今ある自分の姿というのは、過去の自分が行なってきたことの積み重ね。
なので英語というのは、また同じようにその積み重ねの中のいち部分にすぎないと思っています。
大事なのは、その積み重ねの先に、自分がどういう人間になっていたいのか、どんなことを成したいのか。
そういう問いに真摯に向き合って、人生考えていくことが大事なのだと思います。
何千という単語を地道に覚え、それが体に身につくまで途方もないくらい繰り返し、長い時間学習に費やさなければならないその忍耐を支えるものは、未来のなっていたい自分の姿なのだと思います。
そこが定まっていないと、途中で諦めてしまう、中途半端な結果しかだすことができません。
本気で英語を学びたいひとには、その人の人生をかけています。
戦時中、外国の言語を学ぶよう強いられた植民地の人たちは、皆ある期間を経てその言語を習得出来たという話を聞きます。
その言葉が喋れないと自分の命に関わるからです。
それくらいの熱意を持って、英語を学習することが出来ているか、
そこに、怠惰、自惚れ、妥協、緩慢、甘さはないか
日々自分に問いかけ、決して自分で自分を戒めることを怠ってはならないと思います
きっと日本にも、英語を話せなければやっていけない時代がくると思っています。
フィリピンのように幼少期から英語に親しみ当たり前のように使ってきた人たちにとっては、
呼吸を行うかの如くいともたやすいことでしょうが、そうでないひと達にとっては、半端ではない努力を求められます。
その時代に備え、自分は日々準備をすることが出来ているか、何が大事なのか見極めた後、行動に移すことが出来ているか、決して忘れてはならないことだと思います。