「わたしは5月生まれなのでメイコ。
本名なんですけど、今度の5月で81歳になります。
今回、何度も劇場に観にきてくださるファンの皆さまを見ていて、
ファンというものは、こんなにあったかくって、情熱的なものなのかと、わたしまで胸がいっぱいになりました。
(氷川さんは)日、一日といい役者さんになってくださいましたね。
わたしが元気でいたら、次の公演も出させてほしいと思います」
2015年3月29日、明治座さんでの「氷川きよし特別公演」の千秋楽での中村メイコさんのお言葉。
メイコさんは第一部の「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」で、辰五郎の祖母・お信(おのぶ)を演じてくださいました。
美空ひばりさんからいただいたブローチをくださり、Kiinaがそのブローチにあわせて衣装をつくられたことも思い出されます。
昨日、Kiina会で新年会を開催したので、そのご報告をと思っていたのですが、今夜はメイコさんのことを書かせてくださいね。
今日、中村メイコさんが、昨年の大みそかに急逝されたことが公表されました。
いつも朗らかでお元気な印象を抱いていたので、突然の悲しいお知らせでしたが、わたしは楽しかったあの1か月間を思い起こしたのです。
あれから、もう8年以上が経つのですね。
メイコさんが出演されることが発表されたとき、”メイコさんが出演してくださるなんてすごい~!”と、多くのファンが驚き喜んだことを思い出します。
アドリブの数々、メイコさんならではの”間”。
大いに笑い、ときに涙したことを思い出します。
Kiinaも多くのものをメイコさんから受け継いだのではないでしょうか。
ほんとうに、またぜひ共演していただけたらと、これもまた多くのファンが望んでいたことと思いますし、メイコさんも、またいつかと思っていてくださったのではないでしょうか。
親友の黒柳徹子さんのコメントが心にしみました。
昨年のクリスマスの日に「徹子の部屋」に出演されたのだそうです。
メイコさんと最後に会ったのは今から二週間前の徹子の部屋でした。ちょうど、クリスマスの日でした。メイコさんは元気で「私が死んだら弔辞はあなたが読むのよ」なんて言ってました。しょっちゅうそういうことを言っていたので、特別なこととは思いませんでした。番組のおわりで「メイコさん夢は?」と伺ったところ「犬の役も猫の役もトンビの役もやったからないのよね~」が喜劇女優、最後のセリフでした。メイコさんは幸せだったと思います。家族みんなが理解してくれていたからです。二歳から仕事をしてたんですから、私から見ると変わっていましたが周りのみんなが、彼女にあわせて大切にしてくれていたからです。ふだん会うと「知らなんだ知らなんだ」と芝居じみたセリフを言ってよく笑わせてくれました。眠る様に亡くなったと伺いました。デリケートな彼女が悩むことなくあちらの世界に逝かれたのは、私にとっては心がやすまる事です。会うたびになんかちょっとしたプレゼントをくださる方でした。寂しくなります。
また、いずれ共演する機会があるように、千秋楽のときには思っていたのですが...。
一期一会という言葉をかみしめています。
メイコさんに、あらためて心から感謝します。
そして、ご冥福をお祈りします。
以下、2015年3月29日の千秋楽のレポートです。
かなり長いものですが、よろしければお読みくださいませ。
3月1日に初日の幕をあけた「氷川きよし特別公演」(明治座)が今日、29日、千秋楽を迎えました。東京は朝から晴れていて、まさに”きよし晴れ”。
桜も、きよしさんの千秋楽をお祝いしてくれるかのように、咲きだしたのです。甘酒横丁では”桜まつり”が開催されていました。※人形町から明治座さんへ向かう浜町緑道にはたくさんの人が。前回の座長公演の折、きよしさんがおこなった”おねり”の終点地点ですね。3階席後方にまで立見のかたが横一列にびっしりと並ばれ、明治座は超満員となっていました。客席の照明が消えると、大きな拍手が鳴り響き、第1部のお芝居「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」のテーマ曲が流れると、その曲に合わせて手拍子がおこったのですが、気持ちが急いて、手拍子のテンポが早く、手拍子をメロディが追いかけているように思えたのです(笑)。終演後、劇場の外へ出ると雨が降っていましたが、明治座さんの周りには三重、四重の人垣ができていました。千秋楽のチケットはとれなかったけれども、1カ月座長公演を終えたきよしさんをお見送りしたいと、たくさんのかたが集まっていたのです。わたしも、その人垣のうしろで、きよしさんのお帰りを待たせていただきました。共演者、HKピュアリバーの皆さんが続々と出ていらして、そのたび、”ありがとうございました”という言葉が、人垣のあちこちからおこると、どなたも嬉しそうに会釈されて、帰途につかれたのです。雨だけでなく、風が時おり強く吹いていたのですが、傘をもっていなかったわたしは、木の下の位置に立たせていただいて雨をしのいでいたのです。
でも、次第に強まる雨風に一時はどうなることかと思ったのですが、後ろにいらしたかたが傘にいれてくださり、とてもとてもありがたかったです。勝野洋さんが車に乗ってお帰りになられたあと、少しすると誘導スタッフのかたから、”そろそろです”とお声がかかったころには、雨もやみ、風もおさまっていました。それからまた20分くらいしたころだったしょうか。きよしさんを乗せた車がゆっくりゆっくりと進んできました。きよしさんはスカイブルーのジャケットをお召しになられていたでしょうか。幸せそうな輝く笑顔!そして優しく深いまなざしに吸い込まれそうな思いがしたのです。司会の西寄ひがしさん(司会に舞台に大活躍!)が、この日のコンサートで、「2月11日の顔合わせのときから、ずっと見てまいりましたが、氷川きよしは日本一幸せな座長だと思いました。この公演の大成功は20周年の大きな第一歩になりますね」とおっしゃってくださいましたが、その20周年へのあらたな船出に、きよしさんがあえて、大好きな”ブルー”を身にまとわれたように、勝手ながら感じたのでした。先に出待ちでのことを書かせていただきましたが、この日の第1部のお芝居の舞台上での共演者のかたとのやりとりのなかで、”1カ月どうもありがとうございました”、”1カ月お世話になりました”というような感謝の言葉を、きよしさんは自然に台詞にまじえておっしゃったのです。その言葉に共演者のかたのほうが思わず涙ぐまれると、きよしさんは優しく微笑み返しをされ、座長としての貫禄を感じさせられました。
2部のコンサートで、きよしさんいわく”辰っちゃんの歌”である「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」を歌う際、きよしさんのうしろに纏と鳶口をもったかたが4名いらして歌唱に合わせて纏をふったり、鳶口を鮮やかに回したりしてくださいます。きよしさんは歌唱される前に、後方にいらっしゃるそのかたたちのほうを左右それぞれに半身振り返って右手、続いて左手を高く掲げられるのですが、わたしが、この日すわっていた座席から、きよしさんが半身振り返り、片手をかかげたときに、纏を持ったかたの目を見つめて、”ありがとう”とおっしゃったのが見えたのです。ステージの上と、そのかたたちが立っておられるステージ上段まで距離があるのですが、その纏を持たれたかたは、きよしさんに応えてうなづき、”ありがとうございます”とおっしゃった様子でした(口の動きだけしか見えませんので・笑)。数々の名シーンに加えて、わたしにはその様子が忘れられないシーンのひとつとなりました。このことは、終演後のフィナーレで勝野洋さんがおっしゃっていた言葉と呼応するものでしたので、のちほどそのことを書いたときに重ねあわせていただけたら嬉しいです。2部でのコンサートでのことでした。「皆さん、1か月劇場にお越しくださり、応援してくださり、ありがとうございます。またお越しになれなくても、全国、世界中からも僕を見守ってくださり、ほんとうにありがとうございました。今日、お越しになれなかったかたもいらっしゃると思いますが、どうかよろしくお伝えください。日々、辰五郎も少しずつ成長して...。もう、辰五郎に会えないと思うとさびしいですね~」感慨深気にそうおっしゃったあと、「またいつか、どこかで会えたらいいなと思います」と、きよしさんは結ばれました。話題が前後しますが、今回の公演で初披露された「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」を歌唱されるときも、「辰五郎に出会えて、嬉しく思っています。”辰っちゃんの歌”です」と、親しみをこめておっしゃってから、”め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~”と、ビリビリと響く大きな声でタイトルコールをされてから歌ってくださいました。きよしさんが、”昭和の名曲コーナー”のラスト曲「無法松の一生~度胸千両入~」を歌い終え、舞台袖に戻られると、この1カ月43公演を振り返って、西寄さんが、「わたくし、ずっと見させていただいてきて、氷川きよしは日本一幸せな座長だなと思いました。そして15年ご一緒させていただいておりますが、きよし君のことが年々好きになります。今日は皆さんに盛り上げていただいて、有終の美を飾りましょう」と、ご自身の感慨もまじえてお話しされ、その言葉をうけて、赤地に白のドット(水玉)模様の鮮やかなスーツできよしさんは登場されたのです。客席との各階、各列とのやりとりでは、”イェイ!”とその繰り返しのみならず(笑)、”オリャー!”、”トリャー”、コリャー”と盛り上がり、西寄さんが、「なんの練習ですか?」と、おたずねになると、「気合です(笑)」と、きよしさんは笑いをかみ殺すようにしておっしゃったのです(笑)。そして、「ここまで1カ月、多くの皆さまにお越しいただき、全国のファンの皆さんにも応援していただき、見守っていただきました。おかげで日々健康で、今日までやってこられました。舞台裏ではマネージャーさんはじめたくさんの、何百人ものスタッフが動いてくださって僕を支えてくださいました。ありがたいですね。これまでの明治座さんでの2回の公演もほんとうに楽しかったのですが、今回はそれ以上に楽しいものでした。(いろいろな場で活躍されている)共演者の皆さんが、それぞれの花を舞台で咲かせていらっしゃる様子に、僕も僕らしくやらせていただこうとと思わせていただきました」と、きよしさんはおっしゃり、あらためて西寄さんのほうを向き直り、「西寄さん、よくやってくれました。ありがとうございます」とお礼をおっしゃったのです。西寄さんは、”とんでもありません”というふうにかぶり(頭)をふられてから、「楽屋の雰囲気も、客席の雰囲気も、すべてはきよし君が作ってくださっているんです」と一言おっしゃいました。西寄さんにしては言葉少ないリアクションは、きよしさんの真心こもった言葉に感動されてのことなのだろうなと、わたしには感じられたのです。共演者された太川陽介さんの話題になると、「太川さんは、お忙しいのにPRのために一緒にテレビ番組に出てくださって、ありがたかったです」ときよしさんはあらためてお礼を述べられました。太川さんが、今や(あの人気番組のために)日本で一番バスに乗ったかただという話題になると、「僕もバスに乗って旅行したいですね」と、きよしさん。すると、西寄さんがすかさず、「きよし君も1カ月馬に乗っていたじゃないですか」とおっしゃったのですが、きよしさんの答えは、”えっ?”でした(笑)。「(今回の公演の)オープニングで白馬に乗っていたじゃないですか」西寄さんの言葉に、”あっ、そうか~!”というように顔がパアッと明るくなって大きな微笑みがこぼれたのです。あらためて、辰五郎について、「辰五郎は正義感が強くて、江戸っ子気質で。情熱的なんですけど、さっぱりしているところがあって、大好きですね。僕は博多の人間ですけど、博多の人って、気が荒いけど慈悲深いところもあって。『無法松の一生』という歌からもおわかりいただけると思いますけど。だから似ているんですよね。お芝居のとき、勝野さんに”真っ直ぐに生きていっておくんなせえよ”といっていただくシーンがありますが、セリフって、命に入ってくるというか。
心の深い部分に入ってくるんですよね。そして自分の、素の山田清志になったときにも、またその言葉が入ってくるんです」そして、千秋楽でのお団子を食べるシーン(当初は虎太郎くんだけでしたね・笑)では、ずんだのお団子が出された話題になりました。きよしさんはそのシーンで、お団子が何味なのかを聞き、あんこだというと、”ずんだじゃないのか~”とおっしゃったことが何回かあったので、それを受けてのことだったようですが、「ずんだといえば仙台藩でしょう。少しでもみなさんが宮城のことを思い出してくださったらという思いで、”ずんだ”といわせていただいていたんです」とおっしゃると、客席には仙台からいらしたというかたもちらほら。皆さん、感激されていたことはいうまでもありません。「さすらい慕情」のインフォメーションになると、まってました(笑)の”黒豚トーク”(西寄さん、ごめんなさい)もしっかり入って(笑)、ご両親の話題にもなりました。「今回は両親をよびました。博多から6時間かけて来てくれましたけど、父は僕がお芝居をしているときに何度も席を立つので、セリフをいっていても、視界に入ってくるのは父ばかりなんですよね(笑)。気になって、気になって。
はっきりいって迷惑でした。あとで、”何しよっとた?”って聞いたら、”しょんべんたい”って。緊張したんだそうです」その日の公演のあと、西寄さんもご一緒に4人でスパゲティーを召しあがったそうですが、劇場でのおとうさまの話題を、おとうさまの言葉そのままに(“し○ん○ん”と)おっしゃったことを、西寄さんがいさめると、ワントーン高めの声で、「マミーはですね、パピーはですね」と、取って付けたような(きよしさん、ごめんなさい)“にわかお上品発言”を突然愉快そうにされ、大爆笑している客席をご覧になると、「そんなこと一回もいったことありません。とうちゃんっていっています」と静かにおっしゃって、もう少しゆっくりしていったらというきよしさんに、おとうさまが歯医者さんの予約があるからと、翌日、早い時間にまたふたりで新幹線でお帰りになられたことを話されました。”歯医者さんの予約、変更してもらえばいいのに”というきよしさんに、「がんばっている息子に、気をつかわせたくなかったんですよ」と、西寄さんが一言。きよしさんは、そうだったんだなあという様子で2,3度うなずかれたのです。緊張して席を立たれるのも、1泊で早々にお帰りになられたのも、みな、親心なんですね。あらためてじんときてしまいました。「2日後に、母から電話があって、”きよし、どげんしてあげなセリフ覚えたと?”って聞かれました(笑)。”スターみたいに見えたと”っていうので、”そおお~?”っていったら(笑)、”氷川きよしって雰囲気ば、つくっとったっちゃろ”って。僕、”そおお~? 普通だけど~”って答えました(笑)」話していて、合いの手をいれてくださる西寄さんに、
”それでっ、それでっ”
と子供みたいにはしゃいでお話しをされるきよしさんだったのです。いよいよ「さすらい慕情」と「迷い子」の歌唱ということで、西寄さんから、「言い残したことはありますか?」と問われたきよしさん、「言い残したことは~...あります!」としばし逡巡されてから、「今日で43公演、多くのかたにお越しいただきましたが、そのなかにはお年寄りのかたもいらっしゃって、杖をついて階段を昇り降りをされて。ありがとうございました。僕に、(お手紙ででしょうか、少し聞き取りにくかったのですが)そのようなお年寄りの姿を何人も目にしたり、お隣でペンライトをふって、応援しているかたが93歳と聞いて、氷川きよしはそういうパワーを人に与えているんだと驚き、感動したと、教えてくださったかたがいて。あらためて、そんな皆さんの思いにこれからお応えしていかれたらと思わせていただきました」とお話しされました。「さすらい慕情」、「迷い子」の明治座公演においての歌い納め、最高の歌唱でした。この日、プレゼントされたポスターには、”1か月間、見守ってくださり感謝いたします”と書かれていたかと思いますが、西寄さんが、ラストコーナーで、「今回、きよし君が過去のビデオを見直して勉強されていたので、わたしも15年を振り返ってみたのですが、やはり、氷川きよしは最高だなと、あらためて思いました。氷川きよしは、皆さんの夢と希望と未来をしょ(背負)って舞台に立っているのですね。これからも氷川きよしは皆さんと一心同体です。これからもどうか支えてください」とおっしゃった、その言葉が、そしてその言葉にこめられた西寄さんの真心が胸にグッと迫ってきました。着流しにお召しかえされて、「箱根八里の半次郎」、「大井追っかけ音次郎」を歌唱されると、ラストトークに。「人生というのは、どなたもそうだと思いますが、分岐点がありますね。僕は18歳のときに水森英夫先生にスカウトしていただいて、状況して3年半アルバイトをしながらレッスンをしていただきました。なかなか東京弁になじめませんでした(笑)。デビュー曲の『箱根八里の半次郎』に、”廻し合羽も三年がらす”と、”おっ母すまねえ 顔さえ出せぬ”という歌詩がありますが、そのときの自分と重なったんですよね。分岐点はいくつもありましたが、歌手になって、デビュー曲がヒットして、ファンの皆さんに応援してくださって...。多くのかたが手をさしのべてくださいました。人の心は時とともに移りかわりますが、そのなかで、これまで応援していただいて...。ありがたいですね。人の心って移りゆくものでしょう?」きよしさんの言葉に、”変わらん!”っといかめしい形相でおっしゃられたかたがいらしたそうで、「”変わらん!”って、そんな怒っていわなくっても」怒られてしょぼんとしながらも、嬉しそうなきよしさんでしたが、もしかしたら、そんなふうに、皆に”わたしたちは違うよ”って怒ってほしかったのかもしれませんね。なんだかそんな気がしたのです。ここで、そんなきよしさんの思いに応えるように、そして千秋楽を祝させていただきたくて待ちきれなかったとういように、大きな”きよしコール”が起こりました。長い、長い”きよしコール”でした。だって、きよしさんにたくさんの”ありがとう”を伝えたかったから...。「嬉しいですね~。盛り上げてくださいって。ありがとうございます」尚もやまない”きよしコール”でしたが、きよしさんが少し大きな声で、「ありがとうございます」とお礼をおっしゃると、コールは静まり、きよしさんの言葉を待ちました。ここで、”辰っちゃんの歌”への思いをお話しされて、「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」と歌ってくださり、いよいよラストの「白雲の城」を歌うため、ステージ中央のステップの中段に移動されました。ゴールがもうすぐという気持ちと、なんだかこのままいつまでも終わってほしくないような気持ちもわいてきて、きよしさんのひと節、ひと節に、作品に描かれている”無常”とともに、まぎれもない”永遠”を感じたのです。きよしさん、
人間はひとりひとり、とてもはかない存在だけど、そしてこの今、抱きしめるようにして味わっているあなたがくださった感動だって、目に見えないし、さわることもできないけれど、
でも、わたし、生きていて、こんなに幸せで嬉しいことがあるんだって、今心から思っているから、この感動はきっと、この宇宙のどこかにちゃんと伝わっているはずだって思えたの。それこそが、もしかしたら”永遠”というもの?その答えは今はわからないけれど、いつか、あなたの歌唱がわたしにそのことを教えてくださいますね。勝手ながら、そんな思いでいっぱいになっていたのです。アンコールの「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」を熱唱されると、明治座1カ月、43公演の幕が、われるような拍手と声援に送られて、おりたのでした。幕がおりても、客席の照明はつきませんでした。一瞬、それぞれがその感動を胸にしまいこむかのように、シーンとしたかと思うと、”きよし!”、”きよし!”とコールする声が広がっていきました。大きな”きよしコール”が響くなか、「きよしのズンドコ節」のイントロが流れてきたかと思うと、ふたたび舞台の幕があがり、そこには出演者の皆さんが私服姿で勢揃いされていたのです。お芝居では講釈師・不動軒天山役でも大活躍された、司会の西寄さんの進行で、出演者の皆さまがご挨拶されていきました。こなからの女将役の由夏さん、渡海屋主人・富五郎役の山本まなぶさん、お粂ちゃん役の高橋あゆみさんと、挨拶が続いていきました。皆さん、お芝居とはうってかわっての私服姿なので、そのギャップにも客席はおおいにわいたのです。勝野洋さんが演じた、め組の頭(かしら)鉄造の妻・お房役の真乃ゆりあさんは、「氷川さんの舞台には初めて出させていただきましたが、氷川さんはとても優しくて、気配りしてくださって。いつも”感謝”ということをおっしゃっていました。楽しい毎日だったので、終わったという達成感と、終わってさみしいという両方の気持ちが今はあります。ありがとうございました」とご挨拶されると、きよし・辰五郎に目をかけてくださった、め組の丹兵衛を演じた園田裕久さんにマイクが。すると、一度やらせていただきたかったということで、”イェイッ!”と客席とエールの交歓をされたのです。客席からの熱くヴィヴィッド反応に他の出演者の皆さんも驚かれていましたが、園田さんはとても喜ばれていました。園田・丹兵衛さん、1カ月、”きよし辰五郎”に、厳しく、優しく、火消しの仕事を教えてくださってありがとうございました。続いて、これまでもきよしさんの公演でも”悪役”として活躍してくださった中田博久さんの挨拶となりました。中田さんは今回は、浪人・神谷毅八郎役で出演。切れ味鋭い殺陣で魅せてくださいましたね。「こんな楽しい1カ月はありませんでした。これは”氷川座長”の愛だと思います。一生、氷川さんについていきたいと思います」大ベテランの中田さんのお言葉に、きよしさんがびっくりされ、恐縮されると、「また、やっつけてください」と、あの独特な素敵な声でおっしゃいました。きよしさんのことをずっとご覧になっておられる中田さんのその言葉が、ファンとして誇らしく、またありがたくてなりませんでした。中田さん、ありがとうございました。半次役で大活躍の曾我廼家寛太郎さんは、きよし・辰五郎と、”ドンツク ドンドン”のリズムに合わせて、ひょうきんな動きをし、一緒に踊るなど、即興でさまざまに変わっていった、”ミュージカルシーン”がとりわけ好きだったとおっしゃっていました。この日のお芝居では、「辰五郎さんのおかげで、明治座にたくさんのお客様が来てくださって、明治座も売り上げが、倍、倍、倍よーん」というアドリブを入れてくださり、大うけでした。曾我廼家さん、ありがとうございました。渡海屋の番頭さん役の江藤潤さんは、「僕は、氷川君とは初めてでしたけれども、ものすごく好きになりました。先日、5階の大食堂で懇親会をしたんです。皆でお酒を飲んで、話して。そのときの、締めの言葉を、洋(呼び捨てにするほど親しいのですね)、勝野洋が言ったんですけどね。そのなかで、め組の頭のセリフのように、”氷川君、このまま、真っ直ぐに進んでいっておくんなせえよ”といったら、氷川くん、うぇーんって泣いちゃったんですよ。僕は見ていて、氷川君って、なんてピュアな人なんだろうと思って」江藤さんのこまやかな演技に、毎回、見入ったわたしでしたが、ふだんの江藤さんは番頭さんとはうってかわってどっしりとした頼もしいかた。あのこまやかな演技は人間をほんとうに細かく見つめていなければできない演技だと思うので、そんな江藤さんがきよしさんのことを”ものすごく好きになった”とおっしゃってくださって、またも嬉しい気持ちになりました。南町奉行所の与力、朝倉伸太郎役で、きよしさんを支えてくださった太川陽介さんは、「Lui-Lui」を客席と、きよし座長にリクエストされて、歌ってくださいました。「調子に乗って、高いキーで歌ってしまいましたので」とおっしゃり、歌い直して、キメのポーズまでしてくださり、きよしさんはそんな太川さんに、万歳をして喜んでおられたのです。「氷川君とは今回で3回目です。今回はいきなり、お兄ちゃん役でしたが、機会があれば、今度は弟役をやらせていただきたいです(笑)」と結ばれました。め組の頭(かしら)・鉄造役の勝野洋さんは、「め組の鉄造です。(生後)2カ月の猫に”鉄造”と名前をつけました(笑)。芝居のなかで、”若い(わけえ)の、そのまま、真っ直ぐに生きていってくだせえよ”というセリフを1カ月いっていましたが、自分ではまっすぐに生きているつもりだったけれど、ほんとうにそうだろうか?
あらためて自分でもそう生きていかないといけないという気持ちにさせていただきました。氷川さんはほんとうに純粋な人ですね~。セリフをいうときって、お互いの目を見ていいますけれども、氷川さんは目で伝えてくる。それは役者の鑑っていうか、人間の鑑だと思いました」勝野さん、その言葉に、なぜ、自分が”氷川きよし”が大好きなのか、あらためて感じ入りました。ありがとうございました。ラストは辰五郎の祖母・お信(おのぶ)を演じた中村メイコさん。「わたしは5月生まれなのでメイコ。本名なんですけど、今度の5月で81歳になります。今回、何度も劇場に観にきてくださるファンの皆さまを見ていて、ファンというものは、こんなにあったかくって、情熱的なものなのかと、わたしまで胸がいっぱいになりました。日、一日といい役者さんになってくださいましたね。わたしが元気でいたら、次の公演も出させてほしいと思います」メイコさん、素晴らしい演技をありがとうございました。メイコさんの楽しいアドリブの数々も忘れられません。ぜひまた素敵な演技を見せてくださいね。「われらが氷川きよし座長です」西寄さんがあらためて、きよしさんを紹介されました。「稽古のときから今日まで、あっという間でした。正直、体力的には大変なときもありました。20代のときは、時代劇って難しいなって敬遠していたところがありましたが、勉強すればするほど好きになって、今では大好きです。もし、明治座さんでまた公演をやらせていただけたら、全員、今回と同じメンバーでと思っています。いかがでしょうか?」きよしさんが、共演者の皆さんに問いかけるようにそうおっしゃると、どなたからも笑顔が返ってきました。”もう一度共演したい”という言葉こそ、役者さんにとって最大の賛辞だと、きよしさんはご存知だったでしょうか?いえ、そんなことよりなにより、その言葉に込められたきよしさんの感謝の思いと感動に、ステージに立たれていたすべてのかたの心がまた感動でふるえたのだと思うのです。メイコさんが何か、きよしさんにおっしゃったでしょうか?きよしさんは、照れ臭そうに、「僕、人見知りなんで、なつくまで時間がかかるんです」と、おっしゃいました(笑)。そこで、エンディングの「きよしのズンドコ節」のメロディーが流れ、きよしさんが、“ありがとうございました~”と、今一度お礼をおっしゃると、いよいよ、明治座1カ月43公演の幕がおりたのでした。きよしさん、抱えきれない、そして書き尽くせないほどの感動をありがとう。わたしね、あなたのおかげで、今この世のなかで一番の幸せものだと思っています。そのくらい、嬉しくって、幸せなんです。ありがとう。最後にもう一度、ありがとう。