「生きてる間」と「生き続ける」(つぶやき記事です) | 運命☆好転!ハッピーブログ  ~人生をよりハイクオリティにする1つの方法 IRM~ 

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人間、生まれ変わりはある、と言っても
とりあえず今生は今生だから
やっぱり生きてる間だよな。

今持ってきてるものは
やっぱり今生きてるうちに清算したいしな。

生きてる間だよな。

うん。

でも、今日思ったんだけど
亡くなっても、死んでない、
というのもあると思ったのさ。

結局、人の存在、というのは
その人を知ってる人とか
記憶している人の頭の中にいると思うのだ。

ちょっとここから長くなって
理屈っぽくなるけど。

例えば、自分が道を歩いていて
角を曲がったら、知らない人(Aさん、とします)が
立ってたとします。

そうした時に
このAさん、はその前から生きてはいただろうけれど
自分にとっては角を曲がって目にするまでは
Aさんは存在してない、生きていない、
と言ってもいいんじゃないかと思ったのです。

だから、
存在って、自分の頭の中にいる、
っていうことじゃないかな、って。

いえ、
そりゃ無茶だよ」
という方もいらっしゃると思います。
これが絶対とかも思いません。

何でこれを思いついたか、っていうと
上野は、20歳の時に
父がなくなりました。

で、そんなに自分では
ショックではなかったように記憶しているのですが
「何かを几帳面にやる」
「きちっとやる」
みたいなところが
父がなくなってからを境に
上野の中に欠落したんじゃないかな、って思ったんです。

単に自分がだらしないだけで
父がなくなったせいにしてるのかもしれないんですが
何かこう、自分の中を観て行った時に
そう感じたのです。

で、じゃあ父は亡くなったのか?
もう二度と自分の中に存在させることはできないのか?
と思ったのです。

勿論、魔術師じゃないわけですから
らせて、また話ができたり、
ということはありません。
当たり前のことです。

でも、頭の中の存在として
意識ずべき存在として
存在させることは
できるんじゃないかなあって思ったのです。

だから、まだ死んでないし
自分がそう意識する限り
いつまでも生き続けるんじゃないかなあ、と。

いえ、ほんとに今自分や周りの方が病気等で
がどうなるか、というところに
立っている方からしてみれば
こんなものは寝言、世迷言(よまいごと)
にすぎないと思うんです。

最初、生きてる間、と書いてて
生き続ける、というのも
矛盾と言えば矛盾じゃないか、というのも
思うのです。

でもなんかね。そういう風に思ったんです。
備忘録的に書かせて頂きました。

ここまでお読み下さいまして
貴重な時間を頂きまして
本当にありがとうございました。

あなた様にとって
今日も最高にHappyな1日でありますよう
心よりお祈り申し上げます。