味覚は変わる。
年齢を重ねるごとに、味覚は変わっていく
と、最近、強く思うようになった。元々持つ資質(好き嫌い)や、環境(何を食べて育ったか)によって、その変化の仕方は変わるけれど、
子どもと大人の味覚の違い
というザックリした違いだけではないのではないだろうか。もっと、断続的に、否、むしろ継続的に変化している。2歳児の愛娘も毎月のように食の好みが変化しているし、私自身、食べ物だけでなくお酒の好みなども微妙に変化している。
ちなみに、私はこの頃、スモーキーな薫りがとても好きだ。
タスポを持たない嫌煙家の私だが、葉巻とか、パイプとか、手巻き煙草とかは嗜好の範囲に入ってきている。もちろん、燻製された食べ物とかはマイブームと言っていい。ポップコーンとか、ポテトチップスとか、ミックスナッツなど、何でもないツマミをスモークするだけで、凄く美味しくなる。
いずれ佃煮もスモークしてやろうと思っているほどだ。
それはさておき、日本文化というのが実は、詫び寂だけでなくて、渋谷、原宿の細分化されたギャルたちの文化であったり、秋葉原のオタク文化であったり、新橋ガード下のオヤジ文化だったり、色んな文化の複合からなっているように、
日本の食文化というのも、当然、年齢・性別・生息地などによって多様な食の嗜好があり、かつ、それは日々、微妙に変化している。
・・・という事実を忘れては食品、または飲食業界でやっていけないということに気がついた。
「若い人に佃煮をアピールしたら?」
的な話もあるけれど、もう少し掘って
・本当に佃煮を消費している(自分の嗜好の範囲に入れている)人たち
は当然、アプローチするとして、一方で、
・これから佃煮を消費しそうな(自分の嗜好の範囲に入りそう、または、入ってることに気付いていない)人たち
を、どう探し当て、どうアプローチするかを考えなければいけないのかなー、と。
・佃煮自体を変えていく
という考え方もあるけれど、なかなか難しい問題だわ。