こんばんは。
14日に、日本コロムビアさんのHPに「氷川きよしスペシャルコンサート2019 きよしこの夜Vol.19」のなかの「ボヘミアン・ラプソディ」を日本語カバーした映像が公開されると、さざなみのように反響が広がっていきましたね。


そのなかのある記事への書き込みの文面が心にのこって、「ボヘミアン・ラプソディ」のことをあらためて考えてみたのです。
その書き込みは「ボヘミアン・ラプソディ」は不可侵であってほしいし、不可侵であるべきで、日本語で歌ってほしくなかったという結論でしたが、「ボヘミアン・ラプソディ」には重層的なストーリーがあり、歌詩の随所にフレディ・マーキュリーのメッセージが込められていて。とりわけオペラパートには、彼の秘めていた苦悩や葛藤が暗喩されているのだという、示唆に富むことも書いてくださっていました。




その方の書き込みがきっかけになって、あらためてこの楽曲について調べてみて...。
いっそう、きよしさんの「ボヘミアン・ラプソディ」に惹き込まれる自分がいました。


そういえば、先月、朝日新聞の夕刊に、2月2日に中野サンプラザでおこなわれたコンサートをご覧くださった坂本真子記者が、
”この日も(「ボヘミアン・ラプソディ」の)原曲の劇的な展開をフルコーラスで再現し、オペラ部分も果敢に歌いきった。
日本語で聴くことへの違和感はあったが、鬼気迫る歌に圧倒された。
自由を求める歌の主人公が氷川に乗り移ったかのようで、曲が終わると一瞬の静寂の後、会場には大きな拍手が沸き起こった。”
と書いてくださっていました。

そう、わたしが、何をしらなくても、いつだって、きよしさんがその歌に宿る魂を蘇らせ、その楽曲に生命を吹きこんで聴かせてくださってきたのです。
「ボヘミアン・ラプソディ」もしかり。
わたしは映画「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディの生涯をしりましたが、彼の苦悩がどれほど苦しく、身を貫かれるほどの痛みを抱えていたのかということを、きよしさんの歌唱を聴いたことでいっそう深く感じて...。
だからこそ、どうしてよいのかわからないほどに、心が震えたのでした。
そして、ロックパートでの荒々しい歌唱に、氷川きよしの20年がフレディの人生とシンクロして...。
笑顔と輝きに満ちたデビューからの20年の歩みが、時にはどれほど壮絶なものであったかも一瞬にして、理屈をこえて理解できたのです。

その後、椿山荘でのディナーショーや、今年のコンサートツアーはもちろん、NHKの「うたコン」でも聴かせていただいて、そのたびに、心の奥深いところから熱いものがあふれて、それが涙になっていくという体験をしました。
今、ただただ涙がながれたそのわけがようやくわかった気がします。
それは、きよしさんの歌を通して、フレディの魂に共鳴することができたからなのだと。
そして、きよしさんがなぜ日本語で歌うことにこだわったのかも、あらためて納得したのです。
きよしさんの音感をもってすれば、英語で歌うことなどわけないのです。
でも今日までずっと日本語で思考し、歌においては、50ある日本語の音の細部にまでこだわって歌いつづけてきたからこそ、自分の全身全霊を傾けて歌おうとしたとき、自分のすべてを表現できる手段として、日本語を選択したということだったのでしょう。

もちろん、いずれは他の楽曲を外国語で歌うという機会も増えるかもしれません。
でも、「ボヘミアン・ラプソディ」では、自身の全身全霊を傾けて、フレディ・マーキュリーの魂と向き合うために、日本語で歌いたかったのだと、あらためてそう思いました。

ところで、フレディ自身は「ボヘミアン・ラプソディ」についていっさい解説していないのだそうですね。
だからこそ色々な説があるのでしょう。

以下は、すでにご存じのことばかりかもしれませんが、わたしなりにうけとめたことを書いてみたいと思います。

「ボヘミアン・ラプソディ」は、4つのパートに分かれていて、冒頭はバラードパート。
”ママ、僕は人を殺してしまった”と、美しいピアノ伴奏で告白するように歌います。
”I sometimes wish I'd never been born at all(生まれてこなきゃよかった)”
と歌うくだりで、わたしなどは、主人公の青年はどうなってしまうんだろう?  もしかして自殺しようとしているのかな?
と思い、すっかり歌の世界に惹き込まれていきました。

・バラードパート
・オペラパート
・ハードロックパート
・バラードパート

という4パート構成で、2番目のオペラパートでは、”逃がして!”と、生死の瀬戸際で助けを求める主人公と、それを阻もうとするもの、助けようとするものとの掛け合いとなります。
この掛け合いの部分を、きよしさんは、湯川れい子さんの訳詩で、

どうぞ 自由に逃がしてくれ 
(ダメだ! No! 逃しはせぬ!)  逃して
(ダメだ! 逃しはせぬ!)  逃して
(ダメだ! 逃しはせぬ!)  逃して
(逃がさない!) 逃して!
(逃がさない!) 逃して!
と、歌っていたかと思います。
(歌詩カードがまだないのでごめんなさい)。

このオペラパートに出てくる言葉に様々な暗喩があるといわれているわけですが、言葉そのままの意味としては、
”スカラムーシュ”はイタリア喜劇のピエロ。
”ファンタンゴ”はスペインの舞踊。
”ガリレオ”は、ガリレオ・ガリレイ。
”フィガロ”は、「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」といった風刺に富んだオペラの登場人物の名前です。
”マニフィコ(Magnifico)”は、”素晴らしい!”という感嘆の言葉なので、ガリレオとオペラで活躍する主人公のフィガロ、ひいてはその作者のカロン・ド・ボーマルシェに対しての賛辞の言葉でしょうか?
大文字表記になっているのでもし人名だとしたら(そういう観点からみるとフィガロは小文字ですけれども)、オペラ「チェレントラ」の登場人物の名前ともうけとめられますし、もしかしたらその両方かもしれません。

このオペラパートで、皆に囲まれて裁判にかけられているような空気感は、このパートに名前の出てくるガリレオ(ガリレオ・ガリレイ)が、今では常識となっている地動説を唱えて宗教裁判にかけられたことも思い起こさせます。

また、湯川さんの訳詩には表出されていませんが、
”ビスミラ(Bismillah)”は”アッラーの御名において”と言う意味。
”べルゼブブ(Beelzebub) ”はキリスト教における悪魔。

いずれもオペラの語感を生かしたフレディのセンスで選んだ言葉であると同時に、掘り下げると奥深い意味を持った言葉と感じます。
クイーンのメンバーは、このオペラパートは不要だといったそうですが、フレディは譲らなかったそうですね。
そして、映画のなかで、レコード会社の重役が、”スカラムーシュ”、”ガリレオ”、”ビスミラ”の意味を問い正したときに、ブライアン・メイが”歌詩の説明はナンセンス”と(喜)。
フレディはもちろん、クイーンは、”歌詩はリスナーのもの”と語っていたかと思います。

つづいてはロックパートになり、自分を押しつぶそうとするものに、やられっ放しではいないぞと激しく歌います。
ロック魂あふれるあれほどまでに荒々しいきよしさんの歌声は、わたしに初めて聴くものでした。
20周年の締め括りのコンサートでの初披露でしたから、わたしはその歌声に、きよしさん自身の激情を感じて、これまで、”氷川きよし”として輝きつづけてきた裏側の激しい苦闘や深い苦悩に涙があふれて号泣したのです。

ロックパートのあとは、ふたたびバラードで、全てを悟ったように、
”真実なんて 目に見えない”
”真実なんて 誰にもわからない”
と歌い、
最後は、
”Any way the wind blows….”
(風が吹くだけ)
と。

「ボヘミアン・ラプソディ」とは、
なんてドラマティックでミステリアスで、愛に満ちた楽曲なのでしょうか。

フレディは、出自や宗教、自身のセクシュアリティーといったコンプレックスをずっと抱えていたのでしょうね。
セクシュアリティーの問題は、当時は、今よりずっと偏見が強く差別される時代だったことは、映画を通して想像できました。

フレディは世界的なスターで、世界中の人から愛される存在でしたが、彼自身はスターのフレディ・マーキュリーとしてではなく、素の自分をさらけだしても、その全てを肯定して、深く深く愛してほしかったのでしょう。

愛したい、愛されたいという思いもまた、深い愛なのだと感じました。

文末に、ベネズエラの2歳の男の子が歌う「ボヘミアン・ラプソディ」を!
フレディの愛は2歳の男の子の心にも響いたのですね。
https://twitter.com/Helcio26/status/1238218479548993541

この記事を書くために、湯川れい子さんの訳詩を書きとめてみました。

湯川さんは、最終段階できよしさんに実際に歌ってもらい、きよしさんの意見や感想を聞きながら、言葉をチョイスし直したり、語調を整えるなどの微調整をしてから、仕上げにはいられたのだと想像します。
ここまで書いてきて、あらためてこの訳詩に、湯川さんのクイーン、そしてフレディへの愛と尊敬の念を感じます。
そして、湯川さんを突き動かしたものは、氷川きよしというアーティストへの愛なのだということも感じて...。
きよしさんを通じての素晴らしい出逢いと、さらに広がるご縁に感謝すると共に、わたしたちもまた、皆、繋がっているのだということを思わずにはいられません。

「BOHEMIAN RHAPSODY」
これが現実? 
それともファンタジー?
地滑りに 巻き込まれて行く
目を開けて 空を見あげて 
貧しいけれど 哀れまないで
(そうさ)
良い時もあれば 悪い時もあるさ
風よ吹け吹け 気にしちゃいない 僕さ

ママ 殺しちゃった
銃口向けたら 男は死んだ
ママ これからの人生だって言うのに
ママ  ooh 悲しまないで もし 僕が帰らなくても
生きて 生きて 何事も無かった様に

今は お別れさ 身体の中を震えが走る
グッバイ みんなも 行かなくちゃ 真実と向き合うために

ママ ooh  死にたくない 生れてこなきゃ 良かった

小さなシルウェット 男の影が
スカラムーシュ、スカラムーシュ、ダンスはファンダンゴ
(雷さまが それは怖いよ)
(ガリレオ) ガリレオ
(ガリレオ) ガリレオ ガリレオ フィガロ
(素晴らしい Oh ,Oh)
誰も嫌いな 貧しい男
貧しい家の 貧しい男 穢れた罪を払いなさい

どうぞ 自由に逃してくれ
(ダメだ! No!)(逃しはせぬ!) 逃して!
(ダメだ! 逃しはせぬ!) 逃して!
(ダメだ! 逃しはせぬ!) 逃して!
(逃さない) 逃して! 
(逃さない) 逃して!
(Oh ,Oh ,Oh. No! No! No! No! No! No! No!)
Oh ママミヤ ママミヤ
(ママミヤ  逃して!)
ビールズバブ 悪魔を取り除いて どうか For me


石を投げつけ ツバを吐くのか?
それでも 愛していると言うのか?
Oh、ベイビー そんな仕打ちを ベイビー
出ていかなくちゃ 今すぐ 逃げ出そう

(ooh・・・ ooh Yeah ooh Yeah)

真実なんて 目に見えない
真実なんて 誰にも解らない 

風が吹くだけ