みなさま、こんばんは。
いよいよ8月に突入しましたね。
思うにまかせぬ日々ですが、わたしはきよしさんに幸せは自分でみつけるもの、自分でつくるものなのだと、この20年間で教えていただきました。
二度と来ない2020年の8月ですから、1日1日を愛しんですごしていきましょう!

 

 

さて、やっとYahoo!ブログ時代に書いたこの記事をみつけることができました。

きよしさんが明治座さんで初めて座長公演を開催されるにあたり、それまでの座長公演と劇場コンサートを振り返ってみた2011年に書いた記事です。
 
2002年はファーストコンサートツアーをおこなった記念すべき年ですが、きよしさんは沖縄から北海道まで全国をまわり、東京国際フォーラムでの「きよしこの夜Vol.2」を終えたあと、さらに12月24、25日、2日間4公演をかつてなんばにあった新歌舞伎座さんで開催したのです。
そのタイトルは、「きよしのこの夜 in 新歌舞伎座」でした。
その最終公演のチケットがとれて、参加できたことで、思えばわたしの運命はそこから大きく踏み出したと、今になって思うのです。
以下は、その2002年と、新歌舞伎座での”きよしこの夜”をふりかえるものです。
 
3本の記事をドッキングさせているので長文になってごめんなさい。
そして、ここを区切りにして、来週から、今回の公演にむけての思いを書いていけたらと思います。
 
 
まずは最初の座長公演(2003年)の前年である2002年のきよしさんの足跡をたどってみることにして、ファイルなどの資料をもとにあれこれ調べていたら、あまりに目まぐるしくて...。何だか目が回ってしまったのです。
きよしさんのあまりにも膨大な仕事量に今さらながら驚嘆せずにはいられません。
マネージャーの上東さんはじめ、スタッフのご苦労も尋常ではなかったとあらためて思います。
 
私はきよしさんに出会うまで、自分の人生の中で新宿コマ劇場に行くなどということはないだろうと思っていました。
なぜなら座長公演なるものを見たいと思ったことはただの一度もなかったのです。
それが、きよしさんとの出会いでそれまでの価値観が一変し、コンサートも含めて老舗の劇場のいくつかにまで足を運ぶことになり、新歌舞伎座、中日劇場、新宿コマ劇場、御園座、明治座と続きました。
明治座にはお芝居や舞踊を見に行ったことがありましたが、それ以外の4劇場にはきよしさんに出会わなければ、訪れることはなかっただろうと今でも思っています。
 
きよしさんがファーストコンサートツアーを行ったのは2002年。
その年はどんな年だったのでしょう?
そうです。「きよしのズンドコ節」が世に出、きよしさんが何とNHKの朝の連続テレビドラマ小説「まんてん」に主人公の兄の役で準レギュラー出演していた年でした。
 
きよしさんは、2月6日に「きよしのズンドコ節」をリリースしてオリコンシングル総合チャート初登場5位となります。
そして2月28日、沖縄・那覇市民会館大ホールからコンサートツアーをスタートさせたのです。
ツアーのタイトルは「氷川きよしコンサートツアー2002 ~30万人ふれあいの旅~」でしたが、その年のコンサートのチケットには「演歌燦燦! 南から北へ 氷川きよしコンサート2002」とタイトルがあります。
 
8月2日には「星空の秋子」をリリース。
この曲はオリコンシングル総合チャート初登場3位となります。
この年の7、8月には、テレビ東京の「夏祭り にっぽんの歌」(渋谷公会堂(当時)でのコンサート終演後、近くのライブハウスからの中継でした)、NHK「ふたりのビッグショー」(天童よしみさんと)、雪村いづみさんの50周年記念リサイタルなどにも出演され、私もそれぞれの観覧に参加しました。
そして9月3日から放送が開始したNHK連続テレビ小説「まんてん」にヒロインの兄・英雄役で出演したのです。
「まんてん」はNHK大阪放送局の制作だったので、きよしさんは収録のために東京と大阪を頻繁に行き来しながら、さらにコンサートツアーで全国を回っていたのです。
「まんてん」は2003年3月まで半年間の放送で、前半はきよしさんの出番も多くて。
1話15分の放送とはいえ、週6日放送ですから収録はとても過酷なものなのです。
以前、メインキャストになった方に取材したことがありましたが、朝、暗いうちにスタジオ入りし、夜遅くまで(場合によっては深夜まで)撮影するので、”もう何日、お日様を見てないだろう”とヒロインの夫役を演じたその方はおっしゃっていました。
 
ましてや、きよしさんは「歌謡コンサート」や「BS日本のうた」、「のど自慢」にもコンスタントに出演され、「旅の香り」のレギュラーでもありましたし、ラジオ番組も持っておられたのです。
もう少し補足しますと、ファーストコンサートツアーが始まった2月28日の2週間前の2月14日に日本武道館でユネスコのチャリティコンサートを開催しています。
何しろこの年は、歌番組のみならずバラエティ番組にもひっばりだこでしたし、美空ひばりさんのフィルム映像によるディナーショーへのゲスト出演もありましたし、「FNS 27時間テレビ」や「NHKのど自慢in北京」にもゲスト出演されたのです。

 

私のHKファイルを見ると、10月には「わが心の愛唱歌大全集」(NHKホールで公開収録)、東京国際映画祭のオープニングセレモニー、11月には虹の架け橋コンサートの前身である三宅島救援コンサートにも出演されていました。
そして80ヵ所160公演を見事に終え、12月12日、東京国際フォーラムでの「きよしこの夜 VOl.2」を開催し、2002年を締めくくったのです。
 
さあ、その締めくくったはずの2002年。
なんと大阪の新歌舞伎座で12月24、25日と2日間・4公演を行うことになったのです。
それまでの私は、コンサートや舞台のために都内以外に出かけるということはほとんどなかったのですが、行ってみたいという気持ちを抑えられず、”よし、チケットが取れたら大阪に行こう!”と決めたのです。
4公演の最後、25日の夜の部のチケットが取れ、気合が入りすぎたのが幸いしたのか、きよしさんのコンサートで初めて1列目が取れ、ますます大阪に行くことを自分自身で正当化したのでした(笑)。
まだお友だちもいず、一人でコンサートに出かけていた時のことでした。
きっとその翌々年に新歌舞伎座での座長公演がもう決まっていて、それゆえ実現したスペシャルコンサートだったのだと想像したのですが、クリスマスをきよしさんと過ごすなんて、天にも昇る気持ちになったのです。 
 
 
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当時はまさか将来ブログを書くとは思っていなかったので、こういった看板やポスターをたくさん撮影しているのですが、ほとんどに自分が一緒に写っていますし、デジカメではありませんでした(笑)。
ですので今回、掲載する画像はすべて年末に放送された番組の中のものです。
友人のKさんからビデオ録画していたものをお借りしました。どうしても静止画像にすると不鮮明になってしまうものや、あまりキレイでないものもありますので、一部はご覧いただけたかなあと思える頃に削除することもあるかもしれません。
番組は「今年の主役にアポなし直撃!! ワイドスペシャル2002」。案内役は桂小枝さんでした。
難波にあった新歌舞伎座(現在は移転)の楽屋口です。
出待ちをしたことがある方には特に懐かしいのではないでしょうか? 
 
ではコンサートのレポートの前に番組を頼りにその日のきよしさんを追っていきましょう。
 
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これは新歌舞伎座のきよしさんの楽屋です。見覚えのある衣装がラックにかかっていますね。
 
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小枝さん、きよしんさんのいぬ間に、衣装を羽織ってみたり、きよしさんのシェーバーでひげを剃ったりしながら楽屋を案内してくださいます(笑)。
この後、きよしさんと待ち合わせていらっしゃるのです。
 

 

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さあ、きよしさん、登場です。コンサート終了後の打ち上げパーティーでふるまう料理を作るそうです。
そのため、お二人は黒門市場へと出かけます。
 
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どこへ行っても人気者のきよしさんでした。
 
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メニューは鍋。”ごまだれは手作りじゃなくちゃ! ” と大きなすり鉢でゴマをすります。
コンサートの前にこんなこともされていて、本当に休む間もなかったのだなあと思いますが、きよしさんはどんな時でも楽しそうなのです。
 
きよしさんお手製の鍋料理は、コンサート終了後の打ち上げパーティーでふるまわれました。
その様子は次の記事に掲載しますね。
 
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明かりのついた新歌舞伎座です。私はこの後、座長公演で数度新歌舞伎座に足を運ぶことになったのですが、この時は新歌舞伎座も初めてですし、大阪にも二度目で何だかとても緊張していたことが思い出されます。
もちろん、きよしさんのおかげで今は大阪は心の故郷のひとつになっています。
既に上本町に移転して、今ここ(難波)にこの建物はないと思うと、さびしいですね。
 
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ああ、懐かしい! この客席への扉を開けると、きよしさんと夢の世界が待っていてくださったのでしたね。 
 
 
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そして新歌舞伎座の客席です。
この画像は25日夜のものです。というのは自分だけはわかる程度に写っていたからです。良い思い出です。
 
Rさん、遅くなってしまいましたが、ようやくここまでアップできました。
タイムマシンに乗って一緒にあの日の新歌舞伎座に参りましょう。お母様も笑顔でいらっしゃいますものね。
 
80箇所160公演、縦横無尽にステージを動きながら、1曲、1曲真心こめて歌い上げ、2002年12月25日、ファーストコンサートツアーを感動のうちに完走したのでした。
 
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ここで2002年12月26日の日刊スポーツの記事を紹介しましょう。
 ~サンタ羽織~
演歌歌手の氷川きよし(25)が、大阪・新歌舞伎座でクリスマスコンサートを行った。アンコールで氷川は、サンタクロースを意識した赤いコートを羽織り登場。満員の観客を前に、感極まり声を詰まらせた。終演後には、来年の座長公演に触れ「ピーターパンか、ピノキオをやりたい」と話していた。
※画像できよしさんが羽織っている赤いローブは、「きよしこの夜Vol.2」で着用されていたものです。
 
12月25日の夜の部は16時30分に開演しました。
私はこの夜の部、花道横の1列目にすわっていたのです。きよしさんは笑顔いっぱいで疲れなど微塵も感じさせずに、幸せそうに歌ってくださっていました。
随所で、1年間コンサートツアーを続けさせていただくことができた感謝の気持ちをおっしゃっておられました。
初めてコンサートツアーをさせていただけたこと。そのおかげで全国のファンに会うことができたこと。そして今、伝統ある新歌舞伎座の舞台に立つことができ、大好きなファンとクリスマスを過ごすことができること。大晦日に3年連続で紅白歌合戦に出場させていただけるようになったこと。
そのすべてはきよしさんの努力の賜物に違いないのですのが、きよしさんは、ポツリポツリと感謝の気持ちを話されたのです。
 
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コンサートは和やかに進んでいきました。
そしてラストトークで、ひとしきりお礼の言葉をおっしゃり、来年、そして未来への思いを力強く語られたのです。
”応援よろしく、お願いいたします!”
そうおっしゃって、きよしさんは深々と頭を下げられました。
エンディングは「箱根八里の半次郎」だったでしょうか? 
実ははっきり覚えていないのです。
そしてアンコールとなりました。
きよしさんは再び舞台に戻られて歌い出したのですが、涙があふれてしまって、どうにも止まらないのです。きよしさんはそれでもとびきりの笑顔を見せてくださり、まさに泣き笑いのようになっていたかと思います。
そして最後の曲でも中央、上手と移動され、花道のある下手側にいらっしゃったのです。
きよしさんは何度も何度も涙を手でぬぐっておられました。
私は、そんなきよしさんに両手を前方に掲げて拍手をしたのです。
私もまた泣いていました。とめどなく流れる涙をふきふき、きよしさんの一挙手一投足を見逃すまいと、ひたすらに見つめていました。
すると、きよしさんは涙声で「ありがとうございます」とおっしゃりながら、右手でこちらを制するようなジェスチャーをされました。きよしさんはその時、もう言葉が何も出てこないという状態だったのですが、そんなきよしさんの様子に、
”僕のために拍手をありがとうございます。もう、十分すぎるほどいただきました。もう、胸がいっぱいです。ありがとうございます。ありがとうございます”
という声にならない誠実な思いが伝わってきたのです。
間奏の間、花道付近で拍手をしているファンひとりひとりの目を見つめながら何度も何度も会釈をされ、歌い出すと、きよしさんは少しずつ少しずつ花道の方に進まれたのでした。
花道を使う演出はなかったようなのですが、もっともっとファンの近くにという思いが、きよしさんにそうさせたのでしょう。
歌いながら、泣きながら、少しずつ少しずつ移動して、最終的に花道の1メートルくらいのところまで移動されたのです。そのため、最初は目の前にいらしたきよしさんが、ちょうど真横に立って歌うという状況になったので、私にはマイクを通さないきよしさんの泣き声が聞こえてきたのです。
それほどまでに感動し、肩を震わせ、全身でうれし泣きしているきよしさんを、その時、私はどれほど愛おしく思ったことでしょう...。
きよしさんの深い感動が新歌舞伎座の客席にあふれて、私たちをあたたかく包みこんでくださったのです。
そしてアンコールの最後の1曲を歌い終え、エンディング用にアレンジされた「箱根八里の半次郎」のインストロメンタルが流れる中、きよしさんが上手、下手、中央とお辞儀をされて、いよいよ緞帳が降りたのです。
 
ああ、これで無事にすべてのコンサートが終了したのだ。
そう思っていたら、緞帳が3分の2ほど降りてきたところで再びスルスルと上がっていったのです。
”エッ 何で? 緞帳が壊れちゃったのかしら?”
なんて思っていたら(笑)、藤林さんはじめHKピュアリバーの皆さんが笑顔で演奏をされていて、きよしさんの笑顔も目に入ったのです。そして司会の西寄ひがしさんも舞台に戻られたのです。
160公演の最後ということでの粋な演出でした。
きよしさんはあらためて1年間の思いを語ってくださったのです。
 
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さまざまな出来事が思い出されたのでしょう。コンサートの後半からアンコールまで涙されながらも気丈に歌っておられたきよしさんだったのですが、もう、涙、涙、涙です。言葉が何も出てこず、しばらくその場で泣いておられたのです。
そんなきよしさんを西寄さんもバンドの皆さんもあたたかな笑顔で見つめておられました。
 
そして、西寄さんが「1年間、いろいろなことがありました。生身の人間ですから、正直、コンディションがよくない日もありました。それでも休むことなく、常に笑顔で心を込めて歌い続けてきたのです。本当に立派です。お疲れ様でした」
というようなことをおっしゃると、きよしさん、
「僕だけじゃないです。西寄さんだって一緒にがんばってきてくださったんです」
と西寄さんを労われたのですが、西寄さん
「とんでもありません。私なんかたいしたことしていません」
と、おっしゃられたかと思います。すると、きよしさんが少し強い語調で
「そんなことないです。本当にがんばってくださったんです。あの時、西寄さんだって...。」
西寄さんには、きよしさんのその一言で思い出される出来事があったのでしょう。
一瞬絶句されて、そして話そうとしても、涙で何も言葉が出てこなくなってしまったのです。
西寄さんは、少し後ろを向かれたかと思います。そして、また何かを話そうとしたのですが、どうしても言葉にならず
「司会なのに申し訳ありません。泣いてしまって申し訳ありません、申し訳ありません...」
と、やっとのことでおっしゃったのです。
場内にわれるような拍手が起こりました。
苦楽を共にされたきよしさんと西寄さんの間に生まれた深い信頼に感動せずにはいられませんでした。ちなみにその間、きよしさんはずっと横で泣いておられました(笑)。
私は今も、この時の西寄さんは、これ以上ない最高の司会をされたと思っています。ですのでこのことを書いても司会者として不名誉にはならないと思い、今回書かせていただくことにしたのです。
私は、あの西寄さんの姿を見て、きよしさんは、なんという素晴らしい司会者に出会えたのだろうかと、心からその出会いに感謝したのです。
 
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そして西寄さんが再び、いつものように軽妙なトークをされ、きよしさんも涙がおさまったようで晴れやかな笑顔で、ご挨拶をされ、再び緞帳が降り、正真正銘のフィナーレとなったのです。
 
私は終演後、心の中でまだ熱く燃えている感動の余韻を味わっていました。幸せな時間、至福のときめきに足取りも軽く、夜の難波の街を歩き出しました。後ろを歩いていたご夫婦が
「氷川くん、いい子だね、来年も応援したろな!」
(と、こんな感じだったと思うのですが、関西弁、うまく表現できなくてごめんなさい)
と話されているのが耳に入り、思わず一人で相槌を打っていました(笑)。
大阪に住む友人と夕食の待ち合わせをしていたので、そのまま心斎橋へ向かったのですが、寒かったという記憶はまったくありません。何だか春の夜のように幸せであたたかで、見るものすべてがキラキラと輝いて見えたのです。
こうしてこの日のことを書いてみて、思い出せないことは多々あるのですが、あの時の、まさに燃えるような感動はまったく色褪せることなく、私の中に残っていることに驚きました。
 
 
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番組では終演後の舞台の様子も紹介されました。藤林さん、大宮さんもいらっしゃいますが、お二人ともお変わりありせんね。
 
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そして終演後には打ち上げパーティーがあったのだそうです。
 
 
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番組では、その後、きよしさんは西寄さんと小枝さんと3人でカラオケに行き、2003年の抱負をお話しされたと紹介されていました。
以下、一気に画像掲載します。
 
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最後は私の好きな伏し目がちなきよしさんの画像です。
伏し目がちな人を好きだったのではなく、きよしさんが伏し目がちなので、伏し目がちの人を好きになったのかもしれないなあ、なんて最近になって気づきました。
 
 
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きよしさんは、最近、よく
「忘れません!」
と言ってくださいますね。
私、本当に忘れていませんでした。きよしさんと過ごす時間、そして共に分かち合った熱い感動の思いは、何年経っても消えることなく、深く魂に刻まれているのだということをあらためて感じたのです。