今日は2月19日。
今日は記事の最後に少し懐かしい話題を書きますね。
きよしさんのデビューに関わられた音楽プロデューサーの岡賢一さんが、
「流行歌は人を救えるのか」(アミューズブックス)という著作のなかで、きよしさんと対談されていますが、そこには「箱根八里の半次郎」が誕生するまでの経緯も語られています。
お読みになられた方にはご存知の内容になりますが、岡プロデューサーは、きよしさんの声が股旅モノに向いていると感じ、それまでの実体験をふまえたリサーチとカンで、きよしさんのデビュー曲は股旅モノで行くと提案されたそうです。
でも、様々な可能性を模索するなか、股旅モノでと決まったものの、まだスタッフの中には懐疑的な意見も多く、股旅をベースにしつつ、もっとわかりやすい現代的な内容の歌にしたほうがいいんじゃないかという意見も多かったこと。
けれども岡プロデューサーは股旅モノをやるなら、本物でなくてはだめだと思って、松井先生に作詩を依頼することにしたというようなことが書かれています。
以下、岡プロデューサーときよしさんとのやりとり(一部)です。
岡 「(前略)歌詩は本物でなくちゃ人の心が掴めない。それで股旅モノといったらこの人、という松井由利夫先生に作詩をお願いすることにしたんです。でも松井先生に『誰が歌うの?』と聞かれても、氷川君だとは明かさなかった」
氷川「それはなぜですか?」
岡 「氷川君の年齢を言ったら、松井先生は『こんな難しい言葉は、彼には合わないだろうな』って考えて、本物の股旅モノはできないと思ったから。(後略)」
氷川「僕は岡さんのそんなお考えも知らずに、股旅モノで行くにしても、もっと自分らしく表現できるような方法はないかと思っていたんです」
岡 「それで、あの『やだねったら、やだね』のフレーズが生まれたんだよね。若い歌手がマジに股旅モノを歌ったって窮屈なんじゃないかってスタッフは考えていて。それで悩んでいたら、水森先生から『やだねったら、やだね』のアイディアがポッと出た。それを松井先生が採用してくれたんだよね」
氷川「『やだねったら、やだね』を聞いた時、僕らしいなと思いました。若さがあって、あっけらかんとしていますしね。それに、誰もが口ずさめる言葉で、幅広い年齢の方に受け入れてもらえるんじゃないかと感じたんです」
お二人の対談はこの後、まだ続くのですが、世代を超えてコミットし、そのジェネレーションギャップから生まれるエネルギーを創作に向けていくことの素晴らしさをこの対談から感じました。そして今、あらためて、このような経緯で、運命の縁の糸に結ばれて、きよしさんは松井先生にデビュー曲の詩を書いていただいたのだなあと思います。
きよしさんと松井先生の年齢差は52歳。生まれた時代が半世紀以上離れているのに、作詩家と歌手として出会い、お互いの人生に大きく関わることができたということは奇跡のような尊い縁なのでしょうね。
今日は、松井先生が”氷川きよし”と実際に会い、そして「箱根八里の半次郎」の大ヒットを受けて作詩されたであろう「箱根八里の半次郎~風雲編~」を聴きたいと思います。
詳しい制作背景は存じ上げていないのですが、その後の「箱根八里の半次郎」を描かれたものとうかがいました。
「箱根八里の半次郎~風雲編~」
作詩・松井由利夫
作曲・水森英夫
戻り馬かよ 馬子衆の鈴が
八里山坂 風になる
男 片意地 真平御免
人情(なさけ)振分 三島宿
やだねったら やだね
やだねったら やだね
どこへ飛ぶのか 渡り鳥
※25日の「スカパー! 音楽祭 2015」のセットリストも公開されました。
きよしさんは新曲「さすらい慕情」を歌唱され、「My Revolution」を小室哲哉さんとコラボされるそうですね。
きよしさんにとって憧れのかたとのコラボ。
なんだかこちらまでさらにドキドキしてしまいます。
そして、今日はテレビ東京の「L4you!」に太川陽介さんと一緒に出演されますね。
大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」のことも一緒に、また今夜、記事を書ければと思っています。
最初にこの画像を皆様にお贈りしたいと思っていました。

これは、亀の甲(かめのこ)結びです。
今年は2015年。
松井由利夫先生が2009年の今日、旅立たれてから6年の月日が経つのですね。
昨年、東京国際フォーラムで開催された「きよしこの夜Vol.14」のテーマは、”歌の詩を大切に歌う”というものでしたが、
あのときの、きよしさんの「一剣」の歌唱が今も、鮮やかによみがえります。
ステージ後方の大スクリーンに、”一剣”と、筆で書かれた白抜きの文字が映し出されると、
”川”、”月”、”一刀”、”両断”と、きよしさんの歌唱に合わせて、歌詩の単語がパッ、パッと浮かんでは消えていきました。
ワンコーラスごとに、結びのフレーズの文字が、大きく、ゆっくりと映し出されたので、
あらためて、
1番は”夢”、
2番は”華”、
3番は”道”
が、きよしさんの背に映し出されることになり、その言葉のひとつひとつが”氷川きよし”を物語っていることを感じて、鳥肌がたつ思いがしたのです。
あの日のコンサートで、松井先生がきよしさんのために最後に書いてくださった詩、「遠めがね」が紹介されましたが、“亀の甲(かめのこ)結び”は、そのなかに出てきた言葉でした。
司会の西寄ひがしさんが、”2番、3番ができることなく”と言い添えられ、朗読してくださいましたが、母親の愛が込められた“亀の甲(かめのこ)結び”の形や意味を知りたいという思いがわいたのです。
きよしさんは、そのステージであらためて松井先生の思い出をお話ししてくださいましたが、松井先生は、きよしさんに敬語でお話しされ、“氷川さん”と呼ばれていたそうですね。
以下はそのときのきよしさんの言葉を書き留めたものです。
以下はそのときのきよしさんの言葉を書き留めたものです。
「紅白歌合戦で大トリをつとめさせていただくことが決まったとき、病院に入院されていた先生をお見舞いさせていただいたんです。
先生は、”自分の作品が紅白の大トリをとるのは初めてです”と喜んでくださいました。
レコーディングのとき、先生はいつでも僕のような若輩者に敬語でお話しされたんですよね。
自宅療養中のときにもお邪魔したのですが、先生とこたつにあたってみかんを食べたことを思い出します。僕はみかんの薄皮も食べるのですが、先生は薄皮は召しあがらないんです。
ひとつひとつ、薄皮を残されていたことが、なんだかとても記憶に残っているんです」
と、とつとつと語られたきよしさんの思いを受けとめるように、西寄さんが、「松井由利夫先生が亡くなられたのは、2009年の2月19日でしたが、その人生の最後まで、氷川きよしのことを気にかけてくださっていました」
そうおっしゃって、先生が2月10日に、きよしさんのために書かれていたという、「遠めがね」という詩が、西寄さんの朗読で披露され、スクリーンにその文字が映し出されたのです。
”指をまるめて 西空見れば”
という書き出しでしたでしょうか?
結びの、
”なつかしいなあ、なつかしいけど、帰えれないなあ”
という言葉が心に染み入りました。

説明に、”万年変わらぬ健康の結び”とありました。
お恥ずかしいことに、”亀の甲結び”と聞いて、どんなものなのかわたしは知らなかったのですが、歌舞伎座に新春公演(夜の部)を観にいった際、組紐屋さんが出店されていて、そこでこの水引をみつけたのです。
きよしさんは、今年、放送された「氷川きよし節」(文化放送)でも、詩の大切さについてお話しされ、
「詩は作家の先生からの3分間の手紙なんです」
とおっしゃっていて、その言葉が心に残りました。
きよしさんは、今年、放送された「氷川きよし節」(文化放送)でも、詩の大切さについてお話しされ、
「詩は作家の先生からの3分間の手紙なんです」
とおっしゃっていて、その言葉が心に残りました。
今日は記事の最後に少し懐かしい話題を書きますね。
きよしさんのデビューに関わられた音楽プロデューサーの岡賢一さんが、
「流行歌は人を救えるのか」(アミューズブックス)という著作のなかで、きよしさんと対談されていますが、そこには「箱根八里の半次郎」が誕生するまでの経緯も語られています。
お読みになられた方にはご存知の内容になりますが、岡プロデューサーは、きよしさんの声が股旅モノに向いていると感じ、それまでの実体験をふまえたリサーチとカンで、きよしさんのデビュー曲は股旅モノで行くと提案されたそうです。
でも、様々な可能性を模索するなか、股旅モノでと決まったものの、まだスタッフの中には懐疑的な意見も多く、股旅をベースにしつつ、もっとわかりやすい現代的な内容の歌にしたほうがいいんじゃないかという意見も多かったこと。
けれども岡プロデューサーは股旅モノをやるなら、本物でなくてはだめだと思って、松井先生に作詩を依頼することにしたというようなことが書かれています。
岡 「(前略)歌詩は本物でなくちゃ人の心が掴めない。それで股旅モノといったらこの人、という松井由利夫先生に作詩をお願いすることにしたんです。でも松井先生に『誰が歌うの?』と聞かれても、氷川君だとは明かさなかった」
氷川「それはなぜですか?」
岡 「氷川君の年齢を言ったら、松井先生は『こんな難しい言葉は、彼には合わないだろうな』って考えて、本物の股旅モノはできないと思ったから。(後略)」
氷川「僕は岡さんのそんなお考えも知らずに、股旅モノで行くにしても、もっと自分らしく表現できるような方法はないかと思っていたんです」
岡 「それで、あの『やだねったら、やだね』のフレーズが生まれたんだよね。若い歌手がマジに股旅モノを歌ったって窮屈なんじゃないかってスタッフは考えていて。それで悩んでいたら、水森先生から『やだねったら、やだね』のアイディアがポッと出た。それを松井先生が採用してくれたんだよね」
氷川「『やだねったら、やだね』を聞いた時、僕らしいなと思いました。若さがあって、あっけらかんとしていますしね。それに、誰もが口ずさめる言葉で、幅広い年齢の方に受け入れてもらえるんじゃないかと感じたんです」
お二人の対談はこの後、まだ続くのですが、世代を超えてコミットし、そのジェネレーションギャップから生まれるエネルギーを創作に向けていくことの素晴らしさをこの対談から感じました。そして今、あらためて、このような経緯で、運命の縁の糸に結ばれて、きよしさんは松井先生にデビュー曲の詩を書いていただいたのだなあと思います。
きよしさんと松井先生の年齢差は52歳。生まれた時代が半世紀以上離れているのに、作詩家と歌手として出会い、お互いの人生に大きく関わることができたということは奇跡のような尊い縁なのでしょうね。
今日は、松井先生が”氷川きよし”と実際に会い、そして「箱根八里の半次郎」の大ヒットを受けて作詩されたであろう「箱根八里の半次郎~風雲編~」を聴きたいと思います。
詳しい制作背景は存じ上げていないのですが、その後の「箱根八里の半次郎」を描かれたものとうかがいました。
「箱根八里の半次郎~風雲編~」
作詩・松井由利夫
作曲・水森英夫
月の湯の沢 霧立つ朝は
後ろ髪ひく 花すすき
浮世投げ節 三すじの絃(いと)が
切れりゃ涙の ほととぎす
やだねったら やだね
やだねったら やだね
箱根八里の半次郎
後ろ髪ひく 花すすき
浮世投げ節 三すじの絃(いと)が
切れりゃ涙の ほととぎす
やだねったら やだね
やだねったら やだね
箱根八里の半次郎
戻り馬かよ 馬子衆の鈴が
八里山坂 風になる
男 片意地 真平御免
人情(なさけ)振分 三島宿
やだねったら やだね
やだねったら やだね
どこへ飛ぶのか 渡り鳥
袖を七分に 手甲脚絆
いつか流れて ひと昔
おぼろ霞の 権現さまに
片手拝みの 詫びを入れ
やだねったら やだね
やだねったら やだね
箱根八里の半次郎
いつか流れて ひと昔
おぼろ霞の 権現さまに
片手拝みの 詫びを入れ
やだねったら やだね
やだねったら やだね
箱根八里の半次郎
※25日の「スカパー! 音楽祭 2015」のセットリストも公開されました。
きよしさんは新曲「さすらい慕情」を歌唱され、「My Revolution」を小室哲哉さんとコラボされるそうですね。
きよしさんにとって憧れのかたとのコラボ。
なんだかこちらまでさらにドキドキしてしまいます。
そして、今日はテレビ東京の「L4you!」に太川陽介さんと一緒に出演されますね。
大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」のことも一緒に、また今夜、記事を書ければと思っています。
最後に。あわじ結びを。
こちらは”良縁”のお守りになるそうです。

皆様、いつもありがとうございます。