映画は吉田大八監督とハリーポッター系ぐらいしか行かない自分ですが、見てきました「リバーズ・エッジ」。
見に行った最大の理由は小沢健二が主題歌を歌っているから。というかそれ以上でも以下でもないです。正直。映画館の音響で聴くオザケン沁みた。
最後に「アルペジオPt.2」の話もあるよ。
あんまネタバレするしない考えずに感想書きまーす。気になる方はご注意。
原作も読んで行きました。筋に関しては本当に原作通り。THEマンガの映画化。
ぜんぜん映画わからないから、「行定監督お馴染みの~演出が~」とか言えなくて寂しい。そうえいば「ピンクとグレー」見てないやばい。
ただ脳裏に下北沢でのトークイベントでの宇野維正さんの「映画自体はXXXでしたよ。行定勲がXXXXだから、XXXXでしょ」という言葉が数回流れて映画鑑賞の邪魔をしました。
吉沢亮の演技初めてちゃんと見たかもしれない。CHEMISTRY堂珍が小山田圭吾の真似してるみたいで面白かった。
二階堂ふみちゃんは、事前によしもとよしともさんのインタビュー読んだせいで「座長感」が確かに気になった。笑
でもここまでいろんな人引っ張ってきてこれだけのもの作るのすごい。ホント尊敬する。
田島カンナは「過保護のカホコの高畑充希」がダブってしまって上手く捉えられなかった。あと顔がSUMIREに似すぎ。知らない人で混乱するひと居そう。
土居志央梨さん凄かったなぁ。売れるだろうなぁ。
唯一原作にないオリジナルは、要所で差し込まれる、AVのオープニングみたいな各登場人物へのインタビューシーン。
あれって普通はキャラ形成の為のエチュード的にやって、DVDの特典DISCとかに入れるパターンじゃないんですかね。
とはいえ個人的にはあのインタビューシーン、アリっちゃアリだったかなと思います。理由の一つは「あれ無いとマジでただの漫画の映像化すぎて何もなくなっちゃうから」。もう一つはあのシーンが差し込まれることで映画全体の「虚構」感が出るから。
「映画」が、起きている一連の事柄を(透明な存在の)カメラが映しているもの、だとすると、ああいうインタビューはその「一連の事柄」外の出来事ですよね。実際にあの日々の中に突然インタビュワーが出てきて、家族も知らないような事柄も知っている神の視点でインタビューしてきたら世界観ブチ壊しじゃないですか。なのでどちらかというと、「各人物の内省を具現化」
したものなのかな、と思うのです。とはいえ、ああいった形で映像化されてしまうと、「内省」と同時に、映画外のコト、例えば「役者と設定」「二階堂ふみと若草ハルナ」みたいなことが目に付いちゃう。そうすると次のシーンに行くときに「お、二階堂良い演技してるな」ってなっちゃう。それまでは「若草ハルナ」として見てたはずなのに。でもそれが良かったのかな、と。
何で「虚構」感が良かったかというと、直後のツイートでも言ったんですけど、
あと↑のよしもとよしともさんも言ってましたけど、
みんな1994年の日本ってそんなに今見たくない(見てる場合じゃない)んじゃないかな、と。
リバーズエッジ面白かったけど、
— 午前3時の初回生産限定盤SP🕒✖️🌈 (@3am_sp) 2018年2月20日
みんな1994年の日本について語りたい一方で
誰も1994年の日本を見たくない
のかも
と思った。
唯一見たいと思ってるのがオザケンだった、みたいな?
最近「いまホントに2018年?」って思う出来事多いですよね。あるいは90年代リバイバル?
X JAPAN、小沢健二&コーネリアス、カードキャプターさくら、セーラームーン、バブリーダンス・・・。
一方で「あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ すべてが思うほどうまくはいかないみたいだ」と感じているわけですよ。
SMAPも小室哲哉も安室奈美恵も居ない、中国やインドには負ける、アメリカには相変わらずなんも言えない、有名アーティストは世界ツアーから日本を外す、CDショップがどんどん閉店する、みんなしたくもない残業してる、それなのに何故かみんな従来通りのやり方を変えようとしないし、イマイチ全体的な危機感はないし…。
で、なんとなくみんな、さだまさし「風に立つライオン」言うところの「やはり僕たちの国は残念だけれど何か大切な処で道を間違えたようですね」って思ってるんじゃない?その「大切な処」って、もしかしたら1994年だったんじゃない?みんなはそんな自分たちの痛いところを突かれる形で1994年なんか振り返りたくない(見たくない)んじゃない?河原にある死体を見つけて見下ろしてる場合じゃなかった、自己快楽のために仲間と争ってる場合じゃなかった、って気付いちゃうじゃない?バブリーダンスとか、「LIFE」とか、そういう「良かった」と思える形でしか90年代を振り返りたくないんじゃない?
だから「リバーズ・エッジ」そんなにお客さん入ってないんじゃない?
そしてその中に颯爽と90年代の旗を立てに、それはつまり「道を間違えた」僕たちに、「本当のこと」を伝えに小沢健二は帰ってきたんじゃない?
もしかして「今もスゴい」岡崎京子は、そんなかんじのことを今言いたいんじゃない?
ということにならないように、みんなが「直視したくない94年」の映像にしない為に、ある程度「虚構だよ」という部分をチラ見せすることで、落ち着かせようとしたんじゃないかな、と。上手くいってるかどうかわかんないけど。
・・・
ええと、映画に話を戻すと色々なところで言われてるハルナの唐突な音楽趣味(MUSIC MAGAZINE、ターンテーブルをローンで買う、レコード集めてる、モンキーズTシャツ)は本当に意味不明。急に違和感がすごかった。なんの意図があったんだろ。
一方で色々なところで言われてる「設定が1994年なこと」自体についてはそんなに違和感無かったです。「1994年でござい!どや!」みたいに「それっぽい」ものをむやみやたらに映されるよりも、なんか要所でわかるけど、今のトーンで撮る感じが見やすくて全然良かったです。CUTiEが1994年2月号だったね。
さて、お待ちかね(?)小沢健二がひふみよで触れている「アルペジオPt.2」ですが
・基本は「アルペジオ」の1番のインスト版
・そこにトランペットの音(CDの感想よりさらに「Penny Lane」感増してる)とか、カルテットのピチカートとか、「アルペジオ」では聞こえない音が乗ってる。
・個人的にはイントロのギターが別テイクに聞こえた。
これは想像ですけど、これはこれでありえたかもしれない「アルペジオ」の1番なのかな、と。
こういうちょっと音マシマシのパターンも録ってみたけど、結果的には今のシンプルな、アルペジオとオルガンと一筆書きのようなストリングスに収まりました、というそういうことなのかなと思いました。
もっとエンドロールが長ければ、「アルペジオPt.2」もっと聴けたのに!
あとエンドロール流れはじめた瞬間帰った人たちと私は分かり合えるのでしょうか。
