こんにちは。
今回も数あるブログの中から
こちらにお越し下さいまして
本当にありがとうございます。
さて、前回
「僕自身のこと 1」
で
学級委員になった時に
うまくまとめられなかったことに対して
「今、IRMを学んだ身として考えると、
なぜうまくまとめられなかったのか、
そもそもなぜそういう役回りが
回ってきたのか、という、
なぜそういう体験をしたのか
その体験の意味というのも
よくわかる感じがします」
と書きましたが、
そのことについて、お話ししますね。
なぜうまくまとめられなかったか、
というと
上から押さえつけて、
何でも自分(上野)の言うとおりに
させなければいけないと思っていたからです。
それが、クラスをまとめるということだし
引っ張るということだと
思い込んでいたわけです。
これも、今から考えると、ですが
そういう思い込みの中で
やられるわけですから
クラスのみんなは
たまったものではなかったと思うのです。
言ってみれば
「自分の言いなりになれ」
「ならなければいけない」
というエネルギーを
発せられていたようなものだと思うので。
で、当然のように、
反発を受けたわけです。
でも、その当時の自分は
当然IRMも知りませんし、
基本、いじめられっ子なので
そもそもそういう役割に
慣れていないものですから
動揺するわけです。
もっとストレートに言うと、
怒るわけです。
なんで言うことに従わないんだ!と。
そうなると、余計、
みんなは反発したくなりますよね。
もう収拾がつかなくなるし、
僕自身はさらに自信を失うし、
みたいなことだったわけです。
(慣れていないのだから
自信も何もないわけですが)
そういうありさまになって
なし崩し的にその役割は
終わりを迎えたような気がするのですが
(はっきり覚えていないのです)
ではなぜ、
クラスをまとめる役割が回ってきたか、
そういう体験が
起こってきたのかということですが、
そういう、上から力で従わせる、
極端に言うと、
無理やり力でねじふせて従わせる、
という価値観を
僕が持っていたからです。
そして、その価値観を
修正させてくれるチャンスとして
その体験(現実)が起こってきた、
ということです。
価値観的な言い方で言うと
「無理やり力づくで
従わせなければいけない。」
という価値観です。
これは、顕在意識で、
常にそんなことを思っている
ということではありません。
でも、いざという時
(今回の例で言うと、
上に立ってクラスをまとめるというような時)
その価値観をバーンと打ち出した
行動になるわけです。
で、反発を受ける。
そこで、気がついて、
「ああ、こういうやり方じゃなくて
例えば下から支えるような
クラスもまとめ方もあるよね」
と気がついて、それをしたならば
よかったのかもしれません。
でも、そうすることはできないまま
(何が悪かったのかに気づかないまま)
その体験は終わっていったわけです。
言い換えると、
その体験で学ぶべきことを
積み残してしまった、ということです。
すると、どうなるかというと
やはり、あとあと
同じような体験をすることになるのです。
積み残しですから、それを
積み残さないように、
また起こってきてくれるわけです。
必ず、学ばせてもらえる、
という言い方もできますし
逃げようと思っても、逃げられない、
という言い方もできるでしょう。
実際、そういう体験がありました。
長くなりましたので、
今回はここまでとさせて頂きます。
最後までお読み下さいまして、
本当にありがとうございました。
あなたにとって、今日も魂が喜ぶ
最高にハッピーな1日でありますよう
お祈りしています。