・ 左-徐三庚印譜- 「心泉」 、 -「中國篆刻叢刊」 徐三庚 二 第二九巻 淸23 -p.124.125、 編集者 小林斗盦 發行所 二玄社 昭和57年第1版發行、.......・ 右 昨日掲載の木簡の臨書「、其心、」」、-八 乙本服傳釋文-2、「武威漢簡」 発行者 赤井清美 昭和47年発行、 –臨書筆「壽昌」、筆管銘「宿淨陳.靈品.壹號.壽昌.久保田號竹塢謹製」とあり-昭和二十八年-霊品「壽昌」筆を製作という-かなりの濃墨で、・・・・・「筆」-日本(和筆)の歩み 大正・昭和前期 -、、、此期の書道界に洵に多士済々であった。就中(なかんずく)、鳴鶴を盟主とする一派の勢力は他を圧していた。晩年の彼は最早、楊守敬直訳の六朝風一遍倒でなく、年と共に円熟さが加わって行った。その盟友・門下には、各々独自の風格と見識を備えた書家が多かった。従ってその用筆に於ても彼の長鋒純羊毫に批判的な人々も現われた。「比田井天来」(1872-1939)「丹羽海鶴」(1863-1931)等がそれで、各々可成り剛毛―馬・山馬等―を試用し、殊に海鶴はスッカリ剛毛党に転向した。文部省教員検定試験(書道)委員であった海鶴の用筆観は大正・昭和初期の初中等学校書道の用筆を一変せしめた と云ってもよい位であった。、、、p.91-「筆」木村陽山著 大学堂書店 昭和五十年発行・・・・・

