こんばんは。

今夜は、”関東氷川会”あらため”kiina会”の皆で、新宿某所(っていつもの場所っていわせていただいてよいでしょうか?)に集まり、6月3日からの明治座さんでの公演の成功を記念させていただきました~。
明治座さんへ来場される方もお留守番組の方も、こころから応援することで皆がひとつになって、kii座長と一緒にゴールまで完走できますように!
熱い思いと決意をあらたにする”決起大会”の意味合いもこめた楽しい宴となりました。
 
わたくし事ですが、昨日は仕事でアクシデントが起こりました。
誰がどうといっても仕方ないことなので、身から出た錆のようなものと受けとめて、今日は誠意をもって行動して、ひと山越えられたかなと思えるところまでもっていけたのです。
それもこれも、今夜の集まり、そして6月3日からの公演のためにきよしさんもがんばっておられるのだと思うと、笑顔でがんばれました。
 
ありがたいです。
 
今、ほろ酔い気分で帰宅して、ひと休みしてブログを更新しています。
膨大な記録なので、日によっては2つ記事を更新して、初日を迎えたいと思っています。
 
では、以下は前回の続きで、2006年の春へと時計がもどります。
 
 
 
2006年は4月20日に明治座で二度目のコンサートが行われています。 
タイトルは前回同様、「氷川きよしコンサート in★明治座」で、昼夜2公演の開催でした。 
 
イメージ 4
 
 
引き続きコンサートツアーで全国を回り、11月19日には東京ビッグサイトで7000人握手会を開催。
日本レコード大賞に王手をかけました。
この握手会、これまでに6万8000人と握手をしたので、この握手会で7万5000人と握手をしたことになったのだそうです。
 
イメージ 3
 
 
11月29、30日には新宿厚生年金会館でファンクラブ会員限定デビュー7周年コンサートを開催しました。
 
そしてこの年末、「一剣」で、きよしさんはみごと日本レコード大賞 大賞を受賞されたのでした。
 
 
 
 
2007年に入ってコンサートツアーがスタート。
3月10日は「NHKのど自慢 グランドチャンピオン大会」にゲスト出演。この時、優勝されたのが、その後デビューし、活躍されている清水博正さんでした。
 
5月9日には「あばよ」と「きよしのソーラン節」がリリースされ、きよしさんにとって初の2曲同時発売となりました。
発売日当日は広島厚生年金会館でコンサートを開催され、デビュー8年で888回公演という記録を打ち立てたのでした。
 
 
そして6月1日から新宿コマ劇場で三度(みたび)座長公演が行われたのです。
東京では2年ぶりでした。
 
6月1日~6月27日 新宿コマ劇場 
氷川きよし 特別公演 「きよしの一心太助」
 
6月7日の読売新聞に掲載された劇評(西田浩氏)の結びに
”正味3時間半の長丁場は、主役のキャラクターを前面に出した、極めて良質なエンターテインメント。座長公演のあるべき姿を体現したと言えよう。かわいい息子や弟、そして永遠の恋人として、ファンに愛される源泉を実感できた。”
と、書かれていました。
この劇評を読んで、”永遠の恋人”って素敵な言葉だなあと思った記憶があります。
 
 
この時は新宿コマ劇場でのチケット販売は、コマ友の会の優先電話予約もなくなり、ハガキでの応募のみでした。

 

 
 
千秋楽のチケットはファンクラブでは取れませんでしたが新宿コマ劇場にハガキで申し込んだ一般発売で、幸運にも千秋楽のチケットを取ることができ、ファンクラブで取っていただけた他の日のチケットもあり、新宿コマ劇場に4度ほど足を運んだのでした。
 
第2希望も書いておきましたので、新宿コマ劇場から宅配便が届いた時には、ドキドキしてなかなか封筒を開けることができなかったのです。後で見たら宛名に” 0627 昼S2 12000×2 24000”なんて書かれていたのですが、まったく目に入っていなかったのです(笑)。
 
 
  
以下は、公演パンフレットのきよしさんからのメッセージです。
ごあいさつ
いつも暖かい応援をありがとうございます。
ファンの皆さまのおかげをもちまして伝統ある新宿コマ劇場の舞台に三度目(みたびめ)は一心太助として立たせていただくことになりました。
前作「きよしの森の石松」に引き続き、沢島忠監督のご指導のもと、共演の諸先輩方やお客様に育てていただく新米の一心太助でごさいます。
デビューの頃より、時代ものには縁が深く、デビュー曲「箱根八里の半次郎」「大井追っかけ音次郎」「番場の忠太郎」。
お芝居では「草笛の音次郎」「きよしの森の石松」と挑戦させていただいておりますが、江戸っ子ははじめて。
股旅ものの長ドスを今度は、魚屋の天秤棒に持ちかえて江戸の悪を懲らしめます。
「やいやい、この俺を誰だと思ってやがんで。神田駿河台、大久保彦左衛門一の子分、太助たぁ、俺の事だッ。」
未熟ではございますが、精一杯つとめさせていただきますので、皆さまご声援を宜しくお願い申し上げます。

平成十九年六月吉日  氷川きよし
 
 
 
初日から数日間、HKピュアリバーの藤林さんが体調をくずされたとのことで山本さんがバンマスを務め、ベースは助っ人の方が来てくださいました。
わたしは初日の翌日に観に行ったので、どうしたのかしら? とかなり心配に思ったのですが、数日お休みされただけで復帰されたと、その後の公演にいらした方から聞いて安心、その後、11日のわたしのバースデーにも、観覧できたのですが、そのときには藤林さんはすっかりお元気な様子でした。
 
わたしはバースデーのその日に、
”こぶしはいつまわせるようになったのですか? 誰でもまわせるようになるのでしょうか?”と書いた質問をきよしさんにボックスからひいて読んでいただき、最高のバースデープレゼントをいただいたのでした。
今思い出してもドキドキしてしまう素敵な思い出です。
記念に白紙の質問用紙をチケットと一緒にファイリングしてありました。
 
 
 
そして、その数日後の週末の公演の際には、キャンペーンで全国をまわったエピソード、とりわけ金沢での思い出を話してくださったのです。
このエピソードはその後、何度かお話しされていらっしゃいますが、スーパーの横の小さな小屋のような所の前で歌っていて、最初は10人の方が聴いてくださっていたのだそうです。
当時のきよしさんが歌ったのは最大5曲。「箱根八里の半次郎」、「浅草人情」、「兄弟船」、「命くれない」、そして再び「箱根八里の半次郎」を歌っていたのですが、歌っている間に1人減り、2人減り...。
最後にはどなたもいなくなってしまったのだそうです。
きよしさんは”その時のさびしい気持ちを今でも思い出すことがあるんです” そうおっしゃり、「命くれない」をワンフレーズ、ツーフレーズ、と場内の反応をみてとりながらア・カペラで歌ってくださいました。
その何とも感動的な歌声、そして金沢でのきよしさんの思いが伝わってきて、涙がどーっとあふれたのです。
 
この日、アンコールのラストは「箱根八里の半次郎」でしたが、歌唱されながらきよしさんが、涙、涙となってしまい、何度も何度も絶句されて歌えなくなってしまったのです。
きよしさんが今どれほど幸せな気持ちでいらっしゃるのかを感じ、切ないほどにうれしくなったのでした。
 
そして迎えた6月27日の千秋楽。
アンコールの「箱根八里の半次郎」を歌い終えたきよしさんは両膝を舞台について、
”終わったぁーー”と叫んでガッツポーズをされたのです。
どんなアスリートをもしのぐみごとなゴールインにわたしには思えました。
 
その後、共演者の皆さんが舞台に勢ぞろいされ、「きよしのズンドコ節」をワンコーラスずつ歌って幕を閉じたのでした。
共演者の方々が「これからも彼をよろしく!」と、あたたかな言葉をおっしゃり、その言葉にきよしさんが恐縮されながらも嬉しそうにされている姿に、胸が熱くなり、じわっときてしまいました。 
 
終演後には新宿コマ劇場周辺にきよしさんを送る方の列ができたのです。
共演者の方や楽団の皆さんは徒歩で帰られたり、近くの新宿コマ劇場の駐車場まで歩かれていったのですが、その度に、大きな歓声がわき、
”ありがとうございました”、
”お疲れ様でした”
というやりとりがありました。
 
新宿コマ劇場のスタッフの方が,
”場所が場所だけ(歌舞伎町ですから)に、悲鳴をあげたりしないでくださいね。事件と思われると、警察の方にも迷惑がかかりますから”
とおっしゃったことが印象に残っています。
わたしもこの日は皆さんと一緒に、きよしさんのお見送りをさせていただきました。
きよしさんは車に乗って、窓を開け、ゆっくりと笑顔で手を振り、繰り返し会釈をされながら新宿コマ劇場を後にされたのでした。
 
その後、中日劇場と新歌舞伎座での公演があるものと思っていたのですが、一心太助はこの日で演じ納めとなりました。
きよしさんご自身が千穐楽のご挨拶で、
「もう、これが最後です。この次はありません」
と、きっぱりとおっしゃっていたので、少し意外に感じたのです。
でも、その後のきよしさんが、"歌・命”という思いで歌に集中されて、これまで熱唱されてきたことを考えると、きよしさんなりのお考えがあったのだろうなと納得できたのでした。
これほど皆に望まれ、そして”座長公演のあるべき姿を体現した”とまで評されても、しばらくは座長公演は封印されることになったのです。
 
新宿コマ劇場はこの翌年、2008年の大晦日に閉館したため、残念なことにこのときの公演が新宿コマ劇場での最後の公演となってしまいました。
 
きよしさんはもう座長公演をされないのかしら?
そう思って数年をすごしていましたが、2011年6月、きよしさんは4年ぶりに劇場公演に挑戦されることになりました。
選ばれた舞台は明治座。
お芝居の演目は「銭形平次 ~きよしの平次 青春編~」です。
 
以下は、ここまで書いてくるなかで、あらためて感じたことを書きます。
数年前、2010年に 亡くなられたつかこうへいさんは、日本の演劇におおげさでなく革命を起こした方で、わたしも大きな影響を受けた劇作家・演出家・小説家です。
演劇史において、つか以前、つか以後といわれ、今、演劇界の最前線で活躍している多くの方がその影響を受けています。
数年前、そんなつか氏の薫陶を若き日に受けられた俳優さんに、お話をうかがう機会がありました。
、当時、まだ20歳そこそこだったその俳優さんが、オーディションに合格して地方から上京し、つかさんの稽古を初めて受けた時のこと。
”やっぱり芝居らしいことをしなくちゃいけないんだろうな”
と思い、憧れのつか氏の前で、自分なりの”芝居らしきこと”をしてみせた途端、ものすごく怒られたそうです。
つかさんは、
「それはお前、ウソだろう! お前は普段そんなトーンでしゃべっていないじゃないか。芝居はテクニックでやったって1時間ともたないぞ。舞台ではお前の20年間生きてきた哲学を見せるんだ」
とおっしゃたということでした。
 
わたしはそのお話をうかがって、すぐにきよしさんのことが思い浮かびました。
そして初座長公演のその時から、常にきよしさんの舞台には"氷川きよしの哲学”が貫かれていたのだということにあらためて気づいたのです。
わたしは、きよしさんの命を燃やすような熱い舞台に心ときめかせ、きよしさんの存在、そして生き様そのものに魅せられていたのだということをあらためてしったのでした。
 
※次の記事では明治座さんでの初めての公演となった「銭形平次 ~きよしの平次 青春編~」を書いていきます。