KIINA.との再会が目前に迫ってきました。
今日は、17時少し前からそわそわ...。
予定どおりだったら今頃、東京ガーデンシアターの座席にすわって、開演を、そしてKIINA.の登場を待っていたんだろうな。
どんな衣装で、オープニングはどの曲?
そして、開口一番、どんな言葉を?
心を静かにして、想像していました。
以下は、思い切り過去の思いを振り返るものなので、未来だけ見たいと思われる方はスルーしていただければと思います。
1年8か月、いえ、KIINA.がお休みすることを発表したその日からなので2年7か月間。
わたしはずっとすっと、KIINA.がまたわたしたちの前にもどってきてくれるこの日を待っていたのです。
思えば3年近い日々、KIINA.を愛する皆さんとの交流のおかげで、思えばあっという間でした。
信じていても、KIINA.がまた帰ってきたいと思ってくださるのか、その胸中を勝手ながら想像して、心に冷たい風が吹いたこともありました。
KIINA.会のメンバーの皆さん、ブログをお読みくださる皆さまには感謝しかありません。
くりかえし思い出すいくつかの出来事や言葉がありました。
神戸で遭遇したある方の言葉も幾度となく大きな支えとなってきました。
このことは、その当時もブログに書いていますが、
神戸国際会館でのコンサートが終わったあと、会館前で運良くすぐにタクシーに乗ることができたのですが、
「今日はどなたのコンサートだったんですか?」
と運転手さんにきかれて、わたしは”氷川きよしさんです”と答えました。
運転手さんは、
「ああそうでしたか。
氷川きよしさん、すごいですよね。ずっと第一線で。ほんとうに立派な方だと思います。
でも、今年で活動をやめるとか?」
と、きよしさんの話題をつづけたので、新神戸駅に着くまでの間、きよしさんのことで会話が弾みました。
そのなかで、この日のコンサートでブローカー云々の話題がでたことをわたしが話したからでしょうか。
「動くお金の桁が違うでしょうから。我々の想像もつかないような悩みや問題があるんでしょうね。
一生懸命働いて利益をうんでも氷川さんに入ってくるのはきっとその数パーセントでしょう?
こんな人達を儲けさせるためになんてやってられないと思うことがあっても当然ですよ。
でも、ご家族や、自分を応援してくれるファンがいるからやってこれたんじゃないですか。
そうでなければ、20年以上もつづけてこられなかったと思いますよ」と。
運転手さんはさらにこんなふうにおっしゃいました。
「そんな氷川さんがお休みするというなら、黙ってみていてあげるのがほんとうのファンじゃないでしょうかね?
それで彼がまた歌うとなったら、心から応援する」
その言葉をきいて、ああそうか、わたしは黙ってみていたらいいんだと、天からの答えをいただいたように思えたのです。
それまでkiinaが何と戦ってきたのか、最近になって芸能の世界の、それもスター歌手だからこその様々な弊害のような出来事をしり、どれだけ歌うこと以外の煩わしいものがあったのかと愕然とたのです。
でもそのことを少しもファンに気取らせず、”氷川きよし”を守りぬいてくださってきたのですね。
ほんとうにどれだけの敵がいたのでしょう。
そのときのコンサートで、
「これまで並大抵のことではやってこられませんでした。
一見、気が弱そうにみえるかもしれないけど、根本は負けん気が強いんです。
歌手をやめる方もいらっしゃいますけど、そこにはメディアにはでない事情があったりします。
ファンの方のためにこの命を捧げるという思いも大事なんだけど、(それだけになってしまうと)それでバランスを崩すんだと思うようになりました。
人間て弱いですからね~。
自分はスタッフには恵まれています。チームkiinaは素晴らしいです。
23年(この仕事を)やってると、いろんな人、ブローカーとか入ってきて。
人間、うしないます。
わけのわからない人がはいってきて、お金もってちゃって。何あれ?
だから(この世界の)汚いところも全部みてきた。
スタッフにも悪いのがはいってきて。自分の城の中にね、はいってきたこともありました」
kiinaがたまっていた毒を吐くようにそんな話題をされました。
そんなことをこれまでファンに少しも気取らせず、芸能界のダークな部分とは無縁と思わせてくれたのも、kiinaの慈愛ゆえだったのだと感じて、胸がいっぱいになりました。。
わたしはKIINA.がこれまで包み隠して心にしまってきたダークな出来事を話してくださるのをきいて、そんな世界にまたもどってきてくれるのだろうか?
もう、すっかり嫌気がさしてしまっているのではないだろうか?
そんな思いを抱くようになっていたのです。
だからこそ、このコンサートが終わったあとに出会ったタクシーの運転手さんの言葉が心に響き、そんな日はいつくるのだろう?という思いがありつつも、救いになり、支えになったのでした。
そして、何度もそのときの気持ちを思い出したのは、コンサートツアーの東京でのファイナルとなったLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)でのコンサートの終演後の出来事です。
LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で開催されたコンサートの終演後、明治神宮前から千代田線で帰ることにしていたので渋谷駅に行くお友だちとホール手前で別れて、ひとりでホールの前を通過したタイミングで、
”すみません。車が1台出ますので、止まってください”と係の方がおっしゃったので、足をとめて駐車場からでてくる車を何気なくみつめていました。
あっ!
こちらに向かってくる車がkiinaの車でした。
そういうことには疎いのですが、先日の伊勢崎コンで、駐車場にたまたま停まっていた車がkiinaの車であることを、ご一緒したお友だちのOさんが教えてくださったので、さすがにこのときばかりはすぐにわかったのです。
そのあたりには信号待ちしている方や、たちどまってお話している方が数十名はいらしたと思うのですが、どなたも気づいていませんでした。
だんだんと車が近づいてきて、左折するためにその車がわたしの目の前で停まったとき、運転されているマネージャーさんの姿が目に入りました。
この日のコンサートのMCのながれで、”ケンカ、上等”と啖呵をきった強気のkiinaが、”うちのマネージャーさんもジョウトウ”とダジャレをおっしゃっていた、そのマネージャーさんです。
ということはやっぱり後部座席にはkiinaがいるらっしゃったのでしょうか。
もちろんシールドがはられているのでわたしには何もみえませんし、kiinaも窓の外などみていないかもしれません。
それでも、わたしは、”ありがとう”の思いをこめて、後部座席をじっとみつめたのでした。
思いだけは伝わったでしょうか?
このときのコンサートで、KIINA.は客席にデビュー当時から応援してくださってきた方の姿をみつけられて、こんなふうにお話しされていました。
「今日はMさんがきてくださっています。
デビューする前、有線でながれた『箱根八里の半次郎』をきいて、自分のところにきてくれたんです。
すごく素敵なご夫妻なんです。
最初は、応援してくださるおふたりに応えたいと思って、歌い慣れない演歌を一生懸命歌っていました。
そのおふたりがいたから。そこから氷川きよしは始まったんです。
おふたりがいらっしゃらなかったら、氷川きよしなんてとっくにやめてましたよ。
ファンクラブも50人の集いからスタートしたんです。
そうしたら売れてさ~。
そのうちに演歌界のプリンスとかそういうことがひとり歩きするようになりました。
23年間、おふたりのことを1日たりとも忘れたことはありません。
これまで応援してくださった皆さんのことも忘れたことはありません。そういう気持ちで毎日生きてきました」
話していて何度も涙ぐんだkiina。
次に歌う曲を、「そういう気持ちで『甲州路』」
と、自身でタイトルコールされたのですが、司会の西寄ひがしさんが”このまま大丈夫ですか?”とフォローされ、スタッフがもってきたクロス(ティッシュ?)で涙をふかれたのです。
「生まれてきたら愛すればいい」では、
”教えてくれたのはあなた”と歌われるところで、上手側のMさんの方に向き直り、右手を差し出されたのです。
kiinaの愛にみちた振る舞いに胸がいっぱいになりました。
東京では最後となるコンサートにMさんが来てくださり、変わらず見守ってくださっていることが嬉しくてならなかったのでしょう。数曲歌われたところでお越しくださっていることに気づかれたということでした。
2022年1月21日。
午後6時20分頃、わたしはある女性アーティストの取材をするために日本コロムビアのなかにいました。
取材の準備をしていたとき、社員の方が、わたしの取材に同行していた編集長に、タブレットの画面を見せて、
「今、発表になりました。これ以上でもこれ以下でもないです。社員にも一切しらされていなくて。今、わたしもしったんです」
午後6時30分に公表されった会社のトップアーティストの重大発表だったので、その場でおしえてくださったのだと思うのですが、編集長のうしろで、そのニュースをしったわたしはまだよく受けとめられずにいて。
多くを考えることを一時的にストップして、取材に集中したのでした。
そう。
今日、2022年1月21日のことを、わたしは生涯忘れません。
午後6時35分頃に、きよしさんの2022年いっぱいでの活動休止のニュースをしりました。
多分、6時30分に、事務所とレコ―ド会社のHPにアップされたのだと思います。
金曜日の終業後、土日を挟むことで、殺到するであろうマスコミの取材やファンからの問い合わせに少し猶予をつくるための判断だったでしょうか?
【氷川きよしに関する大切なお知らせ】
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
この度、氷川きよしは2022年12月31日をもちまして一旦歌手活動をお休みさせていただくことをご報告申し上げます。
これまで氷川きよしを22年間応援してくださったファンの皆様、ご支援くださった関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
2000年2月2日にシングル「箱根八里の半次郎」でデビューして以来、22年間歌い続け、走り続けて参りました。
ここで一旦お休みをいただき、自分を見つめなおし、リフレッシュする時間をつくりたいという本人の意向を尊重しこの様な決断に至りました。
お休みの期限は特に定めておりませんが、お休みに入るまで約1年ございます。コンサートツアー、6月からの劇場公演等で皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
今後とも氷川きよしへの温かいご支援、ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。
2022年1月
株式会社長良プロダクション
思えば20周年を華やかに飾った直後のコンサートでだったでしょうか。
「母に、今までがんばったんだから少し休んだらいいよといってもらいました」
とお話しされていたことがあって、きよしさんのすべてをご存じのお母様にそういっていただけたことがとても嬉しそうでしたが、その後、休むどころかますます忙しくなっているようで。
でも、もしかしたらあの頃から少しずつ準備を始めていたのかもしれませんね。
今や自身で更新し続ける前人未到の数々の記録も、輝かしい賞歴も、すべては過去のもので生きている今現在が大事だとおっしゃってきたきよしさんですが、今回の決断に、あらためてそのことがうかび、ほんとうに言葉に嘘のない人だなあと思います。
「きよしこの夜vol.22」でのラストメッセージも何度みつめたことでしょう。
そして、2022年12月31日の「NHK紅白歌合戦」でのあまりにも鮮やかなステージ!
あのときの、「また必ず帰ってきます!」と叫ぶようにおっしゃった言葉が何よりの支えでした。
と、皆さま、お時間いただきましたが、ようやく書きたかったことが書けたかなと思います。