こんばんは。
こちらにお越し下さいまして、誠にありがとうございます。
お元気ですか?
くれぐれもお元気でお過ごし下さい。
それでは、参ります。
<幸田先生のお言葉>
ちょっとしたネガティブな感情でも、観察する習慣をつける。
<私の実践>
①出来事
冷蔵庫から出したはずの卵が見つからず、母から「どこいったんだろうね」と言われた。
②感情
腹が立った。
③価値観
どこ行ったんだろうね、と言われ、出さなかったんじゃないの、と返事をしたら
「いや、あなた持ってたもん」と反論され、余計に腹が立った。
そこで腹が立つ価値観・・・
批判されていると思っている。
あなた卵なくしちゃってどうしようもないわね、と翻訳して聞いている。
「卵をなくすことは許されざる出来事である」と自らを断じている。
あるいは、卵をどこへ置いたか忘れた、物忘れをしている自分を許せないでいる。
物忘れを許せない価値観を持っている。
(母のことが絡んでいることはよくわかる。こんなのも覚えてないの?とか思ったりするので。)
なぜ、忘れてはいけないのか?
そもそも「忘れる」とは何か?
忘れる、とは手放すということ。
忘れる機能があるから人は生きてゆけるのだ、という言葉を聞いたことがあるが、そういうメリットもある。
そうか、忘れてもいい場合もあるのだ。
だから、母が物忘れしても、ガスの消し忘れとか危険なことでなければ、いいのだ。
同様に、私も忘れてもいいし、手放してもいいのだ。
そうしないと、新しいものは入ってこない、入るスペースがなくなってしまうのだ。
物忘れって、入るスペースをあけることかもしれない。
④対処法
手放す。
今、ライブで自己観察しました。
気持ちがスッとしました。
卵はまだ見つかっていませんが、また進展がありましたらお伝えします。
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
あなた様のさらなるお幸せを、お祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。
上野 聡一朗 拝