皆様、こんばんは。

きよしさんは、2004年に高輪プリンスホテル・飛天の間でクリスマスディナーショーを開催して以来、会場は何カ所か変わりましたが、昨年までほぼ毎年開催(2009年はサマーディナーショーのみでした)されてきました。

今年は残念ながら開催できませんでしたが、今日から数日間、、これまでのディナーショーの記事のなかのいくつかをPB(プレイバック)掲載しながら、日常を取り戻し、また来年以降の開催を思い描いていきたいと思います。

 

皆様、今夜は素敵で幸せなクリスマスイブをおすごしくださいませ!!

 

 

さて、第1回目は昨年のディナーショーの記事ですが、その前にきよしさんにとって初めてのディナーショーになると思われる2003年に開催された小倉ステーションホテルでのことを書きます。

わたしは上記の2004年の高輪プリンスホテルでのディナーショーから参加するようになり、小倉には参加していないのですが、当時、参加された方からメールをいただいて。

そのメールをもとに過去に書いた記事を先にPBしますね。

 

【2003年8月26日 ステーションホテル小倉】
 
きよしさんが初めて(になると思います)ディナーショーをされたのが、小倉駅直結のステーションホテル小倉だったのです。
2003年8月26日のことでした。
当時、行ってみたいなあと思いながらも、九州に出かけることを思い切れず、小倉の街に思いを馳せたことが思い出されたのです。
その時、夜の部に参加された福岡在住のお友達がメールで様子を教えてくださいました。
今回、そのお友達に了解をいただいてメールの一部を書かせていただきますね。

氷川きよしディナーショーは小倉駅ビル開業5周年特別企画ということで、ステーションホテル小倉で開催されたました。

 
会場は5階の飛翔の間で昼夜2回開催。
丸テーブルに10名ずつ。30テーブルほどありました。
ということは約300名のお客さま。
(今では考えられませんね)

午後6時半からディナータイムがあり、歌謡ショーはその後でした。
羽付きの真っ白なスーツで登場したきよしさん。
オープニングは、
「箱根八里の半次郎」でした。
「夕焼け波止場」
「星空のロマンス」
「星空の秋子」
と歌って、オープニングトーク。

「皆さん、こんばんはー。お元気ですかー?」
ときよしさんが呼びかけると、
「元気でーす」
とみんなのお返事。
そのみんなの返事を聞いて、
「本当に元気だー。 僕も元気でーす!」
と嬉しそうに言い、そこで司会の西寄ひがしさんが登場しました。
 
ドラマでの片平なぎささんとのラブシーンの話題になったら、
「嫌らしくありませんから」と言っていました。

「船方さんよ」
「女の宿」
「あんときゃどしゃぶり」
と歌い、
黒のスーツにお召しかえ。シャツは赤でした。
「白雲の城」
「赤いシャツ着て」
「純子の港町」
「きよしのズンドコ節」
と続きました。
 
ラストは「大井追っかけ音次郎」。
12曲、ほぼ1時間、エネルギッシュなステージでした。

その夜のメニューです。
☆前菜☆
海老とアボガドのサラダ、煮穴子、刻みオクラ雲丹豆腐、博多明太子とろろ、さより野菜巻き

☆お吸物☆
烏賊焼売、松茸、魚そうめん、三つ葉、木の芽

☆魚料理☆
ズワイ蟹と帆立貝のムース氷川きよし風

☆肉料理☆
牛肉柔らか煮込み、湯葉とチンゲン菜炒め、ジャーマンポテト、パプリカ、天盛り白髪葱

☆お寿司☆
にぎり寿司(平目・海老・烏賊)

☆デザート☆
巨峰のデザート
コーヒー

以上です。

 

読み返してみると、このメールも今は貴重ですね。

このブログを始めたのが2008年10月なので、2004年から2007年についてはセットリストを記録していないのですが、2004年については感想を書いたメモが”HKファイル”にはいっていましたので、そちらもこれからの記事のなかでアップしたいと思います。

 

では、以下は昨年、椿山荘でおこなわれたディナーショーについて書いたものです。

夜の部に参加しましたが、構成ではメインステージにもどって歌う予定だった「ボヘミアン・ラプソディ」を、会場のほぼ真ん中に設置されたサブステージでそのまま歌いたいときよしさんが望まれました。

駆け抜けた2019年、自分自身を生き始めたきよしさんを、これまで以上に愛するファンがそこには集まっていたと思います。

きよしさんはそんなファンにぐるりと囲まれながら歌い、

”大丈夫なんだ、これでいいんだ、こんなにたくさんの人が愛してくれているんだ”と実感されたのだと思うのです。

そして、今にして思うと、鋭い感性のきよしさんですから、翌年、そんなことが叶わなくなる2020年をどこかで感じとっていたのかもしれません。

 

でも、きっとまたこんな時がくるはず。

その日を思い描いて以下はお読みいただけたら幸せです。

 

【2019年12月20日 椿山荘】

「いや、ここで歌わせてください。

皆に近いところで(皆に囲まれて)歌いたいから...。

ね、色々な方向を向いて歌いますから」

きよしさんは、椿山荘のグランドホール椿のほぼ真ん中に位置するサブステージのうえで、そうおっしゃったのです。

本来は昼の部同様、サブステージからメインステージにもどってその曲を歌う演出だったそうで、司会の西寄ひがしさんが、照明さんや舞台監督さんにあわてて確認されて。

わたしはきよしさんの言葉に胸がいっぱいになっていました。

正直、わたしの席からはほぼきよしさんの後ろ姿をみることになりそうでしたが、そんなことよりも、ファンをそんなにまで愛してくださっていることに涙がでそうになったのです。

 

その前に場内をラウンドされ、ファンとふれあいながらクリスマスソングを歌唱されたきよしさんでしたから、ファンのあたたかな想いを間近で一身にうけ、幸せな思いに包まれておられたのでしょう。

そして、この椿山荘でのクリスマスディナーショーの夜の部は、自身の単独ライブとしては今年、2019年のファイナルでしたから、20周年をここまでファンと一緒に走ってくることができたことに、深い感慨もおありだったのではないでしょうか。

 

歌ってくださったのは、

「ボヘミアン・ラプソディ」

でした。

 

 

では、以下はながれに沿って画像をおりまぜて書いていきますね。

 

 

オープニングは、

「確信」!

熱い熱い、灼熱の歌声でした。

衣裳は、ラメが織り込まれた黒のスーツで、ジャケットの裾まわりに黒のレースがあしらわれています。

今年「うたコン」でロックバイオリニストのAyasaさんとコラボされたときにお召しになっていた黒のスーツではないかなあと思います。

「きよしこの夜Vol.19」でこの曲を歌唱されたときのような悩ましくセクシーな振付で歌唱されると、

「限界突破×サバイバー」

をシャウト!

オープニングから、一気にボルテージがは最高潮になりました。

ここで、ステージは暗転し、「hug」がバンド演奏されました。

 

 

つづいては、「大丈夫/最上の船頭」のGタイプのジャケットで着用されているブルーとネービーのブロックチェックの着流し姿にお召し替えされて登場されると(Gタイプのジャケット画像をアップしますね)、

 

 

「天地人」

「最上の船頭」

を歌唱され、ここでオープニングトークとなりました。

客席をぐるぐると見わたされ、

「皆さん、今日はしゃれてます、素敵ですね~。

やっぱり椿山荘ですから、オシャレされているんですね~。

あっ、お着物の方もおられますね。

でも、ドレスのかたはいらっしゃらないでしょう?

ね(笑)。

お庭、ご覧になりました? 紅葉がきれいでしたね。

やっぱり自然はいいでなあって思います」

と、インスタにも後ろ姿がアップされていますが、きよしさんは椿山荘のお庭を散策されたのだそうです。

 

 

「今日、泊まる方?」

前方席は宿泊付きプランということもあり、たくさんの手が挙がると、

「うわっ、いいなっ!」

と、ほんとうにうらやましそうなきよしさんだったのです(笑)。

そして、

「皆さん、また友だちの輪が広がっていくんでしょう?」

と問いかけられて。

皆が、”うん、うん”とうなずく様子に、

「皆さんが仲良くされているのをみると、涙がでるくらい嬉しいんですよ」

とおっしゃいました。

 

ここで20周年を迎えられたことへのお礼を言葉にされると、

「20年前にタイムスリップします」

と前置きされて。22歳にたちもどって、幼さののこる高い声を再現され、自己紹介をされました。

「デビュー曲の『箱根八里の半次郎』がおかげさまでヒットして、デビュー曲が最大のヒット曲ということになりました。

それ以上のヒット曲がだせないことにもがき苦しんだこともありました。

売り上げ枚数とか数字がでますでしょう。

成績表をオープンにされているようなもので、酷な世界です。

でもこころある人たちに支えられて歌ってきました。

ね、22歳、若いとき、あったよっ!」

と、いって思いを吐露されながらも、結びでは皆を笑わせてくださったのです。

さらに、

「この人は一発屋で終わるのかっていう番組があったんです。

スタジオの真ん中に座らされて、血祭りにあげられてね。

でも、そのなかで、”次の曲のタイトルは?”とか、”どんな曲なんですか?”ときいてくださったので、『大井追っかけ音次郎』というタイトルをいって、”♪やっぱりね そうだろうね”と歌いました。

そうしたら、音次郎さんは、(1作目を)超えてくれました。

じゃあ、次はどうする?ってなって。

『きよしのズンドコ節』を歌うことになったんですが、同時にあったシングル候補が『きよしの森の石松』と『近江の鯉太郎』と『玄海竜虎伝』だったんです。

3曲目を”ズンドコ”ではなくて、そのなかから歌っていたら、”時代物を歌う歌手”ということになっていたでしょうか?

そんな時代の3曲を歌います」

わたしにとっては、はじめて聞かせていただいた秘話でしたので、しみじみと感じ入ったのです。

「箱根八里の半次郎」

「大井追っかけ音次郎」

「きよしのズンドコ節」

を歌ってくださいました。

 

※前菜です。雪だるまのお持ちがかわいくって!

 

ここで司会の西寄ひがしさんが登場され、

「オープニングでロックを歌い、つづいて演歌を歌う、そんなシンガーがほかにいますか?」

とおっしゃったので拍手喝采となりました。

 

つづいてはクリスマスソングのコーナーでした。

「君に逢いたいXmas」からでしたが、きよしさんの歌声だけが聴こえてきて、その姿がみえません。

キョロキョロしていたら、メインステージに登場されたのですが、そのまま階段をおりて、下手側から場内をラウンドされながら歌ってくださいました。

きよしさんが近くにきてくださったエリアから大歓声がきこえてきて、その後の展開にドキドキドキドキしたのです。

 

きよしさんは、この日のためにつくってくださったというピンク(パリスピンクに近い色味です)のスーツをお召しになっていたのですが、こまかなラメが織り込まれているので、照明を浴びると、星型にキラキラと光って、まるで星をまとっているようにみえ、最高にロマンティック!

白いシャツは胸もとにフリルがあしらわれ、大きめなリボンタイもスーツと同じピンク色で、きよしさんによくお似合いでした。

 

※お魚料理です。クリスマスリースにはジングルベルがついています。

 

2曲目は、「きよしの Merry X'mas」でした。

その曲を歌唱されているときに、間近でたちどまって歌ってくださる姿を目にして、同じ客席のフロアにたたれて歌唱されるきよしさんの美しさに見惚れたのです。

ほんとうになんて美しい光と空気をまとっておられるのでしょう...。

 

きよしさんは、上手前列でたちどまって、歌い終え、お辞儀をされると、そのまま、勢い花道を走って、サブステージへ、ぴょ~ん!と、駆け上がる様にしてのぼられました。

 

こちらがその花道と、サブステージの画像です。

 

 

 

あらためてご挨拶されるきよしさんに、グラスを一生懸命振られておられる方がいらして、うかがうと91歳ということでした。

その方のお席とサブステージとはだいぶ距離があったのですが、そのかたが、きよしさんにウーロン茶をさしあげたいと申し出をされると、係のかたがフォロー体制に。

「ありがとうございます。お気持ちをいただきましたよ」

と。それでもグラスを振っておられるそのかたに、

「きいてます?」

 と笑いながら、話しかけられ、スーッと音をたてて、飲む仕草をされ、

「ね、いただきました」

と、どこまでも優しい優しいきよしさんだったのです。

 

「歌、歌、歌の1年でした。

コンサートやテレビやラジオの出演や収録をしている日以外も、レコーディングしたり、ジャケ写を撮ったり、取材をうけたりしていましたから。

ほとんど休まず働いていました。

でも、働いているほうがいいですよ。

自分のばあちゃんは働くのが大好きだったんです。

自分もばあちゃんに似たんだと思うんですけど、小3のとき、72歳で亡くなったんです。

ええと、小3だから、昭和何年? ええと〇年? ちがうか」

と、しばし計算されていたのですが、収拾がつかなくなってしまわれて(汗)、

「はいっ、計算ができませんっ!」

と開き直りのきよしさんでした(笑)。

 

※お肉料理です。付け合わせのポテトは花びらが重なっていて、

ローズポテトというのだそうです。ロマンチックですね。

 

「これまでにヨーロッパを何度か旅行しています。

日本を離れて、まったくちがう文化や環境ですごすと、とても刺激になって勉強になります。

知らなかったこともたくさんあって。

以前、”オルホ”というお酒を題材に『酔わせてオルホ』という歌もつくりましたけど、スペインにいってはじめて、そういうお酒があることを知ったんです。

やっぱりいろいろなことを勉強して知りたいですよね。

無知は怖いことだなって思います」

と、お話しされると、今年、令和という新しい時代を迎えた話題になりました。

「”令和”という新元号が発表されたときに、新時代に自分(氷川きよし)なりのメッセージを送りたいと思い立って、作家の先生に『きよしの令和音頭』を1週間でつくっていただいて、改元の日に、自分のラジオ番組でながしました」

そう、お話しされると、

「きよしの令和音頭」

を歌ってくださいました。

わたし、きよしさんが、”♪さあさ 皆様 お手拍子”と歌唱されるときの、”皆様”の”ま”という音のあまりにも優しい響きが大大大好きなのです。

コンサートで歌われているうちに思いが深まり、そのような歌唱になっておられるのかなあと、新歌舞伎座公演のときから感じておりましたが、武道館でも大阪城ホールもで、またこの日もあたたかく優しい響きだったのです。

 

 

※豆乳蒸しですが、トマトとモッツァレラチーズ入りで洋風です。

 

ここで西寄さんもサブステージにあがられ、数時間前に今年の大みそかに放送される「第70回NHK紅白歌合戦」の曲目が発表され、きよしさんは、”紅白限界突破メドレー”と決定したことをインフォメーションされました。

皆様、氷川きよしを愛する皆の願いが叶いましたね!

決定して数分後にお友達のOさんからメールでおしらせいただいていましたが、きよしさんがいらっしゃるところで、あらためてインフォメーションされると、さらにさらに嬉しく思ったのです。

きよしさんは、

「衣裳は今、いろいろやってるんですよ」

とひとことおっしゃると、

「はあっ...」

と小さなため息をもらされました。

そして、

「昨年の(「勝負の花道」での早変わりの)アクシデントがあったから...」

と。

西寄さんが、それがかえって話題になったことをお話しされてフォローされると、

「そういうことじゃなくて、あのときは生きるか死ぬかくらいだったから」

と。

マイクを持っている左手が衣裳の袖にひっかっかって抜けなくなり、あわや生放送で歌えなくなってしまうかもしれなかったあの出来事は、きよしさんにとって絶体絶命のピンチだったのですね。

それを笑顔でマイクを引き抜いて見事に歌われて。

あとで、引き抜きのお手伝いをしてくださったかたにも、”あれがよかったんだよ~”と、優しくおっしゃっておられました。

でも、そのじつは1年経っても思い出すとゾッとする肝を冷やすようなアクシデントだったことをきよしさんの言葉から感じたのです。

12月30日の”輝く! 日本レコード大賞”もありますから、様々なシチュエーションを想定しながら、過去最高のものをとスタッフと練りに練って準備をされているのでしょう。

 

「まだどの曲を歌うか内緒なんですよ~。

”限界突破”を歌うことで、そこから(氷川lきよしの世界に)はいっていって、広がっていってくれたらいいなって思います。

そして、歌の世界にジャンルの差別とか区別がなくなったらいいなって。

そういえば鬼奴(椿鬼奴)さんが、『大丈夫』をやってくれたってきいて。嬉しかったですね~。

”最近、アイシャドウすると落ち着くんです。♪タンタラ、タンタラタ~ン”って」

と。

 

さらに12月14日の「第52回日本作詩大賞」を、「最上の船頭」で受賞された松岡弘一先生の話題になると、

「嬉しくて、先生のこと、、わしゃわしゃさせていただきました。

先生、泣いていらしたから、抱きしめさせていただいて...。

インタビューのとき、”氷川さんのおかです”って言ってくださって、嬉しかったですね。

自分に携わったかたが幸せになってくださるのが嬉しいんです」

 

 

「来年は21年目。

1回、ゼロからスタートしたいという思いです。

今までの20年でバックボーン、骨組みをつくってきたので、過去の栄光...というほどのものではないですが、まあそういうもの(賞歴や記録ということでしょうね、きっと)は、もう過去のものとして、これからは氷川きよしという人生を歌って、皆さんを励ましていきたいです」

きよしさんは、少しずつ立ち位置を変えながら、全方向のファンを見つめて、そうおっしゃいました。

なんて、嬉しく幸せな瞬間だったことでしょう。

わたしは、きよしさんを、ギュッと抱きしめたくなりました。

20年をかけて、人間とは何か、自分が何者なのかという、すべての人に共通する人生の命題の答を一緒に探してくださる歌手へと成長されたのですね。

 

「これから『ボヘミアン・ラプソディ』を歌います。

どうしても日本語で伝えたいと思って、湯川れい子先生に翻訳していただいて、クイーンサイドに日本語で歌うことを認めていただきました。

フレディ・マーキュリーは45歳で亡くなりました。その生涯に思いを馳せたとき、自分は45歳までの3年間でなにが残せるだろう。今、まだ何も残せていないって思います。

ここで描かれているお母さんてすごいですよね。

息子が人を殺してしまっても、世界を敵にまわしても”あなたの味方よ”って。

母ってすごいなあって思います」

と、ここで、この記事の冒頭に書いたやりとりがあり、きよしさんはサブステージで、ファンにぐるりと囲まれ、その愛に包まれながら、

「ボヘミアン・ラプソディ」

を、歌ってくださいました。

その歌声に、胸が熱くなって、涙があふれてくるのをとめられませんでした。

 

※聖夜のデザート 20周年マカロンを添えて...

 

きよしさんが舞台袖にもどられると、西寄さんがバンドメンバーを紹介されました。

 

つづいて、紫の着物に、地紋が織り込まれた黒の袴、髪は後ろ髪をアップにして短髪の様相でした。

「一剣」

「扇」

「浪曲一代」

とオリジナルナンバーを歌われると、

「久しぶりに歌うと、演歌もいいなあって思いますね~。

でもロックも歌うといいなあって思って。

どっちもいいところがありますね~。

やっぱりジャンルにこだわらず、良い言葉を歌いたいです、

言葉って自分に全部返ってくるんですよ、不思議なことに。

だから悪い言葉を歌ったらそれも自分に返ってくるから、それは天にツバかけるようなものなんだなっって思うんです。

実は、今日、母の誕生日なんですよ。

忙しくて忘れていたんです。

母から、”今日はわたしの誕生日よ”ってメールがきて、気づいて。

すぐに、”おめでとう!”って。(きよしさんはメールも電話もされたようです)。

デビュー5年目のとき、母は10時間くらいかかる手術をしたんです。

心配で病院に電話して、先生に、”どうなんですか?”ってきいて。

そうしたら、”お母さんの体力次第ですね”って言われて。

ほんとうに祈りました。

”ここを乗りこえることができたら、きっと元気になれます”って先生にいわれて。

母は67歳になりました。

「毎日、整骨院に通っているけど、元気だって」

母はずいぶん小さくなってしまったんですけど、母は背も高いので昔は70キロくらいあったんです。自分は母に似ていて、父は小ぢんまりしているんです。

でも、元気でいてくれてありがたいです」

 

 

最後の曲は、

「白雲の城」でした。

”ええ~”という皆の声に、

「最後ですけど、そのあと、またでてきますから」

と笑顔でおっしゃると、朗々と「白雲の城」を歌ってくださいました。

 

アンコールは、スパンコールのスーツで、もとは黒地なのでしょうか? 浴びる照明の色によって虹色にも変わるのです。スーツととも布の蝶タイ、シャツは黒地で、胸にフリルがついています。

以前、「新・BS日本のうた」でのスペシャルステージでお召しになっていたでしょうか。

インスタにその画像をあげてくださっていますが、その画像ではブルーにみえます。

そんなふうに様々に色を変える素敵なスーツで、靴は黒のエナメル、マイクには赤いバラが2輪飾られていました。

アンコールの1曲目に

「それぞれの花のように」を歌われると、

寒さに気をつけるようにと、布団と毛布の掛け方から、加湿の方法までをレクチャーしてくださいました。

皆のお別れを惜しむ声に、

「皆さん、夢で逢いましょう。夢で第3部、しますから」

とお答えになると、

「皆さん、健康でいてください。

皆さんの健康が自分の”あれ”だから」

と結ばれ、

「大丈夫」

を下手、上手と移動され、とびきりの笑顔で声高らかに歌ってくださいました。

 

 

「今年1年、ありがとうございました。

年末までがんばります!

2020年も氷川きよしをよろしくお願い申しあげます。

新しい年が皆さんにとって健康で幸せな年になりますように!

お元気でおすごしください」

 

「大丈夫」を歌い終えたきよしさんは、そうご挨拶されると、手をふりながらステージ上手へと。

そして、一礼されると袖へともどっていかれました。

 

ショーは予定時間を大幅に超え、開演からすでに2時間が経っていました。

時間も忘れての熱唱、熱演、そしてまごころのトークだったのですね。

きよしさん、忘れ得ぬ感動のステージをありがとうございました。

 

 

※お土産のピンバッチです。

 

 

終演後、出待ちをしました。

昨日は夜になってもあたたかかったので、少しも苦にならず、お友だちのKさんや周囲のかたとショーの余韻でもりあがっていたのです。

そこに、きよしさんを乗せた車が!

窓をあけてくださり、笑顔で、うなずきながら手を振ってくださっていました。

 

きよしさん、20周年のフィナーレとなる「NHK紅白歌合戦」まで、今のペースで駆け抜けて、新たな年に弾みをつけてください!

どんなときも応援しています。

 

 

※帰宅したら、きよしさんからクリスマスカードがとどいていました。

素敵な写真とまごころの言葉にまたまた幸せいっぱい。

この記事を。わたしなりにがんばって書いてみましたが、まだまだきよしさんの素敵さや魅力をおつたえしきれないなあと、力不足を自覚します。

でも、真心こめて、とにかくがんばるぞ! 

と、今はそんな前向きな思いにさせていただいています。