今回は、明治座さんで3度目の公演「氷川きよし特別公演 め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~/氷川きよしコンサート 2015 in 明治座」のことを書いた記事を再アップします。
2015年、きよしさんはのどの手術をされたことを、のちに「徹子の部屋」で初めてお話しくださり、ファンへの約束を果たしてくださいました。
 
そう、前年の2014年は15周年イヤー。
紅白歌合戦でしめくくると、年明けてからはしばし休息され、その年はデビュー記念日コンサートも開催されず。
明治座公演から再始動されました。
 
では、以下は、2020年に書いた記事の再録です。
2015年3月、きよしさんは明治座さんで3度目の公演を開催されたのですが、前年の2014年の15周年を大晦日のNHK紅白歌合戦まで見事に走り抜かれたきよしさんは、年明けて、しばし休息されていました。
休息されるという具体的なおしらせがあったわけではないのですが、コンサートツアーの開催もなくテレビ番組への出演や公開放送にもきよしさんのお名前を見つけられず、恒例となっている中野サンプラザでのデビュー記念日のコンサートもこの年は開催されなかったのです。
”どうしたのかしら?”
”きよしさんになにがあったのかしら?”
3月からのこの明治座さんでの公演がきまっていましたので、それがこころの拠りどころではありましたが、お会いできない2か月は、今この記事を再構成して書いている2020年の今とはちがった意味でさびしく、心配を抱えていたことを思い出します。
 
そのことはのちに”時がきたら必ずお話しします”とファンに約束され、数年後の「徹子の部屋」でお話しくださいましたがので、今では皆さまがご存じのことですが、のどの手術をされていたのですね。

 

そんなきよしさんが、明治座さんの初日を前に、2月25日、「スカパー! 音楽祭 2015」に生出演されたのです。
音楽監督を務める武部聡志さんが、
”今夜、最初にして最後の演歌”と紹介してくださり、「さすらい慕情」のフルコーラス生歌唱となりました。
 
さらに小室哲哉さんと「My Revolution」をコラボされたのです。
歌う前の会話で、
きよしさんが、小室さんに”ここだけの話”と前置きされると、
小室さんが、”みんな聞いてるよ”なんて、にこやかにおっしゃってくださいました(笑)。
きよしさんは学生時代から小室さんが大好きで小室さんの楽曲をたくさん聴いているのだということを言葉にされてから、
”だから今日はわくわくしています”
とお話しされ、いざ歌い出す前の、きよしさんの緊張しながらもたまらなく幸せそうな微笑みが印象的でした。
 
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氷川きよし再始動!
そんな思いできよしさんをみつめ、その輝く笑顔とのびやかな歌声に心から安堵し、たまらなく幸せな思いになったのでした。
忘れることができない思い出です。
 
そんな2か月を経て、20周年へ向けての第一歩としてこの公演は開催されました。
 
 
3月1日~3月29日 明治座 
氷川きよし 特別公演 「め組の辰五郎~きよしの千両纏~」 

 

「氷川きよし特別公演 め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~/氷川きよしコンサート 2015 in 明治座」というタイトルで、きよしさんが演じられたのは火消しの辰五郎。江戸を守り、人々を救いたいという思いから、火消しという命がけの仕事を志し、日々奮闘しながら成長していく辰五郎にをイキイキと演じるきよしさんに、魅せられたのです。
 
 
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明治座さんでの公演は2年ぶり3回目となりますが、今回、お芝居は中休憩を入れずに90分間の通し上演となり、30分間の休憩のあと、コンサートは75分間という構成になっていました。過去2回はお芝居に中休憩があったのです。

 

第1部のお芝居、「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏」で、きよしさんが演じる辰五郎は正義感が強くて曲がったことが大嫌い。
ちょっとおっちょこちょいで向こう見ずなところもありますが、何より人情家で心優しい青年。人間模様が何層にも織り込まれ、一緒に悩み、葛藤しながら、成長していく、”きよし・辰五郎”を見守り、応援していくうちに、自分自身も励まされたのです。
舞台のセットもぜいたくなほどに転換していき、火事場のシーンの迫力は想像を超えるものでした。
 
 
 
パンフレットのごあいさつには、
いつも暖かい応援をありがとうございます。
昨年のデビュー15周年は、ファンの皆さまのかげをもちまして、素晴らしい1年にすることができました。心より御礼を申し上げます。
そして、20周年へのスタートの意義を込めた今年、デビュー16年目に三度(みたび)、伝統ある明治座の舞台に立たせていただくことになり、身の引き締まる思いです。
 
第一部の演目は、「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏」です。正義感が強く、人情に厚い青年辰五郎が、周囲に支えられながら火消しとなって成長していく物語です。共演の皆さまも素晴らしい方ばかりで、この舞台でしっかりと芝居を勉強させていただきたいと決意しております。日々、成長していく辰五郎と氷川きよしを皆さまにご覧いただけるよう頑張ります。
 
第二部の「氷川きよしコンサート2015in 明治座」では、「箱根八里の半次郎」から新曲「さすらい慕情」まで、オリジナル曲をシングル、アルバムから選曲させていただきました。
また先輩方の懐かしい昭和の第ヒット曲も歌わせていただきます。
 
皆さまに「楽しかった!」と言っていただけるよう、精一杯努めさせていただきますので、皆さま、ご声援を何卒よろしくお願い申し上げます。
 
平成27年3月吉日  氷川きよし
と書かれています。
 
 
 
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脚本・演出の市川正さんが、公演パンフレットに、
何時の時代でも防災は命がけの作業です。現代でも消防士は火災は言うに及ばず、地震、台風、事故、遭難といった場に我が身を顧みず危険に身をさらします。その尊い姿に頭が下がります。
我らが氷川きよしさんがそのめ組の火消し、辰五郎を、文字通り命をかけて演じます。どうか皆様惜しみない拍手で後押しのほどよろしく御願い申し上げます。
と書いてくださっていました。

 

 
 
この公演での歌唱は絶好調!!
初日から、”歌唱が素晴らしすぎる~”と参加された方から、おしらせがあり、このときはわたしは2日目に参加させていただいたのですが、そのめくるめく歌唱に惹きこまれました。
思えば、年明けてから、この公演までの間に、のちに公表されましたが、のどのメンテナンスをされていたのですね。
 
わたしは、そのときの感動をこんなふうに書いています。
「情熱のマリアッチ」を歌唱されたときのことでした。
甘く、切なく、そして激しいその歌声に、がっしりと心を惹きつけられてしまいましたが、きよしさんはそのまま、
「♪マリアッチ~~~」
とロングトーンを続けられて...。
もう、きよしさんと一緒にジェットコースター状態(?)になったのです。
強く、遠く、また強くと、まさに超絶ロングトーンでしたが、そのときのきよしさんの左手にわたしの目は釘付けになりました。
親指と中指で、何かをスーッとひっぱって伸ばすような仕草を数度されたあと、その2本の指先をくっつける用にして円を描きながら、そのまま高くくるくると回されたのです。
そのロングトーンの圧倒的な響きに聴き惚れながら、きよしさんの音を操っているかのような美しいその仕草にも見惚れたのでした。
 
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明治座の三田芳裕社長が、公演パンフレットの挨拶文のなかで、
デビュー十六周年を迎えられた氷川さん。いつも変わらず真摯に歌に取り組まれる姿勢、観る人の心を温かくする”人柄”こそ、氷川さんの魅力であると思います。
幅広い年代を魅了するその姿を、どうぞごゆっくりご鑑賞ください。
と書いてくださっていて、ああ、ほんとうにそのとおりと感じ入りました。
 
この公演のときは、12日に、きよしさんが、1日消防署長をつとめられるというイベントがありました。
昼の部の公演が終わったあと、ステージ上で日本橋消防署長さんより、きよしさんに一日消防署長の委嘱状が交付されたのですが、
署長さんに、
「私より署長らしいですね」
とほめていただいた、きよしさんだったのです。

劇場をきよし署長の号令で避難訓練をかねて退出。
明治座さんの前で消火活動のデモンストレーションがおこなわれるときいていましたが、そのとに出るとすでに何重もの人垣ができていました。
事前に知らされていなかったのですが、そこにきよしさんがいらっしゃるとのこと。
あわてて、後から列につきましたが、劇場エントランスの扉近くの、ちょうどワイドショーのムービーカメラマンのかたたちの横のスペースに立つことができ、私服に着替えた西寄さんも近くで見学されていたのです。
劇場前にきよしさんが登場され、最初は生声で号令をかけたりするシチュエーションが何度かあり、そのたびに、きよしさんの生の声の美しさにうっとり。
その後、マイクをつかってご挨拶され、梯子車にものぼられたのです。
四方から大きな“きよしコール”も起こって盛り上がりは最高潮。イベントが終わると、きよしさん、とてもとても嬉しかったのでしょう。エントランス近くの見学の列の前方に、白手袋をされた手を差し出してくださいました。
前列の方の何人かの手をふれたところで(わたしは前列ではありませんでした)、きゃあっ!と人が押し寄せそうになって、スタツフのかたが止めてくださいましたが、それでもきよしさんは名残惜しそうに、手を振られて…。
ドアの向こうに入られる間際に、両手で投げキッスをしてくださったのです(嬉)。
もう、その場にいた皆(ここはわたしもです・笑)は、とろけてしまいました。
 
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29日、千秋楽を迎えましたが、東京は朝から晴れていて、まさに”きよし晴れ”。
桜も、きよしさんの千秋楽をお祝いしてくれるかのように、咲きだした、劇場地元の甘酒横丁では”桜まつり”が開催されていました。
 
この日の第1部のお芝居の舞台上での共演者のかたとのやりとりのなかで、
”1カ月どうもありがとうございました”、
”1カ月お世話になりました”
というような感謝の言葉を、きよしさんは自然にまじえておっしゃったのです。
その言葉に共演者のかたのほうが思わず涙ぐまれると、きよしさんは優しく微笑み返しをされ、座長としての貫禄を感じさせられました。
 
2部のコンサートで、きよしさんいわく”辰っちゃんの歌”である「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」を歌う際、きよしさんのうしろに纏と鳶口をもったかたが4名いらして歌唱に合わせて纏をふったり、鳶口を鮮やかに回してくださいます。
きよしさんは歌唱される前に、後方にいらっしゃるそのかたたちのほうを左右それぞれに半身振り返って右手、左手を高く掲げられるのですが、わたしが、この日すわっていた座席から、きよしさんが半身振り返り、片手をかかげたときに、纏を持ったかたの目を見つめて、”ありがとう”とおっしゃったのが見えたのです。
ステージの上と、そのかたたちが立っておられるステージ上段まで距離があるのですが、その纏を持たれたかたは、きよしさんに応えてうなづき、”ありがとうございます”とおっしゃった様子でした(口の動きだけしか見えませんので・笑)。
数々の名シーンに加えて、わたしにはその様子が忘れられないシーンのひとつとなりました。
 
きよしさんは、
「皆さん、1か月劇場にお越しくださり、応援してくださり、ありがとうございます。
またお越しになれなくても、全国、世界中からも僕を見守ってくださり、ほんとうにありがとうございました。
今日、お越しになれなかったかたもいらっしゃると思いますが、どうかよろしくお伝えください。
日々、辰五郎も少しずつ成長して...。
もう、辰五郎に会えないと思うとさびしいですね~」
感慨深気にそうおっしゃったあと、
「またいつか、どこかで会えたらいいなと思います」
とおっしゃいました。
 
そして、”昭和の名曲コーナー”のラスト曲「無法松の一生~度胸千両入~」を歌い終え、舞台袖に戻られると、西寄さんが、1カ月43公演を振り返って、
「わたくし、ずっと見させていただいてきて、氷川きよしは日本一幸せな座長だなと思いました。
そして15年ご一緒させていただいておりますが、
きよし君のことが年々好きになります。
今日は皆さんに盛り上げていただいて、有終の美を飾りましょう」
とご挨拶されたのです。
 
さらに、きよしさんは、
「ここまで1カ月、多くの皆さまにお越しいただき、全国のファンの皆さんにも応援していただき、見守っていただきました。
おかげで日々健康で、今日までやってこられました。
舞台裏ではマネージャーさんはじめたくさんの、何百人ものスタッフが動いてくださって僕を支えてくださいました。
ありがたいですね。
これまでの明治座さんでの2回の公演もほんとうに楽しかったのですが、今回はそれ以上に楽しいものでした。
(いろいろな場で活躍されている)共演者の皆さんが、それぞれの花を舞台で咲かせていらっしゃる様子に、僕も僕らしくやらせていただこうとと思わせていただきました」
と、おっしゃると、あらためて西寄さんのほうに向き直り、
「西寄さん、よくやってくれました。ありがとうございます」
とお礼をおっしゃったのです。
西寄さんは、”とんでもありません”というふうにかぶり(頭)をふられてから、
「楽屋の雰囲気も、客席の雰囲気も、すべてはきよし君が作ってくださっているんです」
と。
 
また、あらためて辰五郎について、
「辰五郎は正義感が強くて、江戸っ子気質で。情熱的なんですけど、さっぱりしているところがあって、大好きですね。
僕は博多の人間ですけど、博多の人って、気が荒いけど慈悲深いところもあって。『無法松の一生』という歌からもおわかりいただけると思いますけど。
だから似ているんですよね。
お芝居のとき、勝野さんに”真っ直ぐに生きていっておくんなせえよ”といっていただくシーンがありますが、セリフって、命に入ってくるというか。
心の深い部分に入ってくるんですよね。
そして自分の、素の山田清志になったときにも、またその言葉が入ってくるんです」
とお話しくださいました。
 
コンサートも終盤に近づいたところで、西寄さんに、
「言い残したことはありますか?」
と問われたきよしさん、
「言い残したことは~...あります!」
としばし逡巡されてから、
「今日で43公演、多くのかたにお越しいただきましたが、そのなかにはお年寄りのかたもいらっしゃって、杖をついて階段を昇り降りをされて。
ありがとうございました。
僕に、(お手紙ででしょうか、少し聞き取りにくかったのですが)
”そのようなお年寄りの姿を何人も目にしたり、お隣でペンライトをふって、応援しているかたが93歳と聞いて、氷川きよしはそういうパワーを人に与えているんだと驚き、感動しました”と、教えてくださったかたがいて。
あらためて、そんな皆さんの思いにこれから、お応えしていかれたらと思わせていただきました」
とおっしゃったのです。
 
 
 
着流しにお召しかえされて、「箱根八里の半次郎」、「大井追っかけ音次郎」を歌唱されると、ラストトークに。
「人生というのは、どなたもそうだと思いますが、分岐点がありますね。
僕は18歳のときに水森英夫先生にスカウトしていただいて、状況して3年半アルバイトをしながらレッスンをしていただきました。
なかなか東京弁になじめませんでした(笑)。
デビュー曲の『箱根八里の半次郎』に、”廻し合羽も三年がらす”と、”おっ母すまねえ 顔さえ出せぬ”という歌詩がありますが、そのときの自分と重なったんですよね。
分岐点はいくつもありましたが、歌手になって、デビュー曲がヒットして、ファンの皆さんが応援してくださって...。
多くのかたが手をさしのべてくださいました。
人の心は時とともに移りかわりますが、そのなかで、これまで応援していただいて...。
ありがたいですね。
人の心って移りゆくものでしょう?」
きよしさんの言葉に、
”変わらん!”っといかめしい形相でおっしゃられたかたがいらしたそうで、
「”変わらん!”って、そんな怒っていわなくっても」
怒られてしょぼんとしながらも、嬉しそうなきよしさんでしたが、もしかしたら、そんなふうに、皆に”わたしたちは違うよ”って怒ってほしかったのかもしれませんね。
なんだかそんな気がしたのです。
ここで、そんなきよしさんの思いに応えるように、そして千秋楽を祝させていただきたくて待ちきれなかったとういように、大きな”きよしコール”が起こりました。
長い、長い”きよしコール”でした。
「嬉しいですね~。盛りあげてくださって。ありがとうございます」
 
尚もやまない”きよしコール”でしたが、きよしさんが少し大きな声で、
「ありがとうございます」
とお礼をおっしゃると、コールは静まり、きよしさんの言葉を待ちました。
ここで、”辰っちゃんの歌”への思いをお話しされて、「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」と歌ってくださり、いよいよラストの「白雲の城」を歌うため、ステージ中央のステップの中段に移動されました。
 
きよしさん、
人間はひとりひとり、とてもはかない存在だけど、そしてこの今、抱きしめるようにして味わっているあなたがくださった感動だって、目に見えないし、さわることもできないけれど、でも、わたし、生きていて、こんなに幸せで嬉しいことがあるんだって、今心から思っているから、この感動はきっと、この宇宙のどこかにちゃんと伝わっているはずだって思えたの。
それこそが、もしかしたら”永遠”というもの?
その答えは今はわからないけれど、
いつか、あなたの歌唱がわたしにそのことを教えてくださいますね。
勝手ながら、そんな思いでいっぱいになっていたのです。
 
アンコールの「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」を熱唱されると、明治座1カ月、43公演の幕が、われるような拍手と声援に送られて、おりたのでした。
 
 
 
幕がおりても、客席の照明はつきませんでした。
一瞬、それぞれがその感動を胸にしまいこむかのように、シーンとしたかと思うと、
”きよし!”、
”きよし!”
とコールする声が広がっていきました。
大きな”きよしコール”が響くなか、「きよしのズンドコ節」のイントロが流れてきたかと思うと、ふたたび舞台の幕があがり、そこには出演者の皆さんが私服姿で勢揃いされていたのです。
 
お芝居では講釈師・不動軒天山役でも大活躍された、司会の西寄さんの進行で、出演者の皆さまがご挨拶されていきました。
そのとき、め組の頭(かしら)・鉄造役の勝野洋さんはこんなふうにお話しされていたのです。
「め組の鉄造です。
(生後)2カ月の猫に”鉄造”と名前をつけました(笑)。
芝居のなかで、”若い(わけえ)の、そのまま、真っ直ぐに生きていってくだせえよ”というセリフを1カ月いっていましたが、自分ではまっすぐに生きているつもりだったけれど、ほんとうにそうだろうか? 
あらためて自分でもそう生きていかないといけないという気持ちにさせていただきました。
氷川さんはほんとうに純粋な人ですね~。
セリフをいうときって、お互いの目を見ていいますけれども、氷川さんは目で伝えてくる。
それは役者の鑑っていうか、人間の鑑だと思いました」
 
西寄さんに、”われらが氷川きよし座長です!”と、あらためて、紹介されたきよしさん、
「稽古のときから今日まで、あっという間でした。
正直、体力的には大変なときもありました。
20代のときは、時代劇って難しいなって敬遠していたところがありましたが、勉強すればするほど好きになって、今では大好きです。
もし、明治座さんでまた公演をやらせていただけたら、全員、今回と同じメンバーでと思っています。
いかがでしょうか?」
きよしさんが、共演者の皆さんに問いかけるようにそうおっしゃると、どなたからも笑顔が返ってきました。
”もう一度共演したい”
という言葉こそ、役者さんにとって最大の賛辞だと、きよしさんはご存知だったでしょうか?
いえ、そんなことよりなにより、その言葉に込められたきよしさんの感謝の思いと感動に、ステージに立たれていたすべてのかたの心がまた感動でふるえたのだと思うのです。
メイコさんが何か、きよしさんにおっしゃったでしょうか?
きよしさんは、照れ臭そうに、
「僕、人見知りなんで、なつくまで時間がかかるんです」
と、おっしゃいました(笑)。
 
そこで、エンディングの「きよしのズンドコ節」のメロディーが流れ、きよしさんが、“ありがとうございました~”と、今一度お礼をおっしゃると、いよいよ、明治座1カ月43公演の幕がおりたのでした。
 
 
 
終演後、劇場の外へ出ると雨が降っていましたが、明治座さんの周りには三重、四重の人垣ができていました。
千秋楽のチケットはとれなかったけれども、1カ月座長公演を終えたきよしさんをお見送りしたいと、たくさんのかたが集まっていたのです。
わたしも、その人垣のうしろで、きよしさんのお帰りを待たせていただきました。
 
共演者の皆さまをお見送りされていたのでしょうか。
きよしさんの車は皆さんがお帰りになられたあとに、出てこらえたかと思います。
このとき、鮮やかなスカイブルーのジャケットをお召しになられていて、きよしさんの幸せそうな輝くような笑顔、そして優しく深いまなざしに吸い込まれそうな思いがしたのです。
その月のFC会報で昨年の「NHK紅白歌合戦」が終わって帰宅される際、新年だからとお着物に着替えていらしたことをお写真付きでおしえてくださっていますが、ふとそのことが思い出されて...。
コンサートのなかで、”20周年へのあらたな船出”とおっしゃっていたので、その晴れの船出に、きよしさんがあえて、大好きな”ブルー”を身にまとわれたように、勝手ながら感じたのでした。
 
文末に、お母さまのエピソードを。
この公演にご両親を招かれたきよしさんでしたが、帰宅されてから電話があったのだそうです。
「2日後に、母から電話があって、
”きよし、どげんしてあげなセリフ覚えたと?”
って聞かれました(笑)。
”スターみたいに見えたと”
っていうので、
”そおお~?”っていったら(笑)、
”氷川きよしって雰囲気ば、つくっとったっちゃろ”
って。
僕、”そおお~? 普通だけど~”って答えました(笑)」
と。
そう話しながら、嬉しそうなきよしさん。
お母さま、チャーミングすぎますっ!
かわいらしいお母さまに、いつでもそういうかわいらしさを持っていたいなって思わせていただいています。
 
※あらためてこの当時の気持ちを思い出して、じんときました。
また、”辰っちゃの歌”っていっていたことは読み返して、ああそうだったと。
5年前のことではありますが、あまりにもいろいろな出来事があって、書きとめたことからそのときの心境がよみがえり、胸がいっぱいになります。