「運」~それ以外に考えられない事がありますね~半世紀前の思い出 | 企業の発展よりも国民の安全を!!

「運」~それ以外に考えられない事がありますね~半世紀前の思い出

人生にはどう仕様もない運のようなものが付きまといますね
私にとっての「運命」は半世紀以上昔の大雨の火に起こりました

1961年10月に別府・大分を結ぶ国道10号(通称「別大国道)の仏崎で起きた大分交通の路面電車の埋没事故

この事故の関連記事が2009年の大分合同新聞に出ました。 
それがこちら・・・

 大分市仏崎で1961年10月に起きた「別大電車埋没事故」で亡くなった大分大学付属中学校1年生3人を追悼するため、同級生(同校13回生)らが15日、事故現場で献花式を行った。花をささげて「いつまでも仲間だ」と呼び掛けた。

 同事故は、前日からの豪雨でがけ崩れが発生し、満員状態で走行していた別大電車が押しつぶされた。死者31人、重軽傷者36人の大惨事。同校生徒の▽望月光志さん(12)▽藤田哲也さん(12)▽中尾大二郎さん(13)=年齢は当時=も巻き込まれて亡くなった。
 献花式は還暦の同級会(同日開催)に併せて企画。同級生や恩師の志賀清己さん(82)、志手終吉さん(80)=いずれも大分市=ら35人が参加した。
 同級生代表の谷口俊一さん(60)=別府市=は「今年は3人の49回忌。人間は50回忌を迎えると『土に返る』と言われている。その前に一緒に同窓会に参加してほしい」と哀悼の言葉。さらに続けて、「わたしたちも40年もすれば3人のいる場所に行く。その時にはまた一緒に同級会をしよう」とあいさつした。
 同級生らは3人をしのびながら花をささげた。恩師の志賀さんは「同級生はみんな仲が良かった。だからこそ実現できた」と目を細めた。式後の同級会では3人の遺影を囲んで校歌を歌った。

  大分合同新聞 2009年8月16日
このころ大学生の私はこの電車で別府の自宅から大分市駄の原の大分大学に通学していました

 この日は大雨で大学構内も水浸し、講義は休講。
暢気な私はこれさいわいと研究室の隅で碁を打っていました。

そこへ友人が「帰ろう」と誘いに来ましたが、何しろ勝負事が好きな私ですから途中でやめるはずも無く
「これがすんでから帰るから先に帰って・・・」と送り出しました

その碁が終わって、帰ろうとすると構内の水は凄い
道路に出て電車の停留所へ向かう道は場所によっては膝までの水
でも帰らなければならないのでとにかく停留所へ

ところがいくら待っても電車が来ない
仕方がないのでバスに乗ったのですがこれが別府への国道(別大国道)の入り口でとまったきり動かない
ずいぶんして土砂崩れがあったので通れない、大分駅に引き返すと言う
駅に行ったが国鉄(いまのJR)も不通、帰る手段がなくなった

駅で偶然であった同期生の下宿にお邪魔していたら乗客名簿に誘いに来た友人の名前がある
友人と二人で見舞いに行くとさいわい怪我も無く無事でしたが、隣の席の方は亡くなったと言う

私は碁を打っていたことで助かったのかもしれない
人の人生、運不運はどこに転がっているか分からない、と恐ろしくなったのを思い出します。

この電車はなくなって久しいのですが、この場所を通るたびに31名の死者を出したこの事故を思い出し、偶然の怖さを思います。

何事にも慎重に、と言っても自然災害はどうしようもないことがあります。
でも用心して防げるものは最大限気をつけなければと思うこのごろです。

今回の熊本・大分地震でそのことを痛感しました
別府では震度6は一回だけでしたが、5や4の揺れが来るたびに「どこが安全か?」と考える日々でした
でも日本にいる限りそんな災害はいつ起こるのか分かりません、常に警戒と準備が必要ですね。