東京都板橋区の東武東上線で線路内に入った女性(39)を助けようとして電車にはねられ、意識不明の重体となっていた警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(53)が12日午後、都内の病院で死亡した。 宮本巡査部長は、6日午後7時半ごろ、踏切から線路に進入した女性を追いかけ、東武線ときわ台駅構内で急行電車にはねられた。女性は大けがを負ったが命に別条はなかった。 事故の前、踏切内に入り線路わきの交番に連れてこられた女性はすきを見て逃げだし、再び線路内に進入。同巡査部長が追い掛け、女性とともにホーム下に逃げ込もうとしたが、間に合わなかった。 女性は「死んでもいい」などと話していたという。
http://www.nikkansports.com/general/
職場の同僚が、この女性と警察官のやりとりを目撃したといっていた。皮肉なことに自殺志願者が生き残り、勇敢な誇るべき警官が命を落とす。これから女性は助けた警官の命と彼の家族の悲しみをも背負って生きなければならない。助けた警官のような正義感にあふれたた人間を失うことは社会的に見ても損失である。はっきり言ってしまえば精神の弱い自殺志願者の方が死んだ方が本人にも社会にも良いはずだ。それでも彼女の方が生きるほうに選ばれた。これは、最近の他の自殺問題から見ても考えさせられる話だ。なぜ生きなければならないかという問いに対して問いに対して、この事故は一つの解を与えられるかもしれない。死んだ警察官は自分の存在意義、ここでは警察官としての使命"Mission"を果たしたので天に召された。それにたいして、自殺志願の女性は善意の他者の命と引き換えに生かされた。女性は、これから人の命を奪い、その家族に耐え難い苦しみを与えた、その十字架を背負って生きていかなければならない。逆に言えば、その事件が空虚な彼女の生に新しい存在意義与えたのだ。大きな犠牲の上に再び得た命を決して無駄にしてはならない。与えられた残りの人生を世の中のため少しは自分の為にも精一杯生きて、それを贖罪としなければならない。なんてことを連休中に引きこもってたら考えてしまった。自殺する人間は自分の存在意義を感じられないから自殺するのだろう。しかし、ここに敬愛するビクトール・フランク氏の言葉を引用する。「 人生が人間へ問いを発してきている。したがって,人間は,人生の意味を問い求める必要はないのである。人間はむしろ,人生から問い求められている者なのであって,人生に答えなくてはならない。人生に責任を持って答えなければならない。」含蓄の深い言葉である。