こんばんは。
本日もお越し下さいまして、ありがとうございます。
今日、人身事故で、乗っていた電車が遅れました。
これは何を観ろって言われてるのかなあ、と思いながら、「あ、今自分イライラしている」と思いながらイライラを感じていると、ほどなく電車が動き始めました。
いろいろ自己観察することがあったのでそれはそこまでになってしまったのですが、きっと何かあるんだろうなあ、と思います。
幸田先生もよくおっしゃるのですが
「癒やされていない感情が、私を観て!もっとかまって!とサインを出してきているわけだから、無視しないで、しっかり観てあげること。
子供が親の気を引きたくて騒いでいる時に無視されるともっと騒ぐのと同じ」
だということです。
何気ない日常の中に隠れるヒントを、取りこぼさないようにしたいなと思いました。
<幸田先生語録>
対処よりまず感情を観ること。
対処に走っても、本質的な解決になりません。
そのことで、何が一番自分にとってイヤなのか?
それをじっくりと感じ取ることが大切です。
昨日の記事の続きです。
AさんBさんの事で、実は自分の中で「ちゃんとBさんに伝えなかった自分が悪いのだから、Aさんが返すべきお金を自分が持とう(ペナルティとして負担しよう)」と思っていました。
そんな時に、カギのことが起こったのです。
「あなた、対処に走ろうとしてるよ、それじゃ何にもならないよ。感情を観なさい。本質に向かいなさい」と言われているわけでした。
でも、最初は本当にわかりませんでした。
なので、何が一番嫌なのかを考えて(感じて)みました。
(自分の連絡不行き届きはここでは脇において)
すると
「本当は全額返すべきAさんが、半分しか返さないと言っていること。
なぜそう言うかというと、Aさんが同じ状況だった時に半分よりもっと返ってこなかった、という経験があるから。(Aさん談)
でもそれはBさんには無関係であり、私から見ると根拠なくお金をもらうことであり、それが納得いかなかった、許せなかった。
いくら周りがそうしているからと言っても、だからと言ってそれを自分がしていいということにはならないだろ、という思い(怒り)がある。」
という気持ちであることがわかりました。
ここまで思った時に、ハタとあることに気づきました。
別の契約ごとで、大家さんに、ある報酬を頂こうと思っていました。
それは今までも頂いているものであり、大家さんも納得して下さっているのですが、自分の中では本来的には頂く根拠のない報酬でした。
それを「周りもそうしているんだから、今はそれが常識なんだから」という言葉(呪文)で納得させていました。
勿論単純に、収入が増えるということも魅力でしたし。
特に今回はそれを頂くことに抵抗があり、それをいろいろな理由を自分の中でくっつけて納得させようとしていました。
その自分の姿と、Aさんが重なりあいました。
「(私から見て)頂く根拠のないお金をもらおうとしている。」
「周りがそうしているから、今はそれが常識だから、ということでやろうとしている。」
そういう自分の姿を、Aさんが見せてくれていたわけです。
自分の番になると、いろいろ言い訳やら常識やら呪文やらを繰り出してごまかそうとしてしまうわけですが、本当の心はだませません。
Aさんを観て嫌な自分、というのが確実にここにいるのです。
自分を嫌いになるような行為を、自らしようとしている、ということです。(意識はしていなくても。)
おまえはこういう嫌なことをしようとしているんだよ。
その嫌さは、自分が一番感じているでしょ。
相手がどういう気持ちか、わかったでしょ。
だとしたら、どうするの?
自分につきつけられている感覚です。
結局、その報酬を頂くのをやめることにしました。
いったん作った明細書を作りなおしました。
さらに言えば、潜在的には、それを頂かないと大変だ、という恐怖感があったのだと思います。
それも不要、というか自分でそう思えばそういう状況を作り出してしまうことになるので、手放しました。
そして、数時間後。
意を決して、Bさんに、「Aさんが、半分しか返しませんと言っています」と電話で伝えました。
(猛反発覚悟で)
すると
「承知しました。それで結構です。」
とのお答え。
えーーーーっ!!
びっくりしました。
Bさんはお金にきちんとした方であり、普段から、そして今回のことにかかわる言動から見てもとてもそうおっしゃるとは思えませんでした。
しかも、私から見ても「全額で普通」だったのですから。
もう、ただひたすらに感謝して、電話を終えました。
私がお金を負担する必要もなくなりました。
おかげさまで、胸をなでおろすことができました。
勿論
「一連のことは単なる妄想(思い込み)であり、報酬をもらおうと貰うまいと、自己観察してもしなくても、結果は同じだったのでは?」
という観方もできると思います。
実際、そうだったかもしれません。
人生、同時に2つの道は歩めないので実証のしようはありませんが、私は、自己観察のおかげだと思っています。
そういうことが、今までも何度もありましたので。
(それも、思い込みと言えばそうなのですが。)
でも、そのおかげだと思っていた方が幸せだな、と、今思いました。
なぜかというと、これをしてれば安心、と思えるからです。
偶然に起きたんだ、では自分でどうすることもできません。
その偶然が次いつ起こってくれるかわからないからです。
自分が創造主、という考え方にも共通していると思いますが、その方が、人生を手の中に入れられる感覚があるんだなと思いました。
その方がすこぶる安心だな、と。
ここまでお読みくださいましたあなた様、本当にありがとうございました。
(2回にわたりこの稿をお読みくださいましたあなた様には、深く御礼申し上げます。本当に本当にありがとうございました。)
あなた様にとって、今日も最高に充実した1日でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。
追伸
「結局Aさんは半分もらえることになったんだから、その報酬も貰っていい、という解釈になるんじゃないの」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。(話の筋道から言いますと。)
ただ、私はそうは思わなかったです。
自分の気持ちいい方はそちらではなかったので、選択しなかった、という感じです。
※
話の全般についてですが、何を選択してもいいのだと思います。
何を心地よく思うかは全くの自由だと思います。
ただ私はこうだった、と言うだけの話ですので、ご理解のほど、よろしくお願い致します。
ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございました。