そのとき、わたしは、きよしさんに向かって大きく大きく手を振りました。
”きよしさん”
と、大きな声で名前を呼んだら、きよしさんに届きそうでしたが、そこで声を出したら、泣き出してしまいそうで、いざとなると何も言葉が出てきませんでした。
わたしは、ただただ、右手をきよしさんの方に向けて、大きく大きく、何度も何度も振りながら、しきりに会釈させていただいたのです。
きよしさんは、こちらを見つめ返して幾度となくうなずいてくださったので、わたしの思い、きよしさんに伝わったでしょうか...。
2014年5月1日。
五反田ゆうぽうとホールで開催された夜の部のコンサートでのことでした。
皆さま、5月1カ月皆勤賞(ブログ更新)を果たすことができたら、ご報告させていただこうと思っていたのですが、あの日、夜の部の質問コーナーの最後に、わたし、質問を読んでいただき、色紙をいただいたのです。
ですので、そのとき、きよしさんがくださった色紙が、勝手ながら先渡しの皆勤賞だと思わせていただいてきました。
質問は、
”母の日に、きよしさんのコンサートのチケットをプレゼントしようと思っていますが、きよしさんは何をプレゼントされますか?”
というものでしたが、その質問を書き終えたあとのわずかな時間のなか、
ほとんど無意識に、
”きよしさんのファンとしても15周年。
これまでも、これからも、ずっと大好き。応援しています”
と書かせていただいていました。
質問用紙に書き添えさせていただいたそのメッセージこそが、あの日、きよしさんに何よりお伝えしたかったことだったと、あとになればなるほどはっきりと思うのですが、その無意識ながらも渾身のメッセージを、司会の西寄ひがしさんが、質問のやりとりが終わったところで、あらためて読み上げてくださり、きよしさんは西寄さんと一緒にていねいにお礼をおっしゃってくださったので、わたしはもう思い残すことはないほどに、胸がいっぱいになっていました。

※いただいた色紙です。
メッセージ部分は名刺を置いてシークレットにさせていただきました。
それからカメラの影が少しだけ映り込んでいますね、ごめんなさい。
以下は、今日が5月最後の日ということで、書きたいと思います。
あの日、何が起こっているのか、わけがわからないままに悪意の集合体のようなものに襲い掛かられて、あんなに悲しく、恐ろしい思いをしたことはありませんでした。
わたしは、あの日、”氷川きよし”は殺されそうになったに等しいのだと今でも受け止めています。
物騒なものいいをしてごめんなさい。
でも、そうとしかわたしには思えないのです。
そして、おこがましい言い方かもしれませんが、きよしさんの応援をさせていただいてきましたが、きよしさんがトップスターになったゆえの理不尽で容赦ないバッシングであることを思うと、きよしさんにこんなに恐ろしくて、辛い思いをさせることになるなんて、なぜ? どうして?
と、自分がこれまで応援させていただいてきたことが呪わしく思えてなりませんでした。
これまでたくさんの感動をくださって、いつでも幸せにしてくださってきたきよしさんには、誰よりも幸せでいていただきたいといつでも願ってきたのに...。
なんで?
答えが見つからないままに何度も何度も自問自答していました。
そんなあの日、短い言葉ではありますが、質問に書き添えさせていただいたメッセージを西寄さんがていねいに代読してくださって、きよしさんがお隣で聞いてくださっている様子にわたしは胸がいっぱいになり、もう、思い残すことはないとさえ思ったのです。
でも、帰宅して自室でいただいた色紙をじっと見つめていたら、そこで満足している場合ではないのだという気持ちになってきて、わたしは1日のコンサートの様子を書きだしていました。
いったい何が起こっているのだろう?
という不安は消えるものではありませんでしたが、コンサートの様子を書いてみることで、よりクリアにきよしさんの思いが感じられて、わたしは心が落ち着いたのです。
翌2日、夜の部のコンサートのことも、このブログにご報告を書かせていただきましたが、「かあさん日和」を唄うきよしさんとともに、わたしは声をあげて泣きました。
涙も声も止めることができませんでした。
そして、そのご報告を書いていたら、きよしさんの思いがどんどん押し寄せてきて...。
五反田ゆうぽうとホールでの2日間4公演で、精神的に満身創痍ともいえる状態であれほどのみごとな歌唱と揺るがない感動のステージを届けてくださったきよしさんに感動せずにはいられませんでした。
ただ、その時点で、皆が深く深く傷つきながら必死で葛藤していることを知り、そのことにも打ちのめされそうになりましたが、誰もが心の目を持っていて、真実は自分自身で感じとれるものだという思いがありましたので、とにかく毎日ブログで何か声を発していきたいと決めたのです。
そこで思いついたのが、1日1曲、きよしさんの曲を聴くことでした。
以前、きよしさんが歌のことで苦闘されていらっしゃる様子だったときに考えたアイディアがもとになっていますが、当初は歌の解説や、その歌についてのきよしさんの語録も書かせていただくことを考えていたので、それはわたしには物理的に難しいと見合わせたままだったのです。
そんな経緯がありましたので、今回は無理することなく皆さまと一緒に語り合う場になれたらというシンプルな思いで、くじを作るところだけは大変(?)でしたが、始めさせていただき、おかげさまで今ではとても楽しませていただいています。
わたし自身のネガティブな思いは、きよしさんに対してとても失礼なことだとは思うのですが、きよしさんがどんなお気持ちだったのかと、きよしさんの心情を想像してしまうということでした。
きよしさんがバッシングの内容を知ったときのこと、五反田ゆうぽうとホールでのコンサートにどんなお気持ちで臨まれたのか、前日にもどれほどの葛藤があったのだろうかと、考えだすと、苦しくなって何も手につかず、一文字も書けなくなりそうだったので、その思いにはふたをして考えないようにしてすごしたのです。
ですがこのブログにも書いたように、20日の「NHK歌謡コンサート」以後、その思いが噴出して止めようがなく数日苦しみました。
でも、そこから救ってくださったのも、きよしさんでした。
そのことは”勝手な妄想”として、書かせていただきましたが、22日のなら100年会館でのコンサート・夜の部で、あのような思いをさせていただいたのです。
そして、そのコンサートの終演後、堺のお友だちがエントランスに来てくれていました。
ブログをずっと読んでくださっている方で、堺のヤマブキレコードさんのご縁で何度かお会いしたことがあるのですが、5月1日以降に書いたブログの記事へのお礼を一言伝えたいという思いだけで、終演に間に合うように会場に来てくださったことを、当日話していて知ったのです。
関西の土地勘があまりないのですが、あとになって堺と奈良は近いとはいえない距離と知り、申し訳なさとありがたさでじんときています。
堺の皆さまの思いをわざわざ伝えに来てくださって、ほんとうにありがとうございました。
そのときに、バッシングのショックのあまり寝込んでしまっていた方に、わたしが今月書かせていただいた”ひとりごと”を(その方はブログを直接読めないので)写して送ったら、
”そうだね”と、起き上ることができたということも伝えてくださって...。
わたしは、その日の夜、そして翌朝起きてからも、そのことを思い出しては涙があふれてきて仕方ありませんでした。
わたしのような者が書いたものを、そんなふうに人から人へと伝えてくださって、あるひとりの方のお心にまで届いたことがありがたくてありがたくて...。
これまで書くことを続けてきて、ほんとうによかったと心の底から思えた瞬間でした。
”書く”ということについて、資格や段位があるわけではありませんし、文章教室のようなものは多々ありますが、しょせんは独学するしかなく、上達の近道もありません。
見て、聴いて、感じて...。
自分の見たもの、聴いたもの、感じたものを過不足なく伝えていこうとする、そのことを繰り返し、そのなかで少しずつでも集積されるものがあれば、それがようやく”書く”ことの力になるのではないかと思ってはきましたが、少し前に書かせていただいた”シンプルな言葉”しかり、正解もゴールも未だ見えてはこないものなのです。
でも、それでも書くことをやめずに続けてきてよかった。
今、はっきりと思っています。
このブログについても、今はそう思えます。
皆さま、これまでお読みくださってありがとうございます。
あらためて感謝申し上げます。
そして、まだ仕事が終わらずに続いているため、明日6月1日はブログをお休みしますが(皆勤賞を自分なりに一区切りさせていただきたいと思ってのことです)、また2日からもとのマイペース更新で書いていかれたらと思っています。
皆さま、どうかこれからもよろしくお願い致します。
文末に。
きよしさん、
今またあらためて申し上げます。
これまでも、これからも ずっと大好き。
応援しています。