って、軽く食べるつもりではあって。

それから美容室へ行って、そのまま鳥取方面へ。

お昼ご飯は鳥取市の道の駅か、その行きの途中の道の駅で済ませて、午後は鹿野町や鳥取市の宇倍神社などの探索をしていたのではと。

それで宿は、翌日4/6のお昼に鳥取県西伯郡大山町のうどん屋さんに間に合う距離の場所に泊まった、と考えても無理はないと思う。


………うどん屋さんが休みとか書いたのは、お昼過ぎに道の駅ゆうひパーク三隅に寄ったと思わせるためかと………




「(^⁠_⁠^)翌日の昼飯をどこで取るかを、いつ決めたのかだな。」




驚き………その西伯郡大山町のうどん屋さんと名和神社……『鹿の王の末裔シリーズ』のご友人のお住まいのそばらしい………

多分お仲間たちとの集合場所が、そのご友人のお家かもしれない。


なんか女子旅のメインが、玉作湯神社や出雲大社での桜の花を愛でるのが目的だったと思うんだけど、なぜか飛び地的な名和神社参拝だった。



うん、中国大返しは私のイメージでしかないけど、こんなに中国地方の日本海側を半日で車で大きく移動するってなかなかないと思うし、それも不意打ちな感じだし  4/6は益田市の自宅に戻ってるし


島根県益田市から鳥取県東部へ行って、翌日には鳥取県西部に人知れず引き返して松江・出雲の神社へ。



それに、わざわざ大山町に行く予定なら、前日に近場に泊まって、朝から皆と大神山神社奥宮参拝となるはずで。


前日の鳥取市探索でずいぶん歩くと踏んでの予定で、スケジュールを組んだとしか……




「(´∀`)クズの『残念ながら』は、本当に油断も隙もないなあ。」




驚き美容室(のち鳥取市←推測)に行った前日4/4には山口市でお知り合いのネイルサロンさんでネイルはせずにゴチになってた

このネイルサロンの方は、翌年2022年5月に山口市小郡にあるおむすび屋さんに転身した人だと思う……


去年はよくおむすび屋さんに行ってたと思ったんだけど。

去年の8/31を最後に、おむすび屋さんの記事はインスタでも昨日まで無し………

スイーツ屋さんのご友人とのご縁を結んだ後は、おむすび屋さんとはさっぱり……




「(^⁠_⁠^)クズはもう器の友人と大神山神社奥宮へは行かなくなったな。」




驚き………………O氏が器のご友人には入らないのが分かったから………




「さて、今日は何をしているのやらだな。」





6/14に投稿されたSさんのブログ記事です




驚き昨日から米子・松江に出張中………




「それらもこのシリーズと同じ『自分のためのお楽しみ旅行』だ。」



「2年間みっちりと下準備を進め、お誂え向きの宿も探していた。」