こんばんは。

ご無沙汰していました。

少しお時間いただきましたが、ブログを再開します。

気持ちのうえでは、4月21日から再開モードになっていたのですが、何をどんなふうにと思案していたら、今になってしまいました。

まず、このブログのタイトルをインスタ用に考えた”きいな月”にしてみました。

副題を少し整えて、でも、これまでのタイトルででも検索していただけるよう、”天晴れ! HK伝説”を”旧題”としてのこしています。

 

この”きいな月”というタイトルは、今のわたしの気持ちにとてもしっくりくるのです。

また、気持ちに応じて元のタイトルにもどしてもよいですし、自然体でよいかなという気持ちになっています。

 

 

 

インスタは、まだ準備が整わないので、そのうちこっそり開設できたらと、ゆるく考えています。

もちろん開設したらご報告します。

また、もうひとつのブログ「kiina my love ~氷川きよしと駆け抜けた8369日! そして共にその先の未来へ~」では、”氷川きよし”の2000年からの足跡を手元の資料やグッズも登場させながらたどり、2009年からは「天晴れ!HK伝説」の記事も引用していこうと考えています。

そちらの再開は、初期の資料を整理する必要があるのでもう少しお時間いただきますが、準備ができたらこのブログでおしらせします。

皆さまには2つのブログを行ったり来たりしていただくことになってしまいますが、下記のように、クリックするとすぐにもうひとつのブログに飛べるようにしますので、お許しいただけますでしょうか。

 

 

 

さて、「きよしこの夜 Vol.22」のライブCDを購入しました~。

DVDはFC版待ちですが、ライブはすでにWOWOWさんで放送されたものを、何度もみています(嬉)。

 

 

 

年末恒例となった氷川きよしのスペシャルコンサートは、「きよしこの夜」という曲を河村隆一さんにつくっていただいたことから始まった、というより当初はその1回を成功させることだけを考えての企画、開催だったようですが、好評だったため回を重ねていくうちに皆さまご存じのように恒例となりました。

会場の東京国際フォーラム(2006年に開催されたVol.5のみ横浜アリーナで開催)では、全国のファンが集結しているため、お国言葉がとびかっていて...。

次第に1日2回公演ではファンを収容しきれなくなりました。

チケットは超プレミアとなってしまい、毎回、当選できるか、一緒に申し込んでいたお友だちのKさんとドキドキしたことが思い出されます。

 

それが2日間4公演になり、それでなくても忙しい年末に、Kiinaの体力面での負担や精神面でのプレッシャーは相当に大きくなったのではないかと思いますが、ファンにとっては幸せな時間が倍になり、ありがたいことでした。

素晴らしいコンサートはその年のご褒美と思えるもので、ほんとうにたくさんの感動と幸せをいただいてきたのです。

 

 

 

それを22年間!

Kiina、ほんとうにありがとう!

 

初のライブ盤に聴きいっています。

 

では、以下は、昨年の4月22日に柏原文化会館で開催されたコンサートの記事をPB掲載します。

声帯ポリープのため声が出なくなってしまい、手術をされたのちの最初のコンサート(4月6日に西新井文化ホールで開催された「夜桜演歌まつり」にはトークのみでの出演でした)だったので、”復活コンサート”とうけとめていました。

 

【2022年4月22日 於・柏原文化会館】

昼夜とも開演前の西寄ひがしさんのアナウンスから、すでに拍手がまきおこりました。

チケットは昼の部は完売し、夜の部が若干とのおしらせが事前にサイトやきよメールでありましたが、たしかに昼の部では周囲を見渡しても、わたしにはどこにも空席をみつけることができないほどびっしりと客席がうまっていたのです。

 

皆の熱い思いのこもった拍手のなか緞帳があがると、そこには真っ白な衣装に身を包んだきよしさんがすっくと立ち、

「歌は我が命」を、声高らかに歌ってくだいました。

まさに、完全復活、そして、語らずとも、またひとつ大きな試練を乗り越えたことを感じさせられたのです。

ああ、彼はずいぶん遠くまで見とおしているんだなあ。

そう、感じたとき、来年からの活動休止も、わたしたちには想像もおよばない思いがあっての決断であり、彼にしか見えない未来予想図があるのだと、わたしは了解したのです。

「南風」を軽やかにあたたかく、「ダイヤモンド富士」を颯爽と力強く歌われると、ステージは暗転し、「星空のメモリーズ」のバンド演奏となりました。

 

 

ステージのセンターステップ上段に黒のタキシードをお召しになったきよしさんが登場し、「きよしのズンドコ節」をステップをおりながら歌われると、オープニングトークに。

 

来場のお礼を言葉にされると、昼の部では、

「2か月近く、ずっとコンサートをしていなかったので、久しぶりにコンサートをさせていただけてありがたいです。

8年? 9年前になるかな? そのときは喉の使いすぎで、手術をしました。

それから9年経って、声帯ポリープができて。野球選手のタコみたいなもんですね。

普段はおだやかで、控えめなんですど、歌うと、バーン!と思いを皆さんに伝えたくなって、声張りあげるから。その積み重ねで...。

性格的なものもあるかもしれません。

内向的なので、歌で伝えたいという思いが強いんです。

全身麻酔はいいですよ~。すぐに意識が遠のいて、目が覚めたらスッキリしていました。

でも、年齢もアレですので...。

今年、25歳になりますから(汗)」

しれっとそうおっしゃったきよしさんに、皆がいぶかしげな視線を送ると(笑)、

「45歳になります。

自分が上京したとき、母が42歳だったんです。自分も親の年齢になったんだなって思います」

 

と、そんなふうにお話しされましたが、怖くて、主治医の先生に手を握っていただいたのはどなた?

「夜桜演歌まつり」で、手術台にのったときの怖さをお話ししてくださっていたのに、今やそんな強気発言をされるなんて、さすがは負けん気強いですね(笑)。

でも、そんなきよしさんにホッとしたのです。

 

夜の部では、

「2か月近く歌えなくて。

大好きな奈良・橿原で2か月ぶりのコンサートです。

この日を自分も一生忘れません。

9年前にも喉の使いすぎで手術をしました。

(自分にとって喉は)消耗品なんですね。喉一本で生活してきましたから。

こうしてまたステージで歌えて嬉しいです。(主治医の)先生に喉のために声高らかに話すようにと言われました。

4日前にボイストレーニングをうけて今日に備えました」

 

 

 

ここで、昼の部ではこのコーナーで歌うアコースティックバージョンの曲の紹介をされてから。

夜の部では、先に、

「今、平和が遠のいてしまっています。人間にとって一番大切なのは命です。

皆の命が尊い。そしてあらためて゛母の祈り゛(争いを好まない無償の愛、慈愛)が平和を築いてきたのだと思います。

今、歌いたい作品は、美空ひばりさんの『一本の鉛筆』です」

と、思いを言葉にされてから、「一本の鉛筆」を歌ってくださいました。

戦争への怒り、平和への祈りにあふれた、今の氷川きよしにしか歌えない「一本の鉛筆」に心揺さぶられ、その歌声が地球を包みこむイメージがわいたのです。

きっと、きっと、その歌声にのせた熱く深い思いは天にとどくはず!

わたしはそう確信にも近い思いを抱いたのです。

 

アコースティックバージョンで、

「母」「櫻」「星空の秋子」「あの娘と野菊と渡し舟」「みれん心」を歌い、コーナーのラストは軽やかでセクシーに「紅ドレス」を。

なんて、なんて、甘い「星空の秋子」だったことでしょう。

甘さは、こんなにも心をとろけされるものなのかと感じ入る冷静な自分と、甘さにひたって何もわからなくなりそうになっている自分がそこにいました。

アコースティックバージョンでは、進化&深化した歌唱に、リリース当時の思い出もよみがえってきて...。

今、こんなにもうっとりとさせてくださるきよしさんに、感動せずにはいられませんでした。

 

きよしさん!

このアコースティックバージョンは、ファンへの最高の真心の贈り物だと受けとめています。

ありがとう。

 

 

※時間がなくて上記でいったんアップしていて。

以下は追記という形で書いていましたので上記内容と重複する部分もありますが、そのままアップしますね。

 

昼の部では、歌う曲を紹介されていて、曲目をおっしゃるたびに拍手がおこりますが、少し小さくなると、”曲によって拍手が少なくなりますね”というようなことを言葉にされたのです。

すると、拍手が一気に大きくなったことはいうまでもありません。

きよしさんは、その場で頭をさげながら、

「すいません、すいません、すいませ~ん。気ぃ、つかわないでください。

話のネタにしただけなので(笑)、申し訳ないです。お金つかっていただいているので、気はつかわないでください」

と。

 

また、夜の部では、あんなにもスウィートな歌声を聴かせてくださった「星空の秋子」について、

「若かりし頃の曲。恥ずかしい1曲です」

なんて、おっしゃって(笑)。

それなのに、あんなに甘い歌声で酔わせるなんて、もう、これは掟破り! 罪です、罪っ!

きよしさん、わかってます?
なんて。

きよしさんの歌声に、まったく抗うすべのないわたしですから、何をいっても”遠吠え”にしかなりませんね~。

 

さてこの橿原文化会館でのコンサートは2019年6月7日以来、3年ぶり。

コロナ禍で出待ち、入り待ちができない今、前回は終演後に出待ちをしていたことを思うと、それよりもずいぶん前のことに思えてきます。

昼の部の”和のコーナー”で、袴姿のきよしさんがステージ上段に登場し、中段で、「白雲の城」をほぼア・カペラに近いアコースティックなアレンジで歌い、まだ高音、低音、声の厚みが時折不安定に感じられることがありましたが、のどの不調でコンサートを中止・延期する以前の内容と変わらないものを届けようとする覚悟を感じた瞬間でした。

 

これまで歌ってきたスタンダードナンバーを、歌のイメージを変えずに、のどを痛めない発声法で歌うことに、まだ戸惑いや試行錯誤もあるようで、きよしさんの歌唱をスリリングな思で聴いた曲もありましたが、そのことであらためて、その圧倒的な歌唱をどれほど自分が心の拠り所にさせていただいてきたのかを感じたのです。

「一剣」「越後の雪次郎」「花の渡り鳥」「大井追っかけ音次郎」「箱根八里の半次郎」と、こぶしを軽やかにまわして、歌いあげてくださいましたが、きよしさんが試行錯誤しながら歌うおなじみの曲は、歌うきよしさんにも、聴くわたしたちにも、まるで新曲として初めて聴いたときのような緊張感がありました。

そして、バンドさんやグッズ、CDを紹介されたあと、このコーナーの締めくくりに歌唱された「群青の弦」は、新曲ということもあり、今CDに収録されている歌唱とテイストを変えないためのサウンド処理が施されていた(と書けばわかるかたにはわかるでしょうか?)と、わたしは思いました。

 

前後しますが、その和のコーナーでのトークで、CMされている美容機器のNBSさんの話題になると、

「これ以上綺麗になっだらどうしよう?って(笑)」

と、皆を笑わせてくださると、

「毛の多い方! 女性の蚊帳も髭とかある方はスルスルになりますよ。今、名古屋駅に広告がでているんです。まだ実際にはみていないんですけど。見に行きたいですね~。

落書きされないかなって...。

ねっ、そんなことしたら、呪ってやるう~」

 

そんなきよしさんに、

「嫉妬からでしょう?」

と西寄さんがフォロー。

でも、大丈夫、巨大なボックスの神々しいまでのkiinaの美しさを目の当たりにしたら、どんな邪な人でもそんなことできません!

さらにかねふくさんの立て看板の画像が新しくなったことや、大阪のビジョンでエックスモバイルのCMがながれていることを西寄さんが紹介されると、

「エックスモバイル、使ってる方? (客席をみわたして)えっ、ゼロ? いないの? ちょっとぉー、ちょっとぉー、ちょっとぉー。わたしがCMでてるんですよ~」

と、”ちょっとぉー”を連発(汗)。

このときは使用している方がおられなかったようで、それでも手が挙がらない客席に、

「ちょっと! もおお~」

と(笑)。

でちゃった、甘えん坊!

この会場ではたまたま利用者がいなかっただけで、西寄さんによりますと、着実にシェアを広げているそうですので、こんなに熱心に宣伝されているきよしさんのお気持ちに応えて検討されたい方は下記をクリックしてくださいませ~。

 

 

「26日は『うたコン』! 大阪から『群青の弦』を歌わせていただきます。

歌えなくて、1か月近く家にずっといたので、うわーってなって、ギャーッとなりますよ。

人って、人を会話することで元気になるんだなって思いました。

励まし合って。

コンサートはいいですね~。孤独が紛れるっていうか。幸せをわかち合える。いいですよ」

と、しみじみおっしゃったきよしさんでした。

26歳だったかな? 初めての座長公演をやって。

それからいろんなことをやらせていただきましたが、今回は自分の素質を行かせるものというjか、素に近いものをやらせていただきます。そう、○○〇の〇〇〇〇の役、やってます。

西さん、”えっ?”って、ほら撮影したじゃない」

 

何と返事をしてよいのか手探り状態の西寄さんが、

「あのシルエット?」

とひとことおたずねになると、

「はい」

と即答されたのですが、ふたたび西寄さんが、

「(それって)いっていいんですか?」

と確認されると、”あっ、しまったっ!”という様子で沈黙されたきよしさんでした(笑)。

そんな楽しいトークのあとで、バンド紹介、グッズとCDの紹介をされると、「群青の弦」を歌われたのです。

 

「きみとぼく」は、何度も涙で声を詰まらせながらの歌唱でした。

視力を失って以来、ココアくんの光はずっときよしさんだったけれど、同時にココアくんはきよしさんにとっての光だったのだとあらためて感じて、切なさでいっぱいになりました

「きみとぼく」を歌うことで、ココアちゃんと心をシンクロさせて、一体になることができるのかなって感じています。

きよしさんのなかにココアちゃんのぬくもりや匂いがよみがえり、その魂が自分の心に確かに生きている。

不滅であり、永遠であることを、確信することができるのかなと。

でも歌い終わると、その肉体の不在を感じて..。

できることなら「きみとぼく」をずっと歌い続けていたい思いになるのではないでしょうか。

 

「碧し」では、後半のスキャットの部分を優しい響きのファルセットで、終盤は地声で歌われ、そんな今現在の精一杯の歌唱は、未来への希望を感じさせ、感動的でした。

苦心しながらも、一丸となったスタッフに支えられ、見事に最後の1曲まで誠心誠意歌われ昼の部公演の幕を降ろしたのでした。

 

*ホテルのお部屋からみた橿原市民会館

 

夜の部では、オープニングトークで、

「自分もこの日を一生忘れません」

と、おっしゃり、その言葉とその響きが心の奥底にしみいったのです。

4日前にボイストレーニングをうけて、この日のコンサートに臨んだこともお話しくださいました。

 

和のコーナーでのトークで、

「1か月くらいしゃべってなかったし、コンサートもないので退屈でダラーッとしてました。

声帯ポリープ!

からだは元気だがら、スタミナたまっちゃって、ううう~って(笑)。それを、今日、爆発させてます」

 

夜の部でもCMの話題になり、NBSさんの紹介をされると、

「西さんの髭もきれいになりますよ~。(そのままだと)”おやつはカール”みたいになるでしょ。

あと、介護脱毛というのもあるんですって。ハンディータイプの機材を頂戴したんです。肌のひきしめ、あげて、あげて口角をあげて~」

そして、

大阪に数日滞在するので、

「たこやきが楽しみ!東京でもみつけたんです。”くるる”っていうお店(*多分、”くくる”のことではないでしょうか?)。やわらかいの好き」

と。

 

CD紹介をされたあと、

「心ある曲を歌っていきたい」

と、おっしゃったあと、即興で、「君の海」でよかったでしょうか? メモの文字が書きなぐりすぎで、”海”か”酒”か判別困困難になってしまいました(汗)。

きよしさんは、その曲を、

「♪てんてけてけてけてーん、てんてけてけてけ、mmmmm...」と、口三味線付きで歌ってくださったのです。

 

「WALK」を歌ったあと、

「コロナ禍になって、いろんなことが変わりました。

世界のどこにいってもマスクをしていて表情が見えない。

表情がみえたら、安心できるのに。

そんななかでも打ち勝っていく。前を向いて、心ある歌を歌っていきたいと思います。

最後の曲になります。

ここ数年は作詩もさせていただいています。

20年前から書きたいと思うようになり、書いていました。

後世の人たちに伝えたいことを歌詩にしています。

芸能界って抑圧されていく世界です。

人にみられたり、期待されていることもプレッシャーに感じることもあります」

と、今の心境を言葉にされました。

 

歌うことは大好きだけれど、それに付随するトップアーティストであるゆえに増す期待や重責、容赦ない誹謗中傷は、きよしさんでなければわからない過酷なものなのでしょうね。

 

そんなことを考えて胸がいっぱいになったところで、「碧し」を歌ってくださいました。

後半のスキャットを夜の部では最初から地声で歌われたので、”それの歌い方も素敵!”という思いをつたえたくて、あわててバッグの装備していたペンライトを手にとり、振ったのです。

すると、べつにわたしがそうしたからというわけではなく、同じ思いの方たちの空気を感じとられたのでしょうか。

きよしさんは、数フレーズ目からファルセットで高音を響かせ、最後もすべてファルセットで歌われました。

 

いよいよの幕が降りる際、ステージのセンター階段で、プリンスお辞儀をされました。

昼夜、あわせてのファンへの最高の感謝の気持ちの表現に、”天晴れ!”という言葉がうかんできたのです。

きよしさんのデビュー以来のすべて、活動休止を発表したあとの今年ののどの治療も含めてのすべてを、わたしは心から”天晴れ!”と快哉を叫びたい。

そう思ったとき、このブログを、また前を向いて書いていかれると思ったのでした。

 

 

次回は、「夜桜演歌まつり」のことを書きたいと思っています。