~記・2009年5月~(当時はYahoo!ブログにアップした記事です)福岡に行ってから1ヶ月余りが過ぎてしまいました。前回、100円ラーメンの勝龍軒に行った記事を書いたところで中断してしまい、続きが遅くなってしまって申し訳ありませんでした。ようやく最後まで書き終わりました。
さて3月24日、きよしさんの福岡サンパレスのコンサートへ行く前にまずは以前から一度行ってみたかった100円ラーメンの勝龍軒さん、そしてそのお店に行く前にたまたま目に入ってきたきよしさんの母校である福岡第一薬科大学付属高等学校(きよしさん在校時は福岡第一商業高等学校)へ行ったわけです。その足で、勝龍軒さんでラーメンをいただいた後、きよしさんの実家のあった大楠町へ向かって歩くことにしました。
きよしさんが子供の頃からお母様と来店されていた勝龍軒さんとその裏手の川に咲いていた桜です。
勝龍軒さんや福岡第一薬科大学付属高等学校の最寄駅は西鉄天神大牟田線高宮駅になります。天神から出発して薬院、平尾、高宮と駅が続くのですが、きよしさんの実家(当時)の最寄駅は平尾駅になるようですので、きよしさんを18歳まで育んだのは特にこの高宮駅と平尾駅を結んで、円を描いた地域ということになるのでしょうか。
きよしさんのご実家があった場所から徒歩数分のところにある高宮中学前交差点と高宮中学校です
きよしさんが演歌歌手を目指して上京されるまでずっと暮らしていらした家があったのは大楠町というところです。周囲には商店や会社、マンションなどがありますが、地元の知人からおしえていただいた、きよしさんのご実家があった場所は今は駐車場になっていました。きよしさんのご実家から高宮中学校の正門まで徒歩3~4分くらいでしょうか。高宮中学前交差点の画像の左手側に高宮中学校がありました。
高宮中学からきよしさんのご実家があった方へ向かう道です
きっと、きよしさんこの道を毎日歩かれたのでしょうね。この日は桜が満開でしたので、たくさんの地元の方たちがお花見がてら散歩をされていて、校庭には部活動をする中学生の姿があり、吹奏楽を練習する楽器の音色が校舎から聞こえてきました。
さて地元の知人が教えてくれたきよしさんの実家があった住所のあたりです。
”もう駐車場になっていると思うけど”と聞いてはいましたが、何軒か分の土地だったようでかなり広い駐車場になっていました。
きよしさんのご実家のあった場所・この時は駐車場に(昨年通りがかった時は大きな建物が建っていました)さて、目的であった勝龍軒さんにも、きよしさんのご実家があった場所にも行くことができ、その街並みも歩いてすっかり満足した私は、そろそろいったんホテルに戻ることにしようと今度は平尾駅に向かって歩いてみることにしました。繁華街の天神に近いですしマンションも多く、都会的な地域です。i Podを持っていってましたので、「望郷の月」を聴きながら、駅に向かって歩きました。
こんなことを言ったら驚かれると思いますが、この時はまだ平尾レコードさんのことはまったくアタマになかったのです。すでにすっかり満足していましたので、もうホテルに戻ることしか考えていませんでした。ところが歩きながら”平尾”という地名をそこここに目にしているうちに、さすがにぼうっとした私にもスイッチが入ったようで、駅に着く前に、”そういえばきよしさんの通っていらした平尾レコードさんて、平尾さんが経営しているのではなくて、地名が店名だったのかしら?”と、ハタと気付いたのです。
平尾レコードさん
(看板の電話番号はペイントで消してあります)
ファンの皆さんがこの日も多数訪れた、”氷川きよしファンの聖地”とまで言われるスポットなのに、まったく考えていなかった私も私ですね。
こんなに近くに行っていても危うく行かないままになってしまうところでした。携帯で検索したらすぐ見つかり、私がいる地点から6分くらいのところにあることがわかり、さっそく平尾レコードさんに向かいました。
お店には夜の部にいらっしゃる予定のきよしさんのファンでいっぱいでした。奥様はご不在でしたがご主人にお会いすることができたのです。先の記事にも少し書きましたが、地元の方で常連さんのような方が、”せっかくの地元のコンサートなのに3階席になってしまった”と話しているのをご主人は親身になって聞いていて、”それはせつなかねえ”というようなことをおっしゃっているのが耳に入ってきました。
最近もテレビで紹介されたそうなのでご覧になってご存知の方も多いとは思うのですが、店内はきよしさんが初キャンペーンでいらした際にサインをされたポスターはじめ、貴重なスナップ写真(ハワイツアーの写真も!)、座長公演時のグッズ等々が所狭しと飾られていました。きよしさんへのメッセージ帳もあるのです。
私も記念に「浪曲一代」を購入したいと思っていたのですが、ご主人と店員さんたちが”あのへんになかったかね”なんて言いながら探してくれたものの、何とこの日は売り切れになってしまっていて、ご主人は、本当に申し訳なさそうでした。
この日は朝からきよしさんファンの方でお店は大賑わいだったそうです。遠方から宅配で購入される方も多数いらっしゃるのだとうかがいました。店内はまだ他のお客さんがいらっしゃったので、そんなに長居はできませんでしたが、オーナーの温かいお人柄を感じて嬉しくなりました。
”よく来てくれました。ありがとう”と、初めて訪れた人にもそんなふうに自然に温かく接して下さって、思い出深い時間となりました。そ先に訪れた勝龍軒さんで感じた温かさと似たものをこの平尾レコードさんでも感じたのです。
少し余談ですが、実は下記の地図は数年前、お仕事を手伝ってくれていた福岡出身の大学生の方(当時)からいただいたものです。
きよしさんのファンになって間もない頃の私が、”一度福岡に行ってみたい”と言っていたら、
”もし福岡に行くことがあったら行って見てください”
と、ご両親お気に入りのお寿司屋さんを教えてくれたのです。
彼女も何度か行ってとても素敵なお店なので、”ぜひ行ってみて下さい”と言って、わざわざご両親からこの地図を送っていただいて、わたしにくださったのでした。
予約をしないと入れないくらい小さなお店なので細かい情報部分にはポストイットを貼らせていただきましたが、この地図を見て、ふふふっとその気さくさにいっぺんにまだ知らない福岡に親しみがわいてしまいました。
その当時はきよしさんのゆかりの地をめぐるなんてまだ想像もしていず、ただ福岡に行ってみたいという漠然とした思いだったので、”平尾”という地名を見ても何もわかりませんでしたし、何も感じていなかったのですが(喜)。
私が友人からいただいた予約のみのお寿司屋さんの地図帰宅してから見てみたらまさにこの地図、平尾レコードさんの近くなんです。今回の福岡旅行では予定が合わず行かれなかったので次回ぜひ行きたいと思うのですが、きよしさんを育んだこの地の誠実さ、温かさ、気さくさを感じられるのではないかと思い、ここに掲載させていただきました。
さて、きよしさんを育んだ地のぬくもりを感じて幸せな気持ちになりながら、一度ホテルに戻り、コンサート会場の福岡サンパレスに向かいました。福岡サンパレスは玄界灘に面しているので、窓からも玄界灘が見えるのです。
福岡サンパレスの会場横の窓から見える玄界灘
きよしさんご自身も学生時代にこの会場にいろいろな方のコンサートを観にいらしているそうですね。先日の神奈川県民ホールでのコンサートでも鳥羽一郎さんのコンサートの時にはお土産に明太子をお渡ししたかったのに、恥ずかしくて渡せず、結局持ち帰って家で召し上がったというエピソードを話して下さいました。
素晴らしいコンサートに身も心もとろけそうになり、大きな感動に包まれました。
さてここは天神のエルガーラ近くにあるきよしさんのご親戚の営む焼き鳥屋さんです。
ビルの2階にあって、常連さんでいつも賑わっているそうですが、この日の夜はきよしさんファンで満員御礼だったそうです。
きよしさんのご親戚の営む焼き鳥屋さん以前、「氷川きよし節」(文化放送)で寺島さんがきよしさんのご親戚の焼き鳥屋さんの話題をされ、”おいしいんだそうですね”とおっしゃると、きよしさん”はい”と答えましたが、寺島さんがお店の名前をお聞きになると、”それはちょっと”とおっしゃってお店の名前を言うことを控えられていましたので、この記事でもお店の名前やどんなご親戚なのかなど、また看板画像の店名部分はペイントで消させていただきました。でも少しでも雰囲気がわかればと思い、昼間、場所を確認した時に写しておいたお店の看板とドアの画像を掲載します~。
こうして実際にきよしさんを育んだ地を自分の足で歩いてみて、その土地の温かさを感じました。昨日の神奈川県民ホールでのコンサートで「平凡な家庭に育ち、平凡な両親に育てられました」とおっしゃっていた、きよしさん。だからこそ、温かなハートを持ち、ファンのため、支えてくださる皆さんに応えたいと、笑顔の陰で血のにじむような努力をされ、10周年を迎えた今、、こんなにも多くの方に愛され、胸をうつ歌を歌うことができるのではないでしょうか。氷川きよしは歌手としてスターとして、ますますこれから進化していくことでしょう。でもそのハートはずっと変わりませんし、きっとこれからも変わらないでしょう。それはきよしさんが愛する故郷で、ご両親はじめ、お世話になった皆さんが日々を誠実に一生懸命今日も生きていらっしゃるからなのではないでしょうか。だからこそ、常に誠実で掛け値なしのきよしさんの姿に私たちファンも変わらぬ気持ちできよしさんを見つめ応援していきたいという気持ちにさせられるのではないかと思うのです。