今、ここに忠太郎がいる?
きよしさん、いる、いるよね。
わたしはコンサートの最後の曲、「番場の忠太郎」を聴きながら、そう感じて。
きよしさんの忠太郎の語りにさらに聞き入ったのです。
「番場の忠太郎」をきよしさんが生で歌唱してくださるのを初めて聴いたのは発売の数日前、銀座三越の屋上のイベントスペースででした。
(とここで、「番場の忠太郎」への思い入れを書き、コンサートの様子はきよしさんの色紙の画像のあとからになりますこと、先におことわりさせていただいて、また書いていきますね)
きよしさんのラジオ番組 「ズンドコサンデーあっぱれきよし!」の公開収録があり、浴衣姿のきよしさんが屋上に組まれたやぐらの上で「きよしのドドンパ」を歌ってくださり、浴衣を着た参加者がその周りで踊った(南流石さんが事前に振付のレッスンをしてくださいました)のです。
そのイベントの際、間もなく発売される第7弾シングル「番場の忠太郎」を、コスチュームのダークスーツ姿に着替えて歌ってくださり、立っているだけでも汗が滴り落ちる炎天下でしたが、きよしさんの朗々とした歌声と、凛としたたたずまいは、しばしその猛烈な暑さを忘れさせるものでした。
プロフェッショナルであるということは、なんて壮絶で、でもなんて美しいものなのだろうと、きよしさんに見とれたのです。
「番場の忠太郎」のきよしさんの歌唱にはオペラ的な広がりも感じて、その歌唱も語りも、リリース時にはリリース時の魅力がありますが、”氷川きよし”の成長とともに進化する様を目の当たりにさせていただいてきた、勝手ながらとりわけ思い入れがある1曲。
忠太郎の語りの部分の台詞回しをきよしさんらしいと思いつつ、この曲を聴くまで「瞼の母」の物語を知らなかったとはいえ(すみません)、純粋にこの曲を聴いてわたしなりに抱いたイメージがハッキリとあったのです。
ですので、きよしさんはどのように忠太郎を受けとめてああいったトーンで語っていらっしゃるのか知りたいなあと、ずっと思っていたのでした。
ですので、きよしさんはどのように忠太郎を受けとめてああいったトーンで語っていらっしゃるのか知りたいなあと、ずっと思っていたのでした。
思いは叶うのもので、その”知りたかったこと”の答えを、今年、デビュー記念日の2月2日に発売された「氷川きよし 特選PV集」に収録されていた、きよしさんのコメントでいただけたのです。
”(語りで)声を張りたい”というきよしさんに、プロデューサーである長良じゅん会長は、抑えたほうがいいとおっしゃったそうで。
”それで結局どうしたんですか?”
との西寄さんの問いに、たしか”その中間”にされたとおっしゃっていたかと思います(笑)。
そうなんだ、そんなやりとりがあってのきよしさんのあの”語り”だったのだと長年の疑問に答えをいただけて...。
長良会長に近い考えをずっと抱いていたわたしは、進化し続ける”氷川きよし”の歌う「番場の忠太郎」が、またこれからどんなふうに究められるのだろうかと、聴くたびに、その日初めて「番場の忠太郎」を聴かせていただくような気持ちでこれまできたのでした。
きよしさん贔屓を100%差し引いて、そして高揚する気持ちを抑えても、やはり、”忠太郎”がいたとしか思えないのです。
素晴らしい歌唱、そして”忠太郎”の心がどうしようもないほどにあふれ出してくるような”語り”に魅せられたのでした。

※昨年、グリーンホールホールの25周年記念に贈られた色紙が
他のアーティストの方の色紙とともに飾られていました。
きよしさんの色紙にぐっと近寄って写メしました。
昨日、相模女子大学グリーンホールでおこなわれた、きよしさんのコンサートの夜の部に参加しました。
24日の”きよし日和”で、同日に刈谷市総合文化センター アイリスで開催されるコンサートから、7月8日に発売される「新・演歌名曲コレクション-さすらい慕情-」の収録曲である「沓掛時次郎」に加えて、「嫁に来ないか」と「兄弟船」を歌ってくださることを、おしらせくださったので、この日もその2曲を聴かせていただけるのかしら?
と期待でドキドキしていたのです。
でも、その予想を遥かに超えるこの日のセットリスト(わたしは6月11日の高松コン以来の参加です)の1曲、1曲に驚き、そして感動に心の震えをとめることができませんでした。
でも、その予想を遥かに超えるこの日のセットリスト(わたしは6月11日の高松コン以来の参加です)の1曲、1曲に驚き、そして感動に心の震えをとめることができませんでした。
「このくらいになると、ぽわんとしてくるんですよ」
きよしさんは「さすらい慕情」を歌い、”ふれあい(質問)コーナー”に入る前に、ニューアルバムの紹介を司会の西寄ひがしさんとされ、「男花」についての思いをお話しされたあと、そうおっしゃったのです。
「昼の部、完全燃焼したでしょう...。
(もちろん)夜の部も、完全燃焼だから」
きよしさんは、自分自身に言い聞かせるかのようにも聞こえて。
この前のコーナーで、西寄さんが”絶唱”と表された、あまりにも素晴らしい歌唱を聴かせてくださっていたので、このとき、”ぽわんとして”当然ですよね。
この前のコーナーで、西寄さんが”絶唱”と表された、あまりにも素晴らしい歌唱を聴かせてくださっていたので、このとき、”ぽわんとして”当然ですよね。
でも、わたしが驚いたのは、そのあと「ナツユキソウ」が紹介されたときのこと。
CDの音源が、いいところで切れ、皆が、思わず、”ああーっ”と声をだしてしまうと、きよしさんは、はにかむように微笑んで、
CDの音源が、いいところで切れ、皆が、思わず、”ああーっ”と声をだしてしまうと、きよしさんは、はにかむように微笑んで、
「歌いましょうか?」
とおっしゃって、ア・カペラでワンコーラスめの最後まで、歌ってくださったのでした。
素敵な歌声にうっとりしながら、きよしさんの真心を感じて、なんだかそこでも涙が出そうになったのです。
この記事のタイトルにも書かせていただいている言葉ですが、昨夜、わたしは、きよしさんのせいで、”メロメロ&ぽろぽろ(涙が)”になったのでした。
以下はオープニングから歌唱されたすべての曲目にふれながら記事を書いていきますが、冒頭には、わたしの
「番場の忠太郎」への思い入れを書いてみました。
さて、オープニングは、前回(わたしが参加した6月11日の高松コンを基準に書いています)同様、「一陣の風」で始まり、「白雲の城」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」を歌唱されて、オープニングトークとなりました。
2階席から順番に目と目をあわせて声をかけあって、一気にうちとけたムードになったところで、
「沓掛時次郎」
「潮来笠」
と股旅ものを歌唱されました。
ここでステージは暗転。
西寄さんが登場され、このホールの最寄駅である相模大野駅の思い出をお話ししてくださいました。
西寄さんはかつて原町田に住んでいたのですが、仕事で夜遅く帰宅する際に眠ってしまい、町田の駅のひと駅先の、相模大野駅まで乗りすごしたことがよくあったそうで、思い出深い街とのことでした。
西寄さんはかつて原町田に住んでいたのですが、仕事で夜遅く帰宅する際に眠ってしまい、町田の駅のひと駅先の、相模大野駅まで乗りすごしたことがよくあったそうで、思い出深い街とのことでした。
そして、次の、”昭和の名曲コーナー”での歌唱曲が大幅リニューアルとなったのです。
衣裳はあのゴールドのスパンコールのジャケットに白のシャツ、黒のサテンのパンツという出で立ちで登場されたのですが、流れてきたイントロは、「嫁に来ないか」でした。
ええっ? 「嫁に来ないか」ってこんなに勢いがあって、ドラマティックな歌なの?
新沼謙治さんの歌唱を聴かせていただいたことが何度かありますが、新沼さんの描く無口で照れ屋さんで頬染めているような青年のイメージとはまた違っていて、きよしさんの歌唱からは力強くて、誠実で、不器用な(ごめんなさい、悪い意味ではなくてですよ!)青年がうかんできて...。
その歌唱から、歌に込められた人生の輝きがひとつ、またひとつとふくらんで、きらきら、ふわふわときよしさんのまわりを舞っているようで、まぶしくて。
そのまぶしさ、心地よさに、涙がぽろぽろとこぼれていました。
ああ、歌は人なんだなとあらためて思い、きよしさんのまっすぐで誠実な心と同時に、新沼さんのあたたかさ、優しさをも感じて、今もその歌唱を思いだすとじんときてしまいます。
”氷川きよし”の「嫁に来ないか」という楽曲になっていることを感じて、詩をお書きになった阿久悠先生に、きよしさんは「でんでん虫」を書いていただいていますが、阿久先生は今の”氷川きよし”の「嫁に来ないか」をお聴きになったら、どんな思いを抱かれるかしら?
作曲された先生は?
と想像して、また胸がいっぱいになったのです。
続いては「さざんかの宿」でした。
キャンペーン時代に歌唱されていた、きよしさんにとって思い出深い大切な曲。
20代前半のきよしさんは、当時、どんな思いでこの曲を歌っていらしたのかしら?
その16年後にアルバムに収録し、大きなホールでその曲を歌っているのは、”氷川きよし”のまる15年間のたゆまぬ努力の賜物ですね。
次は「兄弟船」でした。
心の準備はできていたとはいえ、今現在の”氷川きよし”の「兄弟船」を聴いて、冷静でなんかいられるはずありません。
この曲に出会わなかったら、きよしさんが演歌を志すことがなかったということは、”氷川きよし”がこの世に生まれなかったということに等しいのだなあと、あらためて、きよしさんの歌唱を聴きながら考えていたら、”偶然”はないとはいうけれど、きよしさんのファンである自分にとっても、この「兄弟船」がどれほど大切な曲なのかを感じて、なんだかゾクゾクしたのです。
そのゾクゾクがおさまらないうちに、聴こえてきたメロディーは、
わたしには聴き間違えようのない、あの曲のイントロでした。
えっ、きよしさん、今日、ここで、今、歌ってくださるの?
嬉しさに思いっきり動転してしまいました。
だって、それは「愛の讃歌」だったから。
この日、「愛の讃歌」をきよしさんが歌ってくださるなんて、思ってもみなかったことでした。
過去、椿山荘のディナーショーで2度聴かせていただいたことがありましたが、きよしさんの心をのせた、魂の叫びのようなあの歌唱は、一度として同じ曲にはなっていなかったのではないかと、このときの歌唱を聴かせていただいて、本気でそう思っています。
語りかけるように、ときにつぶやくように歌い、人が人を恋しく思い、愛するその思いが高まって...。
後半の神々しく、また迫力に満ちた歌唱には心臓が貫かれるような思いがして、わたしは息をすることを一瞬忘れ去って聴き入っていたのでした。
きよしさんが舞台袖に戻られると、きよしさんの歌唱を、”絶唱”と西寄さんが表されて。
そう、”絶唱”という言葉は、きよしさんのこの歌唱のためにあるのだとさえ思えたわたしだったのです。

※25周年のお祝いのタピストリーが飾られていました。
”オリジナル曲コーナー”では、
「面影の都」を歌ってくださり、
次に流れてきた印象的なイントロは、
そう、「最後と決めた女だから」でした。
勝負曲だったときから相応の時を経て、きよしさんのからだの一部になっているかのような歌唱が、気持ちよく、そしてたまらなくかっこよく思えたのでした。
「星空の秋子」、「あの娘と野菊と渡し舟」を歌われて、暗転。
白地に大きな格子柄の入ったスーツ(5月12日の0「NHK歌謡コンサート」や「洋子の演歌一直線」などで着用されていました)にお召しかえされて(シャツは白、ネクタイはネイビーに白のドット柄)にお召しかえされて登場。
「さすらい慕情」をフルコーラス熱く歌ってくださいました。
客席にご挨拶されると、司会の西寄さんを紹介されたきよしさん。
「ね、西さん、スタイルいいでしょ。逆三角形で。西さんを見たら、女性の皆さんはメロメロですよ~」
と、人ごとのように(?)そうおっしゃったのです。
きよしさんたら、皆をこんなにメロメロにさせている張本人(なんだか悪い人みたいないい回しかしら?)だって、少しもわかっていないみたい、もう、もう、もう!
と、思わず心の声、書いてしまいました(笑)。
西寄さんが、「あっという間に7月ですね」
とおっしゃると、
「えっ、師走?」
ときよしさん。
いつも年が明けた途端に、年末のことを考えていらっしゃる方ですもの、”7月”を”師走”と聞き違えてしまったのでしょうね(笑)。
「もう、心は40代ですよ。
あと2年で40歳ですからね。40代になったら、あれして...」
とすでに”あれ”が飛び出して、リラックスムードのきよしさんだったのです。
ニューアルバムの紹介で、この日、収録されているカバー曲のうち、5曲をすでに歌唱してくださっていたので、もう1曲の「リンゴ追分」の話題となり、
ひばりさんの声真似、表情の真似までしてくださいました。
「ひばりさんの歌を歌わせていただくときは、ひばりさんのファンの方に失礼にならないようにと思いますし、心をこめて、”ひばりさん、ありがとうございます”という思いをこめて歌わせていただいています」
とひばりさんへの思いを言葉にされ、
所属レコード会社の日本コロムビアでひばりさんのことを知る方たちに、ひばりさんが今、存命でいたら、きよしさんが、どれだけひばりさんに可愛がられたことだろうかといっていただくのだということもお話ししてくださって、
「ひばりさんのお宅にお邪魔したことがありまして。
玄関にひばりさんの等身大の像があるんですよね。ひばりさんて小柄で身長150cmだったそうですね。
玄関を入って左にいって、また左にいくでしょ? 突き当りに台所があって。
そこに3人、お人さま? がいたんですよ(笑)。
何の方なのかと思ったら、お手伝いさんが、ええと、おらしゃってですね」
きよしさんがそこまでお話しされると、
「急に博多のオジサンがでてきましたね(笑)」
と、”おらしゃって”という言葉に即座に反応された西寄さんからツッコミが入り、一緒に苦笑されるきよしさんでした。
「(ひばりさんの息子さんの)和也さんは、ほんとうに優しい方なんですよ。
でも和也さんがあのように成長されたのは、ひばりさんが可愛がられて愛情を注がれたからなんでしょうね」
さらにニューアルバムにボーナストラックとして収録される「遠めがね」について、西寄さんが松井由利夫先生の遺作であることを紹介されると、
「僕のために(こんなに素晴らしい詩を書いてくださって)もったいないという思いになります。
先生が入院されていたとき、病院にお見舞いにいったんですが、その後、自宅に戻って療養されているときにも、ご自宅にうかがったんです。
玄関入って、左のところに襖があるでしょう?
襖を開けて和室に入ると、もう1個和室があって」
とお話しされるきよしさんに、
西寄さんが、”誰もそんなことまで知っていませんよ”というようなことをおっしゃると、
「すみません。
いつも皆さんが一緒にいてくださっている気になっているんで」
と一言(笑)。
そしてまた松井先生のことをお話しされたのですが、
「そこに(ふたつめの和室に)松井先生がおやすみになって、その、倒れていて?」
きよしさんは”臥せって”とおっしゃりたかったのでしょうか?
”何それ~”というような客席のどよめきと西寄さんのツッコミに追いつめられた(?)きよしさん、天井を仰いで、
「松井先生~、聞いてますか?」
とおっしゃったのです(笑)。
「ベッドに横たわっていたんですが、そのベッドには”パラマウント”って書いてあったんです。
僕、書いてある文字を見たんですよ。
それでベッドの上に(ベッド用の)テーブルがあって、そこにガラスの急須みたいなのがあって(客席から、それは”吸い飲み”という声)、先生とみかんを食べまして。
僕は房ごと食べるんですけど、先生は皮は召しあがらないで残されて。
僕は房ごと食べるんですけど、先生は皮は召しあがらないで残されて。
なんだかその光景をはっきりと覚えているんですね。
”10周年の記念コンサートには必ず来てくださいね”と約束して。
そこで奥さまと3人で写真を撮って、マネージャーの上東さんもいて、一緒にきゃっきゃっと笑ってね。
でもその数日後に先生は亡くなられたんです。
指をまるめて西空を見たら、故郷が見えてきて、松井先生は、”もう一度、お母さんに会って甘えたいなあ~”と思われたんでしょうね。
そんな松井先生のお心を感じてじんときてしまうんです」
きよしさんは、大切な思い出をしみじみと噛みしめるようにお話ししてくださったのでした。
そしてニューアルバムに収録されているオリジナル曲の話題になると、きよしさんは俄然ハイテンション。
「九州恋慕情」が「さすらい慕情」続編であることを説明されると、
「『さすらい慕情』に登場するのは、
1コーラスめはぁぁ? ”博多”
2コーラスめはぁぁぁ? ”長崎ぃ!”
3コーラスめはぁぁ? ”鹿児島ぁ!”」
と、きよしさんいわく、”ジェントルマン話法(多分・笑)”に。
「九州恋慕情」についても同様に、”1コーラスめはぁぁ?”と問うては答えることを繰り返され、さらに、暴走がとまらないきよしさん、
「僕の手を握ってぇぇ?
はい、僕に抱きついてぇぇ?」
とエスカレートしたところで、西寄さんが、
「先生、もう少しで生まれますぅ!」
と(笑)。
「それにしてもどんなキャラクターなんでしょうか?」
と、西寄さんがあらためて質問されると、
「女性をエスコートするような」
と即答されたきよしさん、
「『九州恋慕情』の主人公は明るいんですよね。
”あの娘、いなくても、まっ、いっか!”って(笑)」
と涼しいお顔で結ばれたのです。
「石割り桜」については、
「周りに振り回されないで、堂々と咲き誇りなさいと歌っています」
とおっしゃって、流してくださっているCDの音源に合わせて、マイクは使わずに歌っておられたのですが、どこをどうしたら、そんなにまで? というくらいに大きくお口を縦にあけながら歌唱されたのでした。
皆が驚く様子に、すっかり気をよくされた様子で(笑)、そのあともますます縦に大きく開口されたので、そんなきよしさんに歯医者さんになった気分(大げさ?)にさせられたのです(笑)。
「男花」についてお話しされたところで、この記事のコンサートのご報告のほうの冒頭に書きましたが、
”このくらいになるとぽわんとしてきて”とおっしゃって。
きよしさんは「男花」について、”16周年を迎えて、20周年に向けての思い”が描かれた曲であることを話されて、「ナツユキソウ」を紹介されました。
「ウェディングソングとして、新郎が歌うのはもちろんのこと、花嫁の父が歌ってもいいのではないかと思います。
ええと、」
きよしさんは客席に向かって、出てきた言葉は、
「ご主人で、(娘さんが)お嫁にいく方?」
でした(笑)。
“娘さん”が抜けていて、もうガマンできないぞという感じで、西寄さんが、
「そんな人、いらっしゃいませんよ。
もう会話がぐちゃぐちゃになってますね」
と(笑)。
そこで「ナツユキソウ」のCDの音源が流れて、”いいところ”で切れ、皆が思わず、”ああ~”と残念そうにつぶやくと、
「歌いましょうか?」
ときよしさんははにかむような笑顔でおっしゃって、1コーラスめを最後まで歌ってくださったのです。
と、質問コーナーに入る前にここまでトークが盛り上がったのでした。
さて、”質問コーナー”で当選されたおひとりめは2階席。山梨県からいらしたそうですが、幼なじみのお友だちに誘われて3月の明治座さんでのきよしさんの座長公演を観て、きよしさんが大好きになったということでした。
その方の質問は、
”毎日、きよし君のことで頭がいっぱいです。
わたしはこの先、どうしたらよいのでしょうか?”
というものだったので、場内は大爆笑だったのですが、きよしさんは思いっきり直球ストレートに受けとめられたようで、
「歌を聴いていただくだけでも、僕はありがたいんです。
だから無理されるようなことがありませんように。
無理されずに応援していただけたらと思っています」
とおっしゃり、
くれぐれも無理されることのないよう、もし無理されるようなことになったらどれほど心を痛めることになるのかをお話しされたのです。
なんて正直な人、そして正直すぎる人...。
一度はファンに“そういうこと“も話しておきたかったのでしょうね。
「実際に話してみて、いかがですか?」
質問者に西寄さんがおたずねになると、感激されたというお返事のなかに、”天然で”という言葉がふくまれていたので、
きよしさんは西寄さんと共にその言葉を受け、ふたりで見つめ合い、目をパチパチと激しくまばたきされてから、正面に向き直って、
「そうですか~?
あまりそういう意識がないんですよ」
とおっしゃったので、あちこちでクスクス笑いが起こりました。
皆の反応に、”なんだよな~”という様子のきよしさんでしたので、ほんとうに”天然”だなんて思っていないのでしょうね(笑)。
当選されたおふたりめは1階席の方。
6月16日の「NHK歌謡コンサート」でのきよしさんの歌唱を絶賛されていました。
その方がホールでの観覧にいらしたとおっしゃると、
「○○さんは席、どのへんでしたか?」
と西寄さんが質問され、さらに、
「あの日は私もNHKホールに観覧にいったんですよ。
自慢じゃないですけど、あの日は1階6列が当たりました。
座席引換のために列に並んでいるところを写メして、きよし君に、”今並んでます”ってメールしたんですよね」
と。
そして、きよしさんと皆に、座席引換のシステムを説明されたのでした。
そこで、皆さま、わたし、以前、西寄さんに似た方に2階席からおりてくる階段で遭遇したことがあったのですが、それは似た方ではなく、西寄さんご自身であったことが今になって判明したのです(笑)。
質問は、”7月のポップスコンサートで、どのような曲が聴けるのでしょうか?”
というものでした。
きよしさんは、
”オー、イェーイ! カモ~ン!”
と、ポップスコンサートへの思いをかけ声にこめて客席に呼びかけてくださって、
「いえる範囲で。
きよし君の生まれた頃の作品も入ってくるんですよね」
きよし君の生まれた頃の作品も入ってくるんですよね」
との西寄さんの問いに、
「子どもの頃の思い出の曲や、上京してから好きだった曲、西川(貴教)さんの曲とか。
ええと、じゃあ1曲だけ」
と答えたきよしさん、
「えっ、いいんですか?」
と”制止モード”の西寄さんに、
「いいの、いいの!」
とを手を振りながら女性っぽくおっしゃったのです。
「急にオバサンキャラが出てきましたね(笑)」
と苦笑する西寄さんをよそに、
「『人生号』を歌います」と、おしえてくださり、その一部分を歌われたのです。
29日の昼夜公演に加えて、前日公演が1回追加になりましたが、
「4回公演ですか?」
と確認されたきよしさんは、3回公演だとわかると、
「3回ですか。もし4回だったら、4回めには目がまわりますね。
ノリは、”いくぜ~い!”という感じでいきますけど、僕のもともとの資質はそういんじゃないんです」
ここでステージのセンター階段の中断で「迷い子」(昼の部は「貝がら子守唄」)を歌唱されると、そのまま階段を降りてこられて、「哀愁の湖」をコンサートバージョンで歌唱される旨をご挨拶されてから歌唱されました。
この日の前半で歌ってくださった「愛の讃歌」の世界観と響き合うものを感じて、また涙があふれたのです。

ホールの掲示板に貼られていたポスター。
”予定枚数終了”の赤札が目立ちますね。
舞台が暗転し、きよしさんが舞台袖に戻られると、西寄さんが登場。
「ファンの皆さまになかなかお礼を申し上げる機会がないので、今日はあらためてお礼をいわせてください」
と前置きされてから、ていねいにお礼をおっしゃられたので、
いつだって、西寄さんの感謝のお気持ち伝わっているのになと思ったのです。
そして、じゃあ、西寄さんにはわたしたちの感謝の思いが伝わっているかしら?
と、また考えて...。
それで、わたしたちのそんな気持ちが伝わっての”返礼”と受けとめさせていただいてよいかしら?
と思ったのです。
紋を染めぬいた白地の着物にブルー地に紋様が施された袴姿、そしてヘアスタイルを、水もしたたる”オールバック”にチェンジされて、きよしさんが登場。
「箱根八里の半次郎」、「大利根ながれ月」、「三味線旅がらす」、「大井追っかけ音次郎」と4曲歌唱されて、ラストトークとなりました。
”オリジナル股旅演歌”であるこの4曲を、それぞれの楽曲の色をくっきりと表しながら、少しも揺るがず堂々と歌われたきよしさんの歌唱に聴き惚れ、そのたたずまいに見惚れたのです。
髪をオールバックにされたきよしさんは最高にセクシー。
でも、当のきよしさんは、
「髪をあげて、とろ~っとしています(笑)。
以前、”デコ”をださないほうがいいってファンの方にいわれたことがあったんですけど...」
と、セクシーの”セ”の字もない様子に、
”オールバック、素敵~”
という声が客席から聞こえてきて。
「そうですか~?」
と、きよしさんは嬉しそうに見えたのです。
わかった、わたし、わかっちゃった!
”オールバック”にすると、素敵すぎて(あるいはセクシーすぎて)困っちゃうという思いから、おでこを出さないほうがいいと、そのファンの方はおっしゃったのではないかしら?
ね、きっとそうですよね。
わたし、もしものもしものもしもですが(笑)、”オールバック”のきよしさんにみつめられたら、きっとそのままバッタリ倒れちゃう。
困る~、想像しただけで、ほんとうに困る~。
とここまで恥を捨て去って書けば、きよしさんにも、おわかりいただけるでしょうか?
そのくらい”オールバック”にしたあなたは、素敵なんですから、ね。
「今日は皆さんのおかげで、なんだか気をつかわないっていうか。
ほんとうに自由に(伸び伸びと)させていただきました。
お客様に対して、”気をつかわない”というのは、失礼な言いかたかもしれませんが」
といいかけて、お客様に対して気遣っているのはもちろんであること。でもそれ以上にうちとけてコンサートをすることができたのだということをいい添えて、あらためてお礼をおっしゃったのです。
「今年も半分をすぎていますので、年末に、応援してくださった皆さんにご恩返しができるようにがんばっていじたいと思います。
今まで以上の大きな結果ををだして。
あっ、でも結果を追い求めているわけではないんですけどね」
と、またも本音を言葉にされると、”きよし!”、”きよし!”と客席のあちこちから声が聞こえてきて、次第にその声がひとつになっていき、熱い熱い”きよしコール”となりました。
きよしさんは、しばし”きよしコール”に耳を澄まされてから、”皆さんコール”を重ねてくださって。
コールがやむと、
「一本締めしましょう」
と突然おっしゃり、
「皆さんの健康と幸せ、そして笑顔の数がふえますようにと祈って。
よ~ぉっ」
パンッ!
きよしさんの音頭で一本締めでしめくくり、ラストは「番場の忠太郎」を歌唱。
わたしは、このときのきよしさんの歌唱と語りに、”今、ここに忠太郎がいる”のだと感じたのでした。
そのことは、この記事の冒頭にまず書かせていただき失礼しました。
幕が降りて、拍手と歓声のなか、ふたたび幕が開くと、ステージには手に持った仮面(マスク)でお顔を隠したミステリアスなきよしさんが登場。
アンコールに応えて、「一緒節」を、
衣裳を早変わりでチェンジして、「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」と、最後の1曲まで”完全燃焼”。
もてるすべてを惜しみなく放出しての”完全燃焼”に、幕が降りてもしばらく立ち上がれないわたしとKさんだったのです。
※ご報告のアップが遅くなってしまいました。
ごめんなさい。
その分、記憶の限り、書いてみました。
明日は中野サンプラザに「夏祭り日本の歌」の公開収録にいってきますので、楽しいご報告をさせていただけたらと思っています。
またお会いできますように。