先月末の話ですが、人生2度目のレーシック(LASIK)手術を受けました。
言わずもがな、近視治療の角膜屈折矯正手術です。
このたび、レーシックについて長々と喋りたいと思います。
一回では書ききれないので4回に分割致します。
初回は1度目の手術について、長々と喋ります。
◆12年ぶりの手術
最初の手術は1999年11月(なかしん20歳)なので、およそ12年余り前です。
この12年の間に、
大学を卒業して社会人になり、
車は3台廃車にし(笑)、
結婚して離婚し(爆)、
5回引越して、
会社が倒産しそうなので転職して(その後本当に倒産。危なかった!)、
再婚し、
現在に至ります。
え?どうでもいい?
ああ、そうですか。
じゃ、次。
◆12年前の視力
なかしんは幼いころから遺伝的な強度の近視で、当時の視力は0.01前後。
メガネを作る際、その店で一番薄く高額なレンズを選ばないと、
レンズの厚みで眼鏡が重くなる程でした。
コンタクトレンズも試みましたが、ソフトでも痛くて目に合わず。
本当に近視には苦労しました。
親も気をもんでいたと見え、ある日親父が「手術で近視が良くなるらしい」と、
近視治療の本を買ってきました。

(当時の本とは違います)
それが最初のレーシック手術のきっかけです。
◆レーシック12年 今昔
今でこそレーシックは広く普及し市民権を得ていますが、
当時(20世紀末)の屈折治療といえば、角膜に放射状にメスを入れるRK。

メスに代わりレーザーを用いたレーシックは、まだ出始めで特殊な手術でした。

手術前に友人に近視治療の話をすると
「ちゃんと見えるようになるの?」
「危なくない?」
といった反応で、まだまだ高リスクという印象でした。
しかも当時レーシックはメチャメチャ高額で、手術だけで両眼60万余、
術前・術後検診も別料金で高額だったので、総額で80万程でした。
そんな高額な治療費を20歳の学生だったなかしんが払えるはずも無く、
両親が遺伝的近視に責任を感じ治療費を負担してくれたのでした。
感謝。
◆人生最初のレーシック・・・その効果は?
手術直後、手術台の上で目を開けたその時、天井に焦点が合いました。
奇跡降臨。
その時の喜びと興奮は今でも忘れられません。
0.01前後だった視力が、1.2に回復したのです。
鷹の目を手に入れたなかしん、人生変わりました。
その後大学を卒業して社会人になり、
車は3台廃車にし(笑)、
結婚して離婚し(爆)、
以下同・・・。
◆しかし、近視は確実に進行する。
近視を治療し人生を変えたかなしん。
転職で、念願だった自動車の開発職に就きました。
そこで待っていたのは、3D-CAD地獄。

朝から晩まで、CADとにらめっこ。

時には晩から朝までCADとにらめっこ。

(全ての画像はイメージであり実際の業務のものではありません。)
近視は、手術有無にかかわらず、近くを見続けると必ず進行します。
ゆっくりと、確実に、なかしんの目は悪くなっていったのでした。
近年は運転免許の更新さえ危うくなり、夜間運転や会議の時には
眼鏡が手放せない程の近視になってしまったのです。
(軽度近視なので、昔のようなブ厚いレンズではありませんが。)
なので、もう一回レーシック手術を受ける事に決めたのです。
次回に続く。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今回は1度目の手術について、長々と喋りました。
次回は、先月受けた2度目の手術について長々と喋ります。
3回目は、「良く見える」とは?のなかしん独自理論を長々と喋ります。
4回目は、これからレーシックを受けたい方向けの眼科選びを喋ります。
ではごきげんよう。
2012年1月8日 なかしん