民主党の小沢一郎代表は18日、盛岡市内で記者会見し、夏の参院選について「地域間格差、所得格差、雇用における身分と待遇の格差は国民に非常に身近で、日本社会の本質的問題でもある。われわれはそこに焦点を合わせ、訴えていきたい」と述べ、格差是正を前面に掲げる考えを改めて示した。
小沢氏は「最も豊かで平等な民主社会だった日本が小泉政権後、急速に不公平で不平等な社会になった」と指摘し、「このままいくと日本社会そのものが崩壊しかねない」と強調した。(21:05)
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私が斉藤氏の格差社会に関する本を読んだのが浪人のとき、およそ三年前。そのころから、この問題はメディアで取り上げ続けられてきた。しかし、既にこの話題も世間的には、お腹いっぱいな感があるのではないだろうか。メディアが報道のダシに使いすぎた。もうネタも一通りでつくしただろうし、そろそろ一回格差社会にすいて総括してみてもいいのではないかと考える。結局、格差社会が何故生まれ、そして何が問題で、結果今社会はどうなっているのか?第一に格差社会とは何か?そもそもの格差社会の問題というのは、日本の国民の中核をなす中流が、貧困化して下流に落ちることによって、少数の上流階級と大多数の下流民に分かれるというものだ。格差社会の元凶といわれるのが所謂ネオコン思想、ネオリベラリズムである。それは、政府による介入を排し、市場 や企業の活動を自由放任 する。企業や富裕層への減税 と間接税 増税、福祉 削減、規制緩和 などを積極的に行う考えだ。企業や金持ちを優遇して、民衆に増税する。結果、民衆は食い物にされどんどん貧しくなり、挙句教育の格差により身分の固定化まで進んでしまうというもの。この話が福祉や教育さまざまなバリエーションでとっかえひっかえ報道されてきた。
とは言うものの実際には格差社会というほどの身分社会は訪れてはいないようだ。いや最初から格差社会というものが実際を超えて誇張されて話題にされてきただけではないか。マスコミは消費者に二極化という恐怖を植え付け、企業はそれに乗じて新しい高級志向の商品を拡販してきた。一食数万円のディナー、ワイン、高級品の数々。六本木ヒルズも格差社会マーケティングの象徴のようなものではないか。もちろん、格差が広がっているような報道も連日連夜行われているが、実際にテレビで報道されている貧困層は、格差社会の登場人物である中流ではなく、もともとの生活に余裕の少ないそうではないか。彼等の貧困の原因は自由化というよりも、バブル崩壊以後の不況の延長線上の経済環境の継続的悪化であって、そもそも格差社会問題ではなく貧困層救済の問題で取り上げられるべきなのだ。
皆様は、プレジデントファミリーという吐き気を催すほど格差社会をあおっている雑誌をご存知だろうか?その中には、子供を上流にするためのしつけ方や、上流家庭の教育法、東大生の家庭の共通点、お金持ちの子供は幸せというような記事もあった。子供を下流にしてはいけない、あれしてはいけない、これしてはいけない。子供にピアノを習わせると数学の能力があがるだとか、水泳はIQをあげるだとか。毎回、表紙には超一流新学校の学生、黒ぶち眼鏡をかけた坊ちゃんがりの中学生や、いまどき珍しい蜜網の賢そうな女子高生がいる。でもさ、思うに本当の上流階級は、こんな雑誌見ないのさ。本当にプレジデントファミリーが上流の雑誌ならば、近所のファミマで売ってないし、都営地下鉄の中吊りに宣伝なんかいれないさ。結局、この手の「なんちゃって上流向け商品」てのは、中流に対して向けられてるってことだ。横並びの中流は嫌だ、少しでも上に行きたい。そんな中流の気持ちをみごとにつかんだのさ。だから、格差社会というミームはこれほどに大人気になったわけさ。周りは下に落ちて私が上に行くのさと。その一方で終身雇用、会社奉公的な日本の中流階級を負担に感じて、中の下くらいに落ちる人もいる。結論としては今まで上流、圧倒的人数の中流、そして下流の三段階だったのが。上流、準上流、中流、準下流、下流みたいな多段階階層になっただけじゃないかと。結局格差社会が存在するように見えるのは、マスコミの誇張と、実際にある階級の多層化、そして平成不況を原因とする貧困層の問題がごっちゃになっているからである。