こんにちは。
9月6日のご報告が途中になっていて、すみませんでした。
昨日は、「かあさん日和」を唄ってくださったところまで書かせていただいたかと思います。
 
さて、きよしさんは
マドロスさんの衣裳にお召し返されて、大きな手拍子が響くなか、ご自身も頭上で手を叩きながら登場され、その場でジャンピング&ローリング!
勢いよく「あばよ」を歌唱されました。
そのあとオープニングトークになり、
バースデーお祝コーナーで盛り上がったあと、きよしさんは、ご両親への感謝の思いをあらためて言葉にされ、お母さまとの忘れられない大切なエピソードを、昼夜とも言葉を選びながら伝えてくださいました。
そんなお母さまへの思いについて、
「僕もなかなか言葉に出しては言えませんけれども、歌でなら伝えることができますから」
と、そんなふうにおっしゃられたでしょうか。
きよしさんは、一礼され、
「かあさん日和」を語るように唄い出されたのでした。
きよしさんがその日話してくださっ
た小学1年生のときの出来事。
幼いきよしさんの様子がうかんできたのです。、
優しいお母さまに守っていただいて、きよしさんはどんなにうれしく安心だったことでしょう。
 
その後ももちろん、誰しもがそうであるように様々な出来事があって...。
でもどんなときもお母さまがきよしさんの心の大きな支えになってくださってきたのでしょうね。
きよしさんが「かあさん日和」を唄う前に、
「おかあさん、僕を産んでくれてありがとう」
おっしゃるときの、きよしさんのはにかんだ様子がとても好もしく思えるのです。
真心がとめどなくあふれてくるような歌唱に、胸が熱く熱くなったのでした。
 
きよしさんが舞台袖に戻られると、西寄さんが登場されて、”氷川きよしヒストリー”を語ってくださいます。
このときの西寄さんは、わたしが見させていただいてきた限りでは、いついかなるときもドシンと構えていらっしゃる印象ですが、なぜだかこのときは、いつもとトーンが少し違うように感じたのです。
そう、きっと西寄さんもドキドキしていたのではなかったでしょうか?
語りの最後に、西寄さんは、きよしさんから手紙を預かってきたことをおっしゃったのです。
西寄さんは胸の内ポケットから、忍ばせておいたきよしさんのお手紙を取り出して、読み上げてくださいました。
そこにはこのようなことが書かれていました。
あわててメモをとったので、部分であることと表記が定かではないことをご了解くださいませ。
  
「今日、お越しのファンの皆様、お客様へ。
37年間生きさせていただいて、皆様のおかげで今こうして唄うことができ、舞台に立たせていただいて、
ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも、僕は生きて、生きて、生き抜いて、歌を通して皆様に恩返ししていきます。
(※ここはもしかしたら、”恩返し”ではなく、”お返し”あるいは、”お伝え”というようなこと書かれていたかもしれません。曖昧でごめんなさい)。
そして、自分に勝ってまいります。
皆様との数々の輝かしい思い出は、すべて僕の一生の宝物です。
この厳しい芸能界で唄わせていただいているという使命感を持って、皆様の心の奥底に届く歌を唄ってまいります。
氷川きよしという歌手を作ってくださったのも皆様です。
この先、僕もどんな氷川きよしに会えるのか、楽しみです。
 
皆様が日々、笑顔で幸せでありますように。
 
2014年9月6日 氷川きよし」
 
というものでした。
※走り書きしたメモと、心に刻まれた記憶をもとに思い出せる限りの言葉をここに書きとめさせていただきましたので、あくまで実際に書かれたお手紙の一部分と受け止めていただければ幸いです。
 
9月5日から日付が変わり9月6日になってから、
バースデーコンサートに来場されるファンとお客様に向けて手紙を書きたいという気持ちがわいて、書いてくださったので、この手紙が37歳になって最初に書いた手紙になることを西寄さんを通して教えてくださいました。
わたしは、このお手紙に、きよしさんからのこれ以上ないほどの愛を感じていました。
おかしな意味ではなく、思い込みでも、妄想でもなく、
氷川きよしが、どれほどファンを愛しているかを心が痛くなるほどに感じたのです。
 
皆さまもそうだと思いますが、わたしもきよしさんに見返りを求めたことなどありません。
それより先に、たくさんの感動をいただいているから、少しでもお返しできないだろうか、何かお返しをしたい。
そんな思いから、それまでの人生では考えられなかった”ペンライト”での応援や、”きよしコール”をさせていただくようにもなりました。
それなのに、こんなにまでファンを愛してくださるなんて...。
こんな幸せというものがあるのだなあと、そこだけなぜだか冷静に思い、
わたしはまた嬉し涙をこぼしていました。
 
嬉し涙といえば、代読されていた西寄さんの目にも涙が光っているように見えたのです。
そして皆さま、そんな熱い思いを、いつも応援してくださるファンの皆にも何とかお届けしたいという思いで、6日当日に「きよし日和」にメッセージをアップされたのでしょう。
 
続いて、”故郷・博多を舞台にした歌のコーナー”。
きよしさんは、黒紋付きに縞袴姿でステージ中央の階段の上段に登場されました。
「無法松の一生」
を唄ってくださり、階段を降りて、
「夢勝負」
「玄海船歌」
と唄ってくださいました。
どの1曲をとっても最高の歌唱なのですが、やはり久しぶりに聴かせていただいた「夢勝負」に、心くらくらのわたしでした。
初めて聴いたときは、まだ博多に行ったことがなかったので、この曲から、きよしさんの故郷・博多をイメージさせていただいたのです。
マイナー調のメロディーと、きよしさんの高音の響きに、博多ってどんな街なのだろう? とドッキドキしたことが思い出されます。
唄い終えて、
「おいっさ!」とかけ声をかけるきよしさん、男気あふれる響きでした。
 
「玄海船歌」を唄い終えると、ラストトークになりました。
この日の来場のお礼をていねいにおっしゃると、
「僕、皆さんに手紙を書かせていただきました。
昨日から今日に日付が変わったら、今日お越しくださる皆さんに手紙を書きたいという思いが心にわいて。
もっとたくさん書きたいことがあったのですが、あんまり書くと、皆さんがお疲れになるかなあと思って...」
きよしさんは手紙に込めた思いをあらためて言葉にされると、
「伝わったでしょうか?」
と、静かに問いかけられました。
すると、会場に何かが巡ったかのように勢いよく大きな拍手が起こったのです。
”うん”と、きよしさんはうなづかれたかと思います。
そして、ここで、一糸乱れぬといっても大げさではないような”きよしコール”が起こりました。
きよしさんは、
「大利根ながれ月」
「一剣」
と歌唱され、
フィナーレは、階段を昇って、上段で「白雲の城」を唄ってくださいました。
 
唄い終えると階段を堂々と降りてこられ、ステージの上で会釈されて幕はおりました。
 
そしてアンコールでは、白いロングコート姿で登場。
「陽春」を唄ってくださり、
早変わりでブルーのスパンコールのジャケットにブルーのパンツ姿で、
「きよしのソーラン節」
「きよしのズンドコ節」
を唄ってくださり、幕を下ろしたのでした。
 
きよしさんの歌唱にそのすべてを感じさせていただきました。
その歌唱に心癒され、感動のあまり幾度となく涙がこぼれました。
その上、お手紙に、これ以上ないと思わせていただくほどの深い愛を感じさせていただいて...。
嬉し涙をぼろぼろこぼしてしまったのです。
 
 
夜の部までの時間を、島根県庁を右手に橋を渡って、川沿いのお店でお茶していたのですが、橋を渡ったところで、振り返って渡った橋のポールを見ると、そこには”幸橋”と書かれていました。
当初、以前、訪れたことのあるお店に行きたいと思ったのですが、雨がだいぶ降ってきていたので、ホールに近いところでお店を見つけようとして、別の方向うを歩いてのことでしたので単なる偶然なのですが、でもうれしくなる偶然!
ふたたび”幸橋”を渡って、島根県民会館へと向かったのです。
 
すでに夜の部でのこともこれまでのご報告の流れのなかで織り交ぜて、ほぼ書かせていただきましたが、
きよしさんは夜の部の最初のご挨拶のときに、
「37歳になりましたけれども、
大人になるってどういうことなんでしょうね~。
わからないまま、今の年齢になりました(笑)。
子どもの頃の好奇心や純粋な気持ちは忘れないようにしたいと思いますけれども」
きよしさんはそう前置きされてから、37歳年相応の歌が唄えるようになりたいという思いや、後輩や若い人への思いも言葉にしてくださっていました。
きよしさんは、客席からの熱烈声援に、
”嬉しいですね~”と何度おっしゃったことでしょう。
”投げキッスして!”と書かれたボードに気づかれると、
「はい」
とボードの主に向かって投げキッスをされ(喜!)、
カップルらしき方を見つけると、気さくにお声をかけ、
「いいですね~。愛し合って、許し合って」
と、おっしゃったのですが、勘違いだったのか、女性のほうが彼よりきよしさんの方が好きだとおっしゃったのか、わたしにははっきり聞き取れなかったのですが、きよしさんは”えっ、違う?”とおっしゃったあと、苦笑されていたのでした(笑)。
 
楽しいトークのあと、夜の部でも富士山のケーキでバースデーのお祝いをしました。
夜の部では37本のローソクの火を一吹きで吹き消され、よほど満足されたのか(?)、ご自身でケーキを載せたワゴンを舞台袖に押していかれたのでした(笑)。
 
そして昼の部のあとで、ふと歌を詠まれたことをお話しくださって、
きよしさんが、
「ちょっとお待ちください」
と、舞台袖に歌を書かれたものを取りに戻ろうとすると、
空かさず、西寄さんが、
「ここにございます。ちゃんとわかっております」
とそんなふうにおっしゃって色紙を出されたのです。
そういえばあの色紙はそれまでどこにあったのでしょう?
歌は色紙に筆で書かれていました。
 
オペラグラスを持っていなかったので表記が正確ではないことをお許しいただきたいのですが、
「きよ(清)島根 
輝く宍道湖 眺めつつ
明日も また旅 歌の旅
声の限りに
皆様(あなた)に届けと」
 
皆様と書いて、あなたと読むのだということはきよしさんが説明してくださいましたが、素敵な言い回しですね。
これから、きよしさんの”皆さま”はすべて”あなた”に変換させていただこうかしら? 
なんて(笑)。
ここで日本武道館での15周年記念コンサートの話題になりました。
西寄さんが、
「今日ここでだけ言っていいこと、ひとつだけ教えてください」
と気をきかせてきよしさんに聞いてくださったのですが、答えは、
「唄います(笑う)」
でした。
まあそうなんですけどね(笑)。
自分のオリジナル曲だけで構成されることをおっしゃったあと、
”よっしゃ、行くぜ!”
と右拳を掲げると、”オーッ!”と1600人が息を合わせて応えたのでした。
 
さらに夜の部でも10月6日に放送される「わが心の美空ひばり」の収録で、今は記念館になっているひばりさんのご自宅にうかがったときの話題をされました。
「ひばりさんて、すごく明るい方で、何でも笑いとばすような方だったそうですね。
大スターだから、いろいろストレスもあって、さみしかったこともあったんだろうなあと、人間・ひばりさんが見えてきました。
人生いろいろ苦労して歩いてこられて、だからこそ今も多くの方に愛されているのですね。
僕も多くの方に愛される歌手になっていきたいですよね」
きよしさんがそのようなことをおっしゃると、
「平成の時代に多くの人々に愛されている歌手は氷川きよしですね」
と西寄さんが昭和を代表する歌手は美空ひばりさんであることを前置きされてから、そのように言ってくださいました。
”とんでもない”と恐縮されるきよしさんに、
「皆さん、きよしさんに生きる希望の光を感じていらっしゃるんです」
と言い添えてくださいました。
嬉しくなる言葉でした。
 
きよしさんは
「皆さん、ともどもに がんばって生きていきましょう!」
と結ばれて、昼の部でお話ししてくださったお母さまとのエピソードを夜の部でも語ってくださり、
いつか東京に両親を呼びたいという思いが叶ったときの嬉しさを言葉にされ、
「かあさん日和」を唄ってくださいました。
 
きよしさんが舞台袖に戻られると、西寄さんがきよしさんのヒストリーを語ってくださり、あの素敵なお手紙が夜の部でも披露され、
黒紋付きに縞の袴姿のきよしさんが登場され、ラストトークで、
「今日は20周年に向かってのスタートです。
これからたくさんたくさん皆さんの笑顔が見られるようにがんばって唄ってまいります」
とおっしゃったあと、
「がんばるぞ~!
皆さんお元気で~!」
とそれぞれ右拳を頭上に掲げながら言ってくださったので、そのたび、皆も”オーッ!”と声を上げたのです。
「大利根ながれ月」、「一剣」、「白雲の城」でエンディング。
そしてアンコールで、
「陽春」、「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」をと最後の最後まで、加速する熱唱に酔わされたのでした。
上手、下手、センターと会釈をされ、ステージ中央の階段の最上段まで昇ると、くるりとこちらに向き直りました。
わたし、きよしさんが上手側で「きよしのズンドコ節」の2コーラス目を唄っておられるときに、目に光るものに気づいたのです。
でもそれは、先にも書いたように汗? とも思ったのです。
それは、最後の1曲まで輝く笑顔で、圧倒的な歌唱で魅せてくださったきよしさんでしたから、そんなきよしさんと涙が結びつかなかったのです。
でも翼を背にポーズをキメられたあと、マイクでお礼をおっしゃっていたきよしさんは涙されていました。
きよしさんの嬉し涙でした。
なんて美しい。
そしてなんて愛しい。
 
きよしさんが放つ光を浴びていたら傷つくまいと思いながらも知らずと心に刺さっていた棘のようなものが溶けて流れていくのを感じたのです。
この日、不思議なことに、その棘のようなものの存在を、夜の部で「愛燦燦」を聴いているときに自覚したのです。
氷川きよしは、すごいなあ。
ほんとうにすごい歌手だなあ。
わたしは自分の身に起こったことに驚きながら、あらためてそう思ったのでした。
 
いよいよ緞帳が降り出すと、
”ご近所の皆さんにもよろしく”
そうおっしゃった一言が抑えきれずに涙声になっていました。
きよしさん、最後の最後まで泣くまいとがんばっておられたのですね。
そう思った瞬間、わたしの目から、涙があふれ出したのでした。
 
 
終演後、出待ちをしました。
傘差し覚悟でいたのですが、ありがたいことに雨はすっかりあがっていたのです。
楽屋口の周りにはすでに何重にも列ができていたので(皆さん、早いっ!!)、わたしは松江城が左手に見える、歩道に面したところに並ばせていただくことにしました。
楽屋口からは離れているので、そのすぐ横に停車している車に乗り込まれることを思うと、その様子を目にすることは難しそうですが、きよしさんを乗せた車が歩道の向こうの車道うを通りすぎるのをお見送りさせていただければそれで充分と思って並んでいたのです。
途中で西寄さんが出ていらして、バースデーの帽子をかぶっておられるのが見えたのですが(笑)、
このとき、遠目で暗かったこともあり、
”あれ、きよし君?”
と聞いた方が多数おられたので、よくステージで、きよしさんが、”どちらがどちらかわかりますか?”なんておっしゃるのも笑い話でもないかもと愉快な気持ちに(笑)。
 
そのとき、いよいよきよしさんが楽屋口から出てこられました。まず、ホールの搬入口付近から始まっている列の方にずっと歩いていかれました。
わたしはそのとき、なんと自分が並んでいた花壇の縁にうまく乗ることができたので、身長30cmアップ。何重にもなっている人垣の向こうのきよしさんが見えたのです(汗!)。
うわあ~、もう満足とすでに胸がいっぱいになっていました。
あとはきよしさんを乗せた車が通り過ぎるとき手を振らせていただければと思っていたのです。
きよしさんは停車している車のところまで戻ってくると、そのまま車には乗らずに、出待ちの人たちを仕切って置かれていたポールに沿って歩道側へと歩かれたのです。
えっ? このままだと、きよしさんが目の前を通ってくださるのかしら?
いやん、どうしよう、
顔も髪も汗でドロドロなのに~。
それに心の準備ができていませんよ、わたし。
と、急にドキドキしてきました。
 
一瞬、人垣で何も見えなくなったと思ったら、すぐ目の前にきよしさんの姿が!
あんなにたくさんの人がずらりと並んでいるのに、ひとりひとりと目を合わせてニコッ!
わたしにも目を合わせて微笑んでくださいました。
ああ、これって微笑み返し?
ほんの一瞬のことながら、幸せ~!
よく考えたら、わたし、花壇の縁に乗っていたのですよね(笑)。
と、ここで、すでにきよしさんが通り過ぎた楽屋口にいらした方たちが、まだきよしさんが歩道を歩かれているというので、大挙してこちら側にいらしたので、
”きゃあ、押さないでください~、きよしさんにぶつかっちゃいます!”
と、いうような状況になってしまいました(汗)。
きよしさんはそのままにこやかに軽々と歩道を歩かれ、歓声はきよしさんの歩みとともに次第に遠ざかっていきました。
そのとき、スーッと、きよしさんがお乗りになる車が敷地から出て車道を走り信号の手前で停車され、きよしさんはそこで車に乗り込まれたようです。
”ようです”と書いたのは身長+30cm状態でも、人、人、人で車以外は見えなかったのです(笑)。
 
ホールの周囲は一気に静かになり、皆、それぞれの道を歩き出しましたが、どなたも笑顔、また笑顔。
向かいのライトアップされた松江城まで微笑んてくださっているようでした。
 
 
※皆さま、今晩、メッセージカードのご報告をさせていただけそうです。
またお会いしましょう。