「せっかくなので、マイクをとおさないでいいます」
きよしさんはそうおっしゃると、
「マイクをとおさないと感じが少しちがうと思います(喜)」
と、さらに前置きされてから、
「皆様、皆様!」
と二度、マイクを使わずに大きな声で呼びかけられると、
「1年間、お世話になりました。ほんとうにありがとうございました」
と。
マイクを通さないきよしさんのお声はまるで音楽のように美しく響いて...。
こめられたまごころのあたたかさがじわっと広がったのです。
きよしさんのおこころをうけとめて、大きな拍手がおこりました。
すると、そこでまた、マイクを使わずに、
「もうちょっとしゃべらせてください」
と笑顔でおっしゃると、
「来年もなにとぞよろしくお願いもうしあげます」
と、深々とお辞儀をされたのです。
”氷川きよし史上”、最長のナマ声トークとでしょうか。
忘れられない瞬間でした。
わきたった客席に、きよしさんは大きくうなずかれると、
「『男の絶唱』!」
とタイトルだけをマイクをとおしておっしゃると、イントロが奏でられ、上手、下手、センターそれぞれに頭をさげられ、歌ってくださいました。
昨日、大阪フェスティバルホールでおこなわれた今年のコンサートツアーファイナルの夜の部のラストトークでのこと。
きよしさんは、黄色の着流し姿で「きよしの人生太鼓」、「大井追っかけ音次郎」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」を歌われると、来場のお礼をていねにおっしゃると、こんなふうに話しだされたのです。
「1年、本当にあっという間でした。
でもあらためて思うことは、お越しくださる皆様のおかげで今日の日を迎えることができました。
風邪をひいて体調が万全でなかったときも、応援してくださる皆様のおかげで歌うことができました。
365日、けっして完璧とはいえない日もありましたが、キラキラと輝く時間をすごさせていただきました。
大、大、大感謝です」
ステージをみわたされると、
「このセットも見納めですね~」
そうおっしゃって、そのまま大きくうしろをふりむかれると、
「バンドの皆さんも1年間、ありがとうございました。
それこそ同じ釜の飯を食ってやってきました。
皆さんもいろいろなことがあって、大変なときもあったと思いますが、それでもがんばっているのをみて、自分だけが大変じゃないんだと思って、励まされました。
皆さんもいろいろなことがあって、大変なときもあったと思いますが、それでもがんばっているのをみて、自分だけが大変じゃないんだと思って、励まされました。
先ほどのご主人(ふれあいコーナーで当選された方のことです)だって、ご病気と闘っていて。その気持ちを思ったら、ほんとうに大変だと思います」
きよしさんはそこまでお話しされるなかで、なんどか顔を横にそらしては涙をこらえておられたのですが、そこでいよいよ涙声になり、その瞳から涙があふれたのです。
「来年は20周年!
感謝の思いをおとどけできる1年にしたいです。
年末は、1年のなかでいちばんいいと思っていただける「勝負の花道」をおとどけしたいと思っています」
と、そんなふうにみなぎる決意を言葉にされました。
そのあと、この記事の冒頭の”ナマ声”のプレゼントがあったのでした。

ほんとうは、このあとのアンコールのことを先に書こうか迷って...。
少し思うことがありましたので、先にラストトークのことを書くことにしたのです。
アンコールの幕がいよいよあくと、ステージにきよしさんの姿がありませんでした。
本来なら「勝負の花道~ビクトリー」のイントロが奏でられるはずですが、HKピュアリバーの皆さんも演奏していなかったのです。
と、そこにきよしさんが上手からレインボー柄の燕尾服スーツとシルクハットをお召しになって登場されると、あらためてお礼を言葉にされました。
「皆さん、1年間、ほんとうにありがとうございました。
たくさんのスタッフに支えていただいていますが、ここで一緒にステージにたって支えてくれたバンドの皆さんを紹介します」
とおっしゃると、ツアー初年度からずっと支えてくださっているリーダーの藤林さんを紹介されました。
「リーダーは17年間、一緒に戦ってきてくれました。
自分が24歳のときからです」
きよしさんは涙声になり、涙をこらえながら、
「リーダー、ほんとうに感謝しています」
とおっしゃったのです。
その言葉に、藤林さんはうなずきながら、少し泣いておられたようにみえました。
なぜ、きよしさんは、あえて17年分の感謝を言葉にされたのでしょう?
涙ながらに感謝の思いをおっしゃっていたきよしさんの胸中をわたしなりに想像して、今はわたしの勝手な予感でしかないですし、ほんとうのことはまたわからないものの、せつなさでいっぱになったのです。
今、こうして書いていても、きよしさんのあの涙がすべてを物語っているように思えてならず...。
でも、藤林さんを紹介されたあと、きよしさんは笑顔で、メンバーおひとりおひとりを、ときに笑いをまじえ、言葉をかわされながら紹介されていったので、ああ、すっかりここでも座長さんらしくなられたなあ、と、きよしさんのせつないおこころを感じながらも、見惚れました。
全員を紹介されると、
「ありがとうございました。
そして、なによりもお客様が応援し支えてくださいました。
ありがとうございました」
とおっしゃって。
「勝負の花道~ビクトリー」、「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」を大熱唱!
また大きな1歩を踏み出されたことを感じて、ツアーファイナルならではのさびしさを抱きながらも、心躍る思いになりました(喜)。
終演後、出待ちをしました。
フェスティバルホールがはいっているフェスティバルタワーから淀屋橋にむかう川沿いの道をきよしさんの車が通るらしいとのことで、前夜の何倍もの方がきよしさんをお見送りしようと沿道には隙間なくファンのかたがたっていたのです。
きよしさんを乗せた車は、やはりその道をとおり、きよしさんは車のなかから笑顔で手を振っておられて、その優しいまなざしに幸せな思いにさせていただいたのです。
そして、1年間の出来事が思いだされて...胸がいっぱいになりました。
ひとりだったら、いろいろな思いがめぐって泣いていたかもしれません。
でも、そこには堺のUさんや、ヤマブキレコードさんのご主人と奥様、Uさんを通じて知りあうことができた関西や広島のお友達が勢ぞろいしていて、わたしには夢のような光景でしたから、自然と笑顔になれたのです。
すべてはきよしさんがつないでくださったご縁と思うと、不思議さと嬉しさでいっぱいになって。
その足で道頓堀へとくりだしたのでした
では、以下はトーク中心に書いていこうと思います。
お仕事のことを心配してくださっている方もおられかもしれませんが、もうね、コンサートのことを書かないと次にすすめない思いなのです。
ですので、ご安心くださいませ~。

※淀屋橋からみたフェスティバルタワーとビル群。
昼の部のオープニングで、
「今日はこの1年のファイナル、最終公演ということで。
このセットともお別れです。
家にいるよりこの空間にいる時間のほうが長かった気がします。
多くの皆さんに応援していただき、支えていただいてこの日を迎えることでき、感謝の思いでいっぱいです。
10月に座長公演をさせていただいて、あらためて、多くの方に支えられて”氷川きよし”がつくられていることを感じて、感謝の思いがわきました。
今日は皆さんに幸せになっていただけるように!
そういう思いでステージにたたせていただきたいと思っているんで」
とそこまで真剣モードでおっしゃると、
「ございますよ」
とおっしゃったので、場内大爆笑でした。
きよしさんは、
「きよしん家(ち)に来ているようなつもりでリラックスしていただけたらと思います。
命をこめて、魂をこめて歌います。
どうぞ最後までよろしくお願い申しあげます」
と結ばれると、大阪の魅力をお話しされ、なかでも大阪のシンボルとして大阪城を思い浮かべることを前置きされると、「白雲の城」を歌われました。
司会の西寄ひがしさんをまじえてのトークのなかで、大江裕さんの話題がでると、
「昨日、大江ちゃん、地元の岸和田で10周年のリサイタルをされたそうです。僕も花を贈らせていただきました。いい子なんですよ、歌も素晴らしくて」
と。
よく電話でお話しされているのだそうです。
よく、”裕ちゃんは繊細だから”とおっしゃるきよしさん。ご自身も繊細だからこそそのお気持ちがわかるのでしょうし、わかりあえることも多いのではないかしら? と、勝手ながら思うのです。
昼夜とも「第69回 NHK紅白歌合戦」への出場決定、そして「60 日本レコード大賞」への出演決定をお祝いさせていただきましたが、昼の部では、
「厳しい世界で、今年、人気があってわーっと人が寄ってきても次の年は誰もこなくなってしまうような世界ですよ。そんななかで、こんな自分ですけど、素晴らしいファンの皆さんに支えていただいて。
ありがたいです。
ひとりっこで兄弟がいないので競争とか、意味わからないんです。
自分は自分でいればいいのかなって」
と。
きよしさんは、これまでに、押しのけられたり、出番をとってかわられたことがあったことを、かなり赤裸々に(汗)、お話しされたのですが、きよしさんはそのたび、自分にはそんなこと思いつきもしないし、ましてやできそうもないので、この世界で生き残っていかれないと思われたようです。
わたし、そのことをきいていて、きよしさんに出会って間もなく、北風と太陽のお話が思い浮かんで、きよしさんは”太陽”だと思ったことがあったなあと。
また、日本レコード大賞の司会をつとめられる土屋太鳳さんが、もっとも会いたい人がきよしさんで、初めて好きになったスターがきよしさんなのだそうですが、そのことをうけて、
「活躍されている方にそのようにいってもらえて光栄です。
それに恥じないように『勝負の花道』を歌いたいです」
と決意を言葉にされたのです。
そして、アニソンの話題になると、
「”演歌歌手・氷川きよしはどこに行く”っていわれることがあって。
腹の中で、”うるせーよ”って思うんですけど(笑)。
これまでもいただいた仕事をなんでもひきうけてきたので、これからもそれでいいんだって思ってます」
と、こころのうちをおしえてくださいました。
もう~、きよしさん、かぎりなくオープンハートですねっ!
ファンを信頼してくださっているからって思ってもよいですか? ね。

※エントランスのツリーは日中はホワイトなのです。
さて昼の部の”ふれあいコーナー”に当選されたおひとりめは3階席におすわりの日舞の先生でした。
三重県名張市からお越しで、きよしさんのコンサートに生徒さんに誘われて初参加とのこと。
生徒さんにきよしさんのファンの方が何名もおられ、その方たちのリクエストできよしさんの曲を踊っていて、最近は「男の絶唱」を踊って大好評だったそうです。
おふたりめの当選者は1階30列におすわりで、大阪にお住まいの86歳の方。最初は付き添われていた娘さんがお話しされたのですが、娘さんは偶然にも同じ名張市からお越しでした。
”お若い、お若い”と絶賛され、秘訣をおたずねになるきよしさんに、特別なことはなにもされていないことをお答えになったのですが、それでも絶賛してくださるきよしさんに、
”ずっと、きよし君のことを思っているから若いんです”とのお答えが。
お料理が上手で76ときまで食堂を営まれていたので、”なにかつくってほしいものはありますか?”という質問を書いてくださっていました。
”カレーの煮つけ”ときよしさんがおっしゃると、一瞬どよめきが、”カレー”ではなく”カレイ”とういうことでした。
”いつでもお越しください”とのことでしたが(喜)、そこで、娘さんが、
”氷川きよしさんのおかげで母が元気でいます。一度お礼をいいたかったんです。ありがとうございます”
と、おっしゃったので、じんときてしまったのです。
このコーナーでは白と黒のツートンカラーのスーツをお召しになっていますが、前回のDEFタイプをだすにあたって、テーマや基調になる色を思案されて、そのなかで白と黒の2色でというアイディアがうかんだそうです。
”ひとりオセロ”だなんておっしゃっていましたが、デザインを考えてつくっていただき、靴はもともともっていた黒と白の靴の片方ずつをはいておられるのだそうです。
ラストトークでは、
「『大井追っかけ音次郎』は発売して18年経ちます。2001年でしたから。
そのときCDやテープを買ってくださった80歳の方は、どうされているかなあ、お元気かなあと思ったりします。
自分の商品や作品が手に届くということは、その方のこころのなかに一瞬でも氷川きよしがあったということだと思うと感慨深いんです」
あらためて来場のお礼をおっしゃると、
「いよいよ今年も12月にはいって。今日は初日。
来年は2月2日にデビュー20周年めに突入します。
来年は何としても皆さんに、新しい氷川きよしを提示して、感謝祭という思いでやらせていただきたいことがたくさんあります。
今、あれもやりたい、これもやりたいと、考えています」
とわくわくするようなことをおっしゃったのでした。

※泊まっているホテルのレストランからのフェスティバルタワー
12月1日午前9時半ころの風景です。
夜の部のオープニングで、
「大阪、ええなあ」
とおっしゃって、3階席、2階席、1階後方、真ん中と手をふられて。
「皆さん、愛してるで」
と、思いきり手をふっておられ、”ワキ、みえてないかな”とご自身でおっしゃって(汗)。
そのまま前方席をとばして、トークに移られたのです。
すると、前列から大ブーイング(笑)。
きよしさんは、しばしなんのことかその権幕にびっくりされていたのですが、意味がわかると、
「ああ~そうかあ。すいません。近くに感じていたので(挨拶したつもりになっていました)。
あほやからすぐ忘れる。
こんなわたしでもよろしければ」
とおわびされると、前列にもまんべなく手を振られました。
ファンの声にそうやってちゃんと耳を傾けて誠実に接してくださるきよしさんに、ほっこりした思いになったのです。
アルバムの話題になったとき、
「歌がすべてですから。
アイドルじゃないし、年齢的にも」
とのきよしさんの言葉に、”そんなことない~”という声が客席からきこえてくると、
「アイドルというには無理がありますから、遠慮させていただきたいです(笑)。
これからひとりのアーティスト、シンガーとして、まっすぐに歌をとどけるのが使命だと思っています」
とおっしゃると、
「大阪の歌、お願いしてるんです。今のところ『面影の都』だけでしょ」
と話題を変えられ、
「♪ほんまになんとかで~
ほんまになんとかで~
大阪のぉ~ なぁんとか~」
と即興で歌ってくださいました(笑)。
「こてこての大阪弁がたくさんでくる演歌をってお願いしてますから。
次のアルバムを楽しみにしていてください」
とのこと。
氷川きよしの、”ニュー大阪ソング”、すっごく楽しみになっています。
さて、夜の部の”ふれいコーナー”で当選されたおひとりめは2階席におすわりの大阪からお越しの方。
新歌舞伎座さんでの座長公演決定をとても喜ばれていました。
明治座さんでの公演にいらして、”あまりに華やかで楽しい舞台に帰りたくないと思いました”と書いておられたかと思います。
きよしさんは、その方の思いに応えて、恋之介が公家の氷川中納言清麻呂さまを演じたときのセリフを再現してくださったのです。
長台詞を鮮やかに、そして、しなをつくったり、すごんだり、一瞬にして皆をその世界にいざなってくださいました(喜)。
おふたりめの当選者は1階19列におすわりの男性でした。
この方がこの記事の冒頭できよしさんがおっしゃったご主人です。
西寄さんが、メッセージ用紙を代読する前に、
「具体的な病名を書かれていますが、ご紹介しても?」
と確認されると、”いいよ”と即答。さらに、
「お年を読んでも?」と、西寄さんが確認されると、またも”いいよ”と気持ちよいほどの即答。
その方は75歳。守口市にお住まいですが、6年前からリウマチを患われ、闘病されているとのこでした。
”ナマの色紙がほしいです”と書いておられ、また「赤いシャツ着て」をまた聴きたいと書き添えてくださっていたのです。
すると、きよしさんは、アカペラで「赤いシャツ着て」をほぼ1コーラス歌ってくださったのです。
励ましの思いにあふれた、そして、一緒に皆でがんばろうという思いがつたわってきた忘れられない歌唱でした。
その方は”いつ死んでもいい”と喜ばれたので、
「そんなこといわずに、長生きしてください」
ときよしさんがおっしゃると、これからもずっと応援しているからとおっしゃってくださいました。
「大晦日は『紅白歌合戦』、みていてくださいね」
というようなことをきよしさんがおっしゃると、
”トリとってや!”
と(喜)。
なんてシンプルで力強い励ましでしょう。
嬉しさでいっぱいになったのです。
今回の舞台のセットの青いバラも奇跡をイメージして生まれたものだそうですが、「勝負の花道」のニュータイプ(G H I タイプ)に収録されているクリスマスソングのテーマも”奇跡”。
とりわけ、3タイプに共通して収録されている「聖夜の奇跡」はタイトルに、”奇跡”ということばがはいっていますね。
きよしさんが、奇跡ということで思いだすことのひとつが、「初恋列車」が、オリコン総合チャートで初登場1位になったことだと、この日お話しされたのです。
「あのとき、皆さんが起こしてくださった奇跡だって、思ったんです。
それで、僕自身もそんな奇跡を起こしたいと思ってやってきたんです
」
それで、僕自身もそんな奇跡を起こしたいと思ってやってきたんです
」
と。
そのときの驚きと感動がつたわってきて、じんときたのでした。
思えば、まさにそのとき、わたしは、”氷川きよし”が起こした奇跡だと思っていたのですが、きよしさんはわたしたちファンが起こした奇跡だとずっとずっと思っていてくださったのですね。
もう、今そのことを書いていたら、なんだ涙がでてきました。
嬉しい。
そして、愛しい。
※以上、道頓堀で美味しいものを皆さんといただいてホテルに戻って。
ぽわ~んとしたまま書きました。
こころのままに書いており、またいつにもましてまとまりなくてごめんなさい。
ぽわ~んとしたまま書きました。
こころのままに書いており、またいつにもましてまとまりなくてごめんなさい。
日付が変わって今日は夕方から「徹子の部屋」コンサートにいってまいります。
きよしさんはフェスティバルホールのステージに3日連続でたてることを、幸せとおっしゃっていました。
わたしも3日連続できよしさんのフェスティバルホールでのステージをみることができて、幸せです。
きよしさんはフェスティバルホールのステージに3日連続でたてることを、幸せとおっしゃっていました。
わたしも3日連続できよしさんのフェスティバルホールでのステージをみることができて、幸せです。