こんばんは!

今日は7月16日!

そう、1か月後の8月16日に、20か月ぶりにKIINAに会えるのですね。

 

FCでチケットを確保できたので、両日参加させていただきます。

 

 

一般発売は、今週末7月20日です。

詳細は下記をクリックしてくださいね。

 

  

あの日のこのメッセージを何度読みかえしたことでしょう。

 

 

そして、2022年末の「NHK紅白歌合戦」での、”また必ず帰ってきます!”という言葉を何度反芻し、そのシーンを再生したことでしょう。

 

様々な思いがよぎった日々...。

でも今は、ただただ幸せな思いで、みつめることができます。

  

さて、1か月後のコンサートに向かって、今日から、”氷川きよし”の2000年からの足跡をたどってみようと思います。

当初、ブログの過去記事にリンクさせることを構想したものの、なんだかだらだらと方向性がまとまらず、今日まで書けずにいたのですが、それなりの時間を要することになりそうなので、そこにはこだわらず、まずは2022年までをたどってみることを第一に進めてみます。

画像も蔵出しで、どんどんアップしてみようと思います。

 

お読みくださった皆さまからの、記録の補足や訂正も大歓迎です。

その時々の思い出、また、その当時をご存じない方たちの感想など、お待ちしています。

 

それでは、2000年のバイオグラフィーです。

公式のものと異なるものがあるかもしれませんが、その当時の自分や友人、FC会報、雑誌、新聞などの記録をもとに書いています。

デビュー年の2000年はほとんど公式サイトの内容とほとんど変わりませんが、2001年からは膨大なものになっていきます。 

 

【2000年】

 

表参道駅でのショット

 

 

2月 2日  日本コロムビア創立90周年記念アーティストとして22歳で「箱根八里の半次郎」でデビュー。

2月14日  「箱根八里の半次郎」がオリコン演歌チャート初登場7位を獲得。
3月12日  テレビ朝日「神出鬼没タケシムケン」で、氷川神社での「箱根八里の半次郎」ヒット祈願に名付け親の北野武と志村    

      けんが応援に駆け付ける。

6月21日  ファーストミニアルバム「股旅演歌名曲選/氷川きよし 箱根八里の半次郎~風雲編~」発売。

8月−−   「箱根八里の半次郎」が50万枚を突破

   21日   「箱根八里の半次郎」の50万枚突破を記念して、東京赤坂プリンスホテルで感謝パーティーを開催。

10月~   「氷川きよし 箱根八里の二時半次郎」(文化放送)スタート(2002年3月まで放送)。

   21日    セカンドミニアルバム「股旅演歌名作選~箱根八里の半次郎」発売。

11月26日    第33回日本作詩大賞で「箱根八里の半次郎」が大賞受賞。

11~12月   日本レコード大賞 最優秀新人賞をはじめ、数々の新人賞を受賞。

12月31日 「第51回NHK紅白歌合戦」初出場。歌唱曲は「箱根八里の半次郎」。

          「箱根八里の半次郎」が100万枚を突破。

 

 

 

 

 

 

 

 

記念すべきアルバム第1弾はデビュー4か月後に発売された「股旅演歌名曲選/氷川きよし 箱根八里の半次郎~風雲編~」。

松井由利夫先生がその後の半次郎を書き下した“風雲編”に、股旅演歌の名曲5曲を収録したミニアルバムだが、当時の取材でKIINA.は、

「何回聴いても飽きない出来栄え。ボクも何回も何回も聴いてみていいなと思っています」

とファーストアルバム誕生の嬉しさを語っていました。

 

 

今、あらためて聴きなおしてみても、味わい深く表現力豊かな歌唱に、これが22歳の青年の歌唱なのかとその本格派ぶりに驚かされます。

 

当時、外出先ではウォークマンでCDを聴いていました。収録順に再生していたので、1曲目と2曲目のイントロがセットになって記憶に刻まれていたりします(笑)。

 

 

大阪の堺東にあるヤマブキレコードさんでのデビュー前キャンペーン
日付が【2000年1月18日】になっていますね。
 

 

10月21日に発売されたセカンドミニアルバム「股旅演歌名作選~箱根八里の半次郎」のジャケ写です。

   

 

 

1999年12月31日に、文化放送で、来年デビューする新人歌手のひとりとして歌ったそうです。

そのことはKIINA自身がコンサートかラジオ番組でお話しされていたことなのですが、その音源、聴いてみたいですね。