大分県別府市で10日開かれた日教組の教育研究全国集会では、いじめ問題をテーマにしたシンポジウムが開かれた。参加した有識者や教員からは「いじめは教員からは見えにくい」「学校の力には限界がある」などの指摘が相次いだ。

 シンポの冒頭、喜多明人・早稲田大教授はいじめを受けた場合の相談相手に教員を挙げる子どもは13%しかおらず、友達か親に打ち明ける子が圧倒的に多いとする調査結果を紹介。「学校は力の限界を認めた上で役割を考える必要がある」としたhttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/

最近いじめ問題がクローズアップされ、さまざまな議論が行われています。多くの議論が学校責任論に偏ってるようなきがしますが、上の記事のように実際学校にできることと言うのは限られています。というのも、いじめの原因は学校の外にあることのほうが多いと考えられるからです。例えば、いじめる側の子供にも複雑な家庭環境があるかもしれない。父母の暴力、家庭の経済問題などがあって人間的にゆがんで育ったのかもしれない。そして、その父も会社で理不尽な命令、不可能なノルマ、どろどろした人間関係のなかで「いじめられ」られていたのかもしれない。母も、子供のころから虐待を受け、さらに夫から日常的に暴力を受けていたのかもしれない。この前、いじめた側が自殺したというニュースをテレビでみた。普通に考えていじめる側が自殺するというのは考えにくい。だが、もし彼が上述したような家庭の子供だったならば、フラストレーションを発散する行き場をなくし、自ら命を立つという選択をしたとしても不思議ではない。いじめ問題は学校の問題というよりも、日本社会の病理とでもいうべきだろう。現代の高度な文明社会を保つ為には、人々はストレスを抱えざるおえない。そして、そのストレスが子供にも伝染し、深刻ないじめの問題に影響を与えるのだと思う。