フランス人交友記録

フランス人交友記録

フランス人との交流を通じて、日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書。

ブザンソンから ドゥさんの家まで車で約一時間走る。町ではなく、山の中の村で
Amanceyという。
ドゥさんというのは、ニックネームで、なぜそういうかというと、彼の名前(苗字)についていたDe(ドゥ)というところからきている。シャルル・ドゥ・ゴールもそうで、これは貴族の名前につくものである。初めて会ったときに、もしや?と思っていたのだが、2012年にここに来た時、それが証明されたのだった。
ファーストネームは、ベルトランで、奥さんはモニークという。前回は奥さんはまだ薬剤師として薬局を経営していたのだが、今回はその薬局を譲り、二人とも晴れてリタイアして、のんびり暮らしているのだった。

昼食は済ませていることを伝えていたので、部屋に荷物を降ろし、軽く飲み物をいただき、しばし休憩。
以前と変わらぬ部屋は、ここも独立していて、部屋にトイレもバスタブもシャワーもある。彼らは二階の寝室で寝るので、全く気兼ねなく過ごせる。

リビングで休んでいると、広い庭にロボットがおいてあった。これは芝刈りロボットで、以前図書館夫妻のシノンにある別宅の隣人が使っているのを見たことがある。
どこまでが敷地の境界なのかわかりにくいが、とても広い敷地であることは確かなので、これがあると便利だ。




フランスはこの後も雨が降ることがあっても、日本のように一日中降られるということはない。この日も突然雨が降ったりしたが、長くは続かないのが幸いだ。

このあとは、このフランシュコンテ地方といえば忘れてはならない世界的にも有名なチーズ、コンテの生産者を訪ねることにした。
ベルトランはいい車(BMW)に乗っているのだが、奥さんの車は国産(フランス車)
そして、この牧場へ行くときは汚れるからと言って奥さんの車で行った。前もそうだったかどうかは覚えていない。

彼らの友人でもあり、前回も訪ねている。
えさになる草が大切なんだそうだ。
後継者不足はどこも同じで、数十年前は50軒あった生産者が今はこの村でわずか2軒だという。
近所の小学生が2人手伝いに来ていた。彼らはとても興味を持ち、一生懸命手伝っていた。その気持ちがずっと続くことを願いたい。

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このあと、いったん家に帰り、モニークも一緒に友人である生産者宅へ行くことになった。
多分こういう手はずになっていたのだろう。
そこでは食前のアペリティフをごちそうになった。
コンテチーズの生産者の家はモダンで立派な家だった。
そういえば、ブルゴーニュのワイン生産者の家(アニエスの従弟夫妻)を訪れたときも田舎なのに新しくものすごく大きな家だったことが思い出された。

このあたりの食前酒として有名なのかグリオットという小さなサクランボの強い洋酒漬けのアルコールが出された。ポルトなんかも出ていて、奥さんたちはそれを飲んでいた。
この生産者宅でも最近は真空パックで持って帰れるようにしてくれるそうだが、この後帰国までの時間が長いことがわかると、帰国前のパリで真空にしてもらうほうがいいとアドバイスされた。
もちろんパリでは何もかも高いのだが、仕方がない。

 

ポンタリエはアニス(八角?)のお酒で、フランス人の好きな味↓

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いろいろ話をして、夕食はドゥさん宅で、ベルトランが作ってくれた。
この地方の有名なソーセージ、確か前回も食べた気がする。
モルトと小さいのはモンベリアールというどちらもジュラ地方の特産のソーセージだ。

そして、大好きなじゃがいもの料理グラタンドーフィノワだった。
もちろんハイカロリーだが、そこは気にしてはいけない。乳製品が名物のこの地方で
食べないわけにはいかない。
チーズは、モルビエという灰が入ったものだったが、これがまたおいしかった。

 



ドゥさん宅は3泊だったが、気温は11-14度でウールのセーターに軽めのダウンを着てもmまだ寒いくらいだった。