京都市で開かれている「気候変動に関する世界市長・首長協議会」(13カ国の18都市が加盟)は17日の会合で、「京都気候変動防止宣言」を採択した。宣言は、2013年以降の「ポスト京都議定書」枠組み交渉で、温室効果ガスの排出量を20年までに1990年比30%、50年までに同80%削減する目標を立てるよう各国政府に呼び掛けるとしている。
 宣言はさらに、(1)各国に化石燃料への依存体質から脱却することを求める(2)自治体レベルでも連携を強化し、効果的な気候変動対策を講じ対策を共有していく-ことをうたった。

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2007021700312


友人のブログの記事に僕も意見したいと思います。私も彼と同じように上記二つの宣言はまったく具体性に欠け、環境問題解決にはあまり意味をなさないと思います。それ以外に僕の意見として、人間には環境問題の解決は不可能だと考えます。なぜか?そして、解決できなければどうなるのか?ところで、環境問題を考えるにあたって、僕の専攻の一つであるミクロ経済学が非常によい判断の道具になります。経済学というのは、資源をいかに効率的に配分するかを考える学問なのです。環境問題は、石油石炭などの燃料資源、そして燃料を使うことによって生産される二酸化炭素その他汚染物質などの負の財をいかに配分するかという経済学の問題と捉えることができる。話は戻るが、環境問題が解決できない理由というのは、経済学のゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」に陥っているということだ。詳しい説明は割愛するが、各プレーヤー(国、個人)が資源を使うと節約するの二つの選択肢があったとすれば、他のプレーヤーがどんな選択をするとしても、資源を使ったほうが絶対に自分が得をする、なので結局資源の浪費、大気汚染はとまらない。では、人間には環境問題は解決できないのであろうか?おそらくそうだ。では誰が解決するのか?私は、こう答える。神が解決すると。もちろん私は、新約聖書に乗っているキリストの神のことをいっているのではない。私は、アダムスミスの言うところの神の見えざる手が解決してくれるのではないかと考えている。つまり石油の値段が、国家社会が運営不可能になるまでに石油が枯渇し値段が高騰すれば、自然に人々は別のエネルギーに乗り換えるはずだ。個人的には人類は最終的には原子力に頼るとみている。もちろん、放射能汚染は恐ろしいが、二酸化炭素の放出を抑えるのが難しいのに対して、放射能はある程度技術で制御できる。あとは、人類が地球温暖化の被害を実際にこうむる程度まで環境が悪化すれば、人々は石油の値段に加えて負の外部効果を理解し、同じように石油からのシフトが起こるだろう。くしくも、石油文明の結果としてエルニーニョ現象が発生し、その結果メキシコ湾にハリケーンが発生し、石油施設を破壊してくれたおかげで石油高騰が起き、石油の消費が経たことを考えると、地球というのは人間が考える以上に偉大な調整機能をもっているのかもしれない。