味覚は変わる。
年齢を重ねるごとに、味覚は変わっていく
と、最近、強く思うようになった。元々持つ資質(好き嫌い)や、環境(何を食べて育ったか)によって、その変化の仕方は変わるけれど、
子どもと大人の味覚の違い
というザックリした違いだけではないのではないだろうか。もっと、断続的に、否、むしろ継続的に変化している。2歳児の愛娘も毎月のように食の好みが変化しているし、私自身、食べ物だけでなくお酒の好みなども微妙に変化している。
ちなみに、私はこの頃、スモーキーな薫りがとても好きだ。
タスポを持たない嫌煙家の私だが、葉巻とか、パイプとか、手巻き煙草とかは嗜好の範囲に入ってきている。もちろん、燻製された食べ物とかはマイブームと言っていい。ポップコーンとか、ポテトチップスとか、ミックスナッツなど、何でもないツマミをスモークするだけで、凄く美味しくなる。
いずれ佃煮もスモークしてやろうと思っているほどだ。
それはさておき、日本文化というのが実は、詫び寂だけでなくて、渋谷、原宿の細分化されたギャルたちの文化であったり、秋葉原のオタク文化であったり、新橋ガード下のオヤジ文化だったり、色んな文化の複合からなっているように、
日本の食文化というのも、当然、年齢・性別・生息地などによって多様な食の嗜好があり、かつ、それは日々、微妙に変化している。
・・・という事実を忘れては食品、または飲食業界でやっていけないということに気がついた。
「若い人に佃煮をアピールしたら?」
的な話もあるけれど、もう少し掘って
・本当に佃煮を消費している(自分の嗜好の範囲に入れている)人たち
は当然、アプローチするとして、一方で、
・これから佃煮を消費しそうな(自分の嗜好の範囲に入りそう、または、入ってることに気付いていない)人たち
を、どう探し当て、どうアプローチするかを考えなければいけないのかなー、と。
・佃煮自体を変えていく
という考え方もあるけれど、なかなか難しい問題だわ。
今度はおれとお前、一対一の勝負だ!
昨日は、剣道三段の昇段審査。
見事、
・・・落ちました。
突然、審査基準が厳しくなっていたのはあるけれど、そんな中でも突出できなかったのが残念。
私にとって、挫折と言うに十分なほど堪えた出来事だけども、こういう挫折を乗り越えてやろう!と気持ちを180度振り向けたら、バルザックの『ペール・ゴリオ』の最後の一文、ラスティニャックがパリの社交界に向かって叫ぶ
今度はおれとお前、一対一の勝負だ!
という気持ちと重なってきた。
理屈に適ったものも、理不尽なものも、全てひっくるめて対峙してやろう!
コンチクショーで頑張ります
GWの素敵な出会い
GWは家族で軽井沢。
軽井沢の空気の良さは、東京に帰ってきて気がつかされる。人生の終盤、軽井沢で過ごすというのもありかもしれない。と、真剣に考え始めた。
5日の夜、軽井沢に在住の直木賞作家・F先生と、飲んだ。実はF先生とは、銀座の飲み屋で偶然会って、5分か10分くらい話をしただけの、ほぼほぼ初対面。(笑)
けど、ガッツリ飲んで、濃いぃ時間を共にしてきた。
そういえば、同じ5日の昼間は、近所の幼児教室で娘と同級生の男の子、のお父さん(初対面)とツーサムでゴルフ。昼間、母親と子供たちが遊ぶ約束をしていたので、その間、暇の出来たお父さん同士でゴルフでもしましょう。という流れ。
けど、これまた凄くナイスガイな方で、愉しい時間を共にしてきた。
素敵な人との出会いは、純粋に幸せを感じる。
結局、人間関係は、当然、社会的な立ち位置というのもあるけれど、共有した時間の長さとかよりも、波長が合うか合わないかのほうが大事なことも多い。
人の波長は内外からの影響を受けて常に少しずつ変わっている。けれど、自分に限って言えば、どうせなら自分が望む人たちの波長に合うよう変わっていったほうが、会いたい人や親しくなりたいと願う人との縁を無駄にせずにすむというもの。
それには、友人を選ぶことと(笑)、本を読むことだと思う。
人は、どんな本からも少なからず影響を受けるけれど、自分の望むベクトルに関しては特に影響を受ける。
GWの終わった今、これから読みたい積んだだけの本を前に、意を新たに読みこんでいく覚悟。