22年の歌の道。

ファンの皆様との絆は、

どんなに離れていても、

どんなに破壊されようと

     する試練がきても、

     深い深いものがあり

     魂レベルで永遠だと

   そう確信しています。

 

氷川きよし

 

 

上記は昨年の7月30日頃にInstagramのストーリーズにアップされた、きよしさんのメッセージ。

何度も読み返して、あらためて皆さんにお伝えしたいと思いました。

 

きよしさん、

それとも、kiinaって呼んだほうがいいのかな?

あなたが選んで決めたことなら、それがベストな選択だと思ってる。

どんなときも皆を励まし続けてきてくれたあなただから、もし”氷川きよし”であるがゆえに、叶えられなかった夢があったとしたら、それをすべて叶えてほしいよ。

ファンとしては、あなたに会えなくなったら、自分がどうなるんだろう? とか。

待っていたいけど、待っていてもよいのかな? とか。

正直なところ、ざわざわとした葛藤も生まれてる。

 

でも、昨年の紅白歌合戦で歌ってくれた「歌は我が命」での歌唱や、すぐにうかんだという”歩き続ける歌の道”という今年のツアータイトルが、あなたの答えなのかなとも勝手ながら思ったりして。

いろいろな思いが渦巻いてるけど、

なぜ? どうするの? 

と、これ以上の詮索はしない。

デビュー以来、歌謡界のトップを走り続けてきたあなたにしかわからないことがたくさんあると思っているから。

わたしはこれからのあなたの言葉だけを待って、あなたの言葉だけを信じるよ。

 

これまで、”氷川きよし号”に乗せさせていただいて、乗船しなければ生涯見ることがなかったであろう夢のような景色をたくさん見せてもらってきたから。

今は、2022年の大晦日という港へ向かってまっしぐら!

港が近づいてきたら、心乱れて泣いてしまうことももしかしたらあるかもしれない。

だけどあなたに会えない時間も、あなたに恥ずかしい生き方はできないなってことだけはわたしのなかでもう決まってる。

わたしね、自分の心の中をながめてみたんだけど、やっぱりあなたには感謝の思いしかないんだよ!

あらためて心からのありがとうを贈ります。

 

 

さて、皆さま、

昨年から、Instagramのストーリーズで、思いを吐露されているように感じられて、ずっと、書きとめていました。

24時間で消えてしまうものなので、きよしさんが再アップすることがなければ、もうどこでも読めない言葉たち。

だから、ここに書きます。

 

昨年の11月23日頃には、

わたしに希望を

作ってくれた音楽

 

わたしを悩ませた音楽

 

わたしに世界をくれた音楽

 

そしてあなたとわたしとの

縁を作ってくれた音楽。

 

同日に加えて、

たとえ

口を

閉ざされた

ままでも。

生きてる時に 生まれ変わろう!

 

そして、11月28日頃に、

あの子も

あなたも

私も

 

You are you

私らは

おもしろいこと

たくさん

していこ。

と。

思えば、この時期にはもうすべてが決まっていたのでしょうか。

”私らは おもしろいこと たくさん していこ。”って、この精神、いいじゃないですか。

 

 

 

そう思うと、12月24日に放送された「限界突破RADIO」も思い出されます。

クリスマスに、家族でケーキとチキンでお祝いしたというリスナーからの投稿をうけて、

”いいですね~”と感じ入ってから、

「(こういう)平凡を夢見ていましたけどね、昔は」

とおっしゃったかと思うと、気を取り直してという感じで、

「でもこれからっ!」

と。

そして、

「こういう時間が欲しいと思っているので構想を練っています。海外で生活するとかして自分のほしいものを手に入れる」

そんなふうにお話しされると、聞き手の寺島尚正さんがそのことにはコメントされずにサッと話題を変えられたので、逆に不自然なものを感じて...。

書きなぐりではありますが、ノートにメモしておいたのです。

 

 

昨年の3月29日にそれまでの「氷川きよし節」から「限界突破RADIO」と番組名と日々のテーマ(月曜日から金曜日まで週5日放送)もリニューアルされた際、radikoで1週間分まとめて聴くこともあるので、”氷川きよし 限界突破RADIOのおと”なるものを作ったのです。

日付と曜日、その日に流れた曲目を書きとめ、加えてその日がCD発売日や、コンサート開催日、テレビ生出演される日であればそのことも書き添えるという、挫折しないようにシンプルなスタイルで始めました。

 

番組がリニューアルして2か月目くらいからだったでしょうか?

今だから話せるというような初めて耳にする貴重なエピソードや、とても深い話をされることも多くなり、心に残ったトークを自分で読み返したときに内容が思い出せるよう、自然とその内容を書きとめるようになっていきました。

 

一昨日(1月19日)は「冬のペガサス」をながしてくださり、この曲について、

「自分自身の人生の分岐点になった曲です。

”失くすことを 怖れはしない 心までは 渡さないから

悲しみながら ふるえて眠る 夜にも必ず 朝が来る”

これは2番の歌詩なんですけどね。

ここ、ほんとうに好きで。

人間て、過去、現在、未来って生きているじゃないですか。

(それで)過去のトラウマだったり、過去に縛られて。そして現在があって。未来のことを考えて、うまくいかなかった(場合の)ことを考えて不安になるんです。

でも失くすこととか失うことを怖れていたらほんとうに生きていけなくなる。

だから失ってもいいやぐらいの思いでやって、強く生きていかなければいけないんじゃないかなって思わせていただける1曲です」

と、思いを言葉にされていましたね。

お雑煮の話題をされ、今年のお正月はひとりで静かにすごされたとおっしゃっていたので、今回のことが決まってからの収録と想像すると、飾らない今の心境にも思えてきませんか?

 

ところで、このノート、なんと、今日まで欠かさず続いてきたので(忙しくてピンチもありましたが・汗!)、このまま順調にいけば番組の1周年のときにブログでノートのことを、”1年続いた”ということでご報告させていただけるかな? と思っていたのです。

 

このラジオを書きとめるということも、大好きなものを自分なりに最大限に味わうことの大切さをきよしさんが気づかせてくださってから始めたことでした。

 

 

 

そう。

今日、2022年1月21日のことを、わたしは生涯忘れません。

午後6時35分頃に、きよしさんの2022年いっぱいでの活動休止のニュースをしりました。

多分、6時30分に、事務所とレコ―ド会社のHPにアップされたのだと思います。

金曜日の終業後、土日を挟むことで、殺到するであろうマスコミの取材やファンからの問い合わせに少し猶予をつくるための判断だったでしょうか?

 

【氷川きよしに関する大切なお知らせ】

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
この度、氷川きよしは2022年12月31日をもちまして一旦歌手活動をお休みさせていただくことをご報告申し上げます。
これまで氷川きよしを22年間応援してくださったファンの皆様、ご支援くださった関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
2000年2月2日にシングル「箱根八里の半次郎」でデビューして以来、22年間歌い続け、走り続けて参りました。
ここで一旦お休みをいただき、自分を見つめなおし、リフレッシュする時間をつくりたいという本人の意向を尊重しこの様な決断に至りました。
お休みの期限は特に定めておりませんが、お休みに入るまで約1年ございます。コンサートツアー、6月からの劇場公演等で皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
今後とも氷川きよしへの温かいご支援、ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。

                                                                                                  2022年1月
                                                    株式会社長良プロダクション

 

 

日本コロムビアさんのHPにも上記同様の文面がアップしています。

 

 

 

わたしは、このニュースを何の因果かきよしさんの所属レコード会社で、社員の方からしらされました。

夕方からある方の取材のために伺っていたのですが、入室するや否や、ほんの数分前に、会社にとっての重大ニュースが発表されたということで、お話があったのです。

以前の社屋には”HKのど自慢”の予選会で伺ったことがありましたが、現在の場所に移転してから伺うのは初めてだったので、きよしさんにお会いできるわけではないとわかっていても、エントランスの「Happy!」のデジタルサイネージ(電子ポスター)を目にしてなんだかドキドキしてしまって。

それなのに、その数分後にきよしさんとはまったく関係のない取材で、突然、きよしさんの重大ニュースをしらされ、さらにその内容に青天の霹靂というか実感がないままに、その場でスマホでHPを開いたのです。

 

1時間ほどの取材が終わって外に出ると、ネットにわあっという感じで、たくさんのきよしさんのニュースがあがっていて、帰宅するとNHKニュースでも報じられていました。

 

大きな話題になっているため、いろいろなことが書かれてはいますが、きよしさんの担当記者の皆さんは、ほぼ、”とにかく休養したいという思いが強い”が、”それほど長い期間ではない”との見解で、そこに、担当記者の方たちの”氷川きよし”への愛と励ましを等しく感じてじんときたのです。

 

思えば20周年を華やかに飾った直後のコンサートでだったでしょうか。

「母に、今までがんばったんだから少し休んだらいいよといってもらいました」

とお話しされていたことがあって、きよしさんのすべてをご存じのお母様にそういっていただけたことがとても嬉しそうでした。

でもその後、休むどころかますます忙しくなっているようにみえたのですが、もしかしたらあの頃から少しずつ準備を始めていたのかもしれませんね。

 

今や自身で更新し続ける前人未到の数々の記録も、輝かしい賞歴も、すべては過去のもので生きている今現在が大事だとおっしゃってきたきよしさんですが、今回の決断に、あらためてそのことがうかび、ほんとうに言葉に嘘のない人だなあと思います。

 

皆様、このタイミングで、明日は、浅草の木馬亭で西寄ひがしさんのトークライブがあり、わたし、チケット予約しているので参加します。

また、そのご報告をさせてくださいね。

 

そして来週は八王子でのコンサートに昼夜、参加します。

 

大晦日までの日々、きよしさんにありったけの感謝の思いを贈りながら、同時に今回の発表でわたしにも、このブログのひとつのゴールがみえてきました。

これからゴールを見据えて、さみしさに押しつぶされてくじけそうになることもあるかもしれませんが、皆さんと心をいっそう深くつなげて、きよしさんがくださる感動を書きとめていきたいと思っています。