腎不全で、

30年透析を続けている彼と出会い、
私はこれまで知らなかった世界に触れることになりました。

透析と一言でいっても、
その内容は人によって違うそうです。

1回4時間の人もいれば、
彼のように7時間の人もいる。

週3回が一般的ではあるけれど、
状態によって回数も時間も変わってくる。

彼は、

週3回、

1回7時間。

その間はベッドの上で過ごし、
基本的には動くことができません。

もし途中でトイレに行くとなると、
透析を一時的に止めて外さなければならない。

それは体への負担や効率の面でも、
できるだけ避けたいこと。

そして彼は腎不全のため、
尿が出ない「無尿」の状態。

だから透析中にトイレに行くとすれば、
大きい方だけ。

それでも彼は、
30年の透析生活の中で、
一度も途中でトイレに立ったことがないそうです。

一方で、長時間の透析に耐えきれず、
「帰りたい」「つらい」と訴えたり、
叫んだりする人もいると聞きました。

それも無理はない。。。

数時間、ベッドの上で動けない。
それを週に何度も繰り返す生活。

想像するだけでも、
その大変さは十分に伝わってきます。

それでも彼は、30年間、
週3回・1回7時間という透析を続けてきました。


ここでふと考えます。

1回7時間。
週に3回。

それだけで、週に21時間。

移動や前後の時間を含めたら、
さらに多くの時間が透析に使われているはずです。

1日の中で自由に使える時間が、
最初から削られているということ。

やりたいことがあっても、
その時間は確実にそこには使えない。

普通に生活している私たちが持っている「時間」と、
彼が持っている「時間」は、
同じようでいて、

まったく違うものなんだと思います。

好きな時に出かけること。
思いつきで何かを始めること。
時間を気にせず没頭すること。

そういう当たり前が、

当たり前ではない。

どこへ行くにも、

何をするにも、
常に透析のスケジュールが前提にある。

時間の使い方そのものが、
最初から制限されている人生。

その現実を思うと、
好きな時に動けて、

好きなことができる自分は、
どれだけ恵まれているんだろうと感じます。

自分の体が自由に動くこと。
何気ない日常を送れていること。

それがどれだけありがたいことなのか、
あらためて気づかされました。

彼の生活の中にある不自由さ。

その中で、
どう向き合い、

どう過ごすのか。

彼は、

彼なりにその時間と向き合いながら生きている。

そして何より、
透析生活について愚痴をこぼさない。


限られた時間の中で、
できることに目を向けている。

その強さは、
本当にすごいと思うし、
心から尊敬しています。
 

 

 

by.RedBeat