こんばんは。
今回も、数あるブログの中から
こちらにお越し下さいまして
誠にありがとうございます。
今日は、最近、
自己観察したものの
シェアをさせていただきます。
何かやるべきことができなくて
自分を責めてしまう…というような方など
もし何かのヒントにして頂けましたら、
幸いです。
↓ ↓ ↓
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① 出来事
もうひとつのやるべき仕事が遅れていて、
できなくて、デトックスが出る。
② 感情
怒り、不安、不満、自己嫌悪、恐怖
③ 目的
どうなりたいのか?
そちらの仕事のマスターになりたいのか?
そうではない。
そちらはつつがないくらいでやれればいい。
カウンセリングの仕事に邁進したい。
それを目的とする。
④ 価値観
一番強い感情は何か?
自己嫌悪と思っていたが、
そうでもないらしい。
できなくて、
お得意さんとか周りの人から
「こいつバカだ」
「こいつダメだ、
役立たずだ、できない奴だ」
と思われることが
一番嫌なようである。
たまらない。
すごくたまらない。
別にお金が入らなくなるとか、
食べられなくなるとかも大変だが
そういう風に思われる方がイヤだ。
耐えられない。
そういう目で見られるのがイヤなのだ。
それへの感情は?
恐怖。
そういう目で見られることが恐い。
自分の評価が下がることが恐い。
確かに怖い。恐怖だ。
恐怖が出る理由は?
評価が下がると、
もう生きていってはいけないから。
評価が下がると、
生きている資格がないから。
評価が下がると、死ぬしかないから。
この中で一番強いのは?
評価が下がると、
生きてる資格がないから。
価値観
評価が下がったら、
生きる資格はない。
生きていてはいけない。
なぜそう思うのか?
評価が下がったら、
周りから相手にされなくなって
仕事もなくなって、
お金もなくなって、
食べられなくなるから。
そう思うきっかけは?
わからない。
両親か?確かに見栄っ張りだった。
それは100%真実か?例外はないのか?
そうとも言えない。
評価が下がっても、
生きる資格がないとまでは言えない。
政治家とか、芸能人なんて、
評価が下がっても生きているし
ワースト10みたいなランキングだってある。
それで名前が売れてる人もいる。
不人気という人気、
ということだってあるだろう。
生きている間に全然評価されなくて
死んでからすごく評価される偉人、
なんていう人はごまんといる。
そういう人が、生前、
生きてる価値がないかっていうと
そんなことは絶対ないのである。
と、今、これを書いていて
急に湧いてきた。
命を軽んじてるのだ。
だから、生きてる資格がないとか
ポンポン出てくるのだ。
人にもぶつけるのだ。
子供の頃の友人や、姉、
他にもいっぱいぶつけてきたと思う。
生きてる資格ないよって。
ほんとにごめんなさい。(自分にもだ)
命の価値を軽んじてるから
こういう思い(価値観)が出てくるのだ。
「命は、軽んじなければならない」
という価値観。
あー、これこそ
命をバカにしてる証拠なのだ。
自分も、他人も、ものも、
全ての価値(命)をバカにしなきゃいけない、
っていう価値観を持ってるんだから
そうなって当然なのだ。
姉についての自己観察(※)をした時に、
幸田先生から、
「あらゆるものが粗末になり、
そういう世界を映してしまう」
というお言葉を頂いたが
これだったのだ。
本当にそうなのだ。
その時わかったつもりのようなことを
書いた記憶もあるけど
全然わかってなかったのだ。
(当時もこれはわかってなかったかな)
本当にそうなのだ。
命をバカにしてた、っていうか
バカにしなきゃいけない、と思ってた。
そりゃこういう現実になるわけだし、
ひどいもんなのだ。
命を、本当に軽んじてたのだ。
傲慢なんてもんじゃなくて、
本当にもう、
命への冒涜(ぼうとく)なのだ。
どんだけなのだ、ほんとに。
そりゃこれだけ命をバカにすれば
こうなるし
人からいじめられるしバカにされるし
(自分がやってるということ)
上から目線にもなるのだ。
だってバカにしてるんだもん。
命は軽んじなければならない。
軽んじるべきだ、という価値観。
なぜそう思うのか?
わからない。
前世でそういうことをやっていたのか?
そう思うきっかけは?
わからない。
それは100%真実か?例外はないのか?
真実じゃない。
命は尊いもので、バカにするべきものじゃない。
命があるから色々な体験ができるわけで、
本当にありがたく、尊いもの。
軽んじるべきものじゃないです。
その価値観は本当に必要か?
一生持っていたいか?
いたくない。必要じゃない。
これはこれで、
こういうのを持ってると
こうなるとわかったんでありがたいが
手放したい。
自分も同じようなことをしていないか?
しまくっている。
自他とも、命を軽んじている。
昔から他人をバカにし、
自分もバカにしている。
でも、
なんでそんな価値観を持ったのだろう?
絶対いいと思って持った価値観だろうから。
こう書いているうちに、思いがわいてきた。
成長したかったのだ。
自分を成長させたかったのだ。
もっともっと、
もっともっともっともっともっと
成長したかったのだ。
させたかったのだ。
そのために、
現状じゃダメだと、まだまだダメなんだと
否定することで成長させたかったのだ。
否定することが、
成長させる特効薬だと思ってたのだ。
だから、自分でも他人でも否定するし、
それの究極形が命の否定なんじゃないのか?
それで成長すると思って。
否定することで、人は成長する、
人を成長させるには、
その人を否定しなければいけない、
という価値観があるのだ。
だから否定から入るのだ。
でもその否定は、否定したくてしてるんじゃなくて、
上野なりのエールなのだ。応援なのだ。
だから「命を否定」していたのだ。
そういう価値観を持っていた上野にとって
全然悪いことじゃないから、
どれだけ頭でわかったとしても
手放す気なんてさらさらなかったのだ。
だっていいことやってんだもん、
どこが悪いのって。
思いやりであり、
あったかいこころだったんだ。
そういう、あったかい思いやりで、
否定して、命も否定したんだ。
いいことしてたんだ。いいこと。
だから手放せなかったし、
そんな気、潜在意識では全くなかったのだ。
だからいつまで経ってもやってたのだ。
そうして、
上野を成長させようとして、
育てようとして
やってくれてたのだ。
守ってくれてたのだ。
この価値観さんが。
否定の価値観さんが。
命を否定する価値観さんが。
そうしてくれてたのだ。
矛盾みたいだけど。
本当にありがたいのだ。
ありがたいのだ。
本当にありがたいのだ。
その価値観さんが
守ってくれていたからこそ
今まで、こうして生きて来られたのだ。
本当に見守っていて下さって
ありがたかったのだ。
でも、もう卒業なのだ。
成長するために、
否定する必要はないのだ。
むしろ、弊害の方があるらしいのだ。
自分を否定しなければいけない。
否定しなければ成長できない。
そういう価値観もあったと思うが、
それもいらないのだ。
自分も同じようなことをしたことはないか?
ある。他人をも否定しまくっている。
だから他人からも否定される。
あー、昔、
振られ続けた経験って
これだったのかもしれない。
これに気づかせてくれる
ためだったかもしれない。
あなた自分で自分のこと否定してるよ、
って。
そういう価値観持ってるよって。
次から次へと教えてくれてたのだ。
本当に上野だったのだ。
目の前に上野が立ってて、
振られた感じのイメージがする。
人のことも、ものも、
お金も、すごく否定してた。
時間も、そうだと思う。
人生(命)って時間だから。
この体験から何を学び、
何をギフトとできるか?
上野の否定癖は、
成長させたいという思いやりから
来ているのだと言うことが気づけて
ただ、いらないから、不快だから手放す、
というのではなくて
否定して手放すのではなくて、
肯定して、感謝して手放すことができるという
ギフトを頂けた。
もしかしたら、
ここまで肯定・感謝して手放す、というのは
初めてかもしれない。
本当にありがたいこと。
浄化率
100%(以上の感じ)
純粋動機でオーダーを出す
で、どうなりたいか?
自分を否定しない。
自分を肯定していく。
他人を肯定していく。
ものもお金も時間も、あらゆるものを肯定し
大事にしていく。
周りの方々(あらゆる存在)に恩返しをしていく。
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自己観察はここまでです。
念のためにお伝えしますが
あくまでも、僕がこうだった時に
こういう自己観察をして
そういう価値観があった、
ということですので
自分を責めてしまいがちになる方のすべてが
そういう価値観を持っている、
ということが言いたいわけでは
決してありませんので
ご理解頂けますとありがたいです。
※
また、これが自己観察のお手本です、
というわけでもありませんので
それもあわせてご理解頂けますと
大変ありがたいです。
くりかえしになりますが
もし、何かのヒントにして頂けましたら
大変ありがたいです。
最後までお読みくださいまして
本当にありがとうございました。
あなたにとって
今日も最高に
魂が喜ぶ1日になりますように
お祈りしています。
※
文中「姉についての自己観察」
とありますが、
それは、
2013年5月10日の
こちら
の記事
「あなたはもっと悲しんでいい」に
のっております。
この記事を
興味深くお読み下さいました方には
また、興味深く
読んで頂けるのではと思いますので
もしよろしければ
そちらもご覧いただけましたら、
と思います。