皆さま、「氷川きよしの昭和の演歌名曲集」、お聴きになっていますか?
きよしさんの歌声を”ながら聴き”などできないわたしなので、今のところは自宅でゆっくり聴くことがかないませんが、もっぱらiPodで聴いています。
昨日までに「氷川きよし節」(文化放送)でも、12曲全曲が紹介されましたが、聴き惚れずにはいられません。
昨年の秋、きよしさんがコンサートで久々に「おんなの宿」を唄ってくださったときの感動をこのブログに書かせていただきましたが、
わたしにとって、その歌唱は、いつか逢いたかった”氷川きよし”。
そして、いつか”聴きたかった氷川きよし”だったのです。
 
今、このアルバムを聴きながらそのときに抱いたわれをわすれるようなめくるめく感動をふたたび味わわせていただいています。
もちろんiPodですと、新旧の聴き比べが簡単にできますので、思い切りさせていただいていますが、「演歌名曲コレクション」に収録されているバージョンの、きよしさんの歌声からは当時のきよしさんの心情まで感じとれるような気がして...。
恵まれた声、磨かれた歌唱はもちろんのこと、その一生懸命さ、ひたむきさもまた才能なのだろうとあらためて思わされるのです。
 
オリコンチャートも好調で、CDアルバム(週間ランキング)総合初登場6位と発表がありましたね。
映画が大ヒット中で社会現象ともいわれている「アナと雪の女王」やB'zの稲葉浩志さんflumpool (フランプール)、マイケル・ジャクソンと肩を並べてのランクイン。
それもアルバムの内容が昭和の演歌の名曲のカバー集であることを思うと、何だか夢でも見ているみたい。
もちろん、レコード会社やきよしさんはもっともっと高い目標を掲げておられるかもしれませんが、世間一般の、それこそ今申し上げた他のランクインしているCDを購入された方たちが見たら、驚かれることでしょう。
その驚きが、どんなものなのかな?という興味に変わって、ファンの裾野がさらに広がっていくのではないかなと想像しています。
いいなあ、と思って聴いていたら、それは”古賀メロディー”だった、そして唄い手は”氷川きよし”だった。
そういう出会いもこれからたくさんたくさんあることでしょう。
 
ここで少々わたくしごとですが、今月は仕事のほうはマイペースで乗り切れそうと思っていたら、先週末にかなり急ぎの仕事を複数いただき(ありがたいことです)、その他の仕事の締切と重なって、だいたい月末は忙しくなることが多いのですが(自分が仕事をためこんでいることもその要因ですけれども・汗!)、正直、それにしても、どうなるの~?という状況です。 
とはいえずっとPCに向かっているわけにもいかず、またその後の原稿を書くためにお芝居や映画を観に出かけ、昨日は下北沢に風間杜夫さんのひとり芝居を観に行き、たくさんの感動をいただいてきました。
 
さて、皆さま、
「咲かせて きよし 歌の花」は、思いがけず皆さまに楽しみにしていただけているようで、とてもうれしいです。
ありがとうございます。
ただ、今日は昨日先送りにさせていただいた曲が謎のままで申し訳ないのですが、「咲かせて きよし 歌の花」を、お休みさせていただいて、先日から書きかけていた記事を前半だけ(長くなりそうなのでごめんなさい)アップしたいと思います。 
 
 
それは、わたしが、きよしさんのことを、まだ”あの人”と呼んでいたときのことです。 
ただひたすらに、きよしさんの歌声を聴いて、聴いて...。
そのまなざし、一挙手一投足を見つめ、見つめて...。
気が付いたら14年が過ぎていました。
 
わたしが”氷川きよし”の存在を知ったのは1999年秋頃だったかと思います。
そのことはこのブログにも何度か書かせていただいてきましたが、わたしが当時お世話になっていた会社の方が、そのかたのお友だちがきよしさんがアルバイトしていたレストランの同僚だったのでデビューを前に作成されたプレス一式をを託されて、オフィスの机の上やデスクマットに飾っていたのでした。
来社して、ちょっとした作業をさせていただくのに、仕事の都合で午前中は不在にしていることが多かったその方の机をお借りする機会が多々あったのですが、わたしは作業をしながら、茶髪にスーツ姿の男性のフォトカードを見て、失礼ながら「この人、ホスト?」と思ってしまいました。
でも、オフィスの机にホストのフォトカードを置くはずないしと気になり出し、あるとき、デスクマットに挟まれている写真(これが「箱根八里の半次郎」のプレスシートだったのですね・笑)を見ていたら、筆書きで、”箱根八里の半次郎”と書かれていて、正直、”なんじゃこれ?”と思ったのです(笑)。
”茶髪”、”スーツ”、”筆書きの意味のわからない文字(ほんとこうして書いてみると失礼で、ごめんなさい!)”
何、何、あの男の人は何なのかしら?
何だかとてもとても気になって(笑)。
でもかといって、”氷川きよし”という名前のインパクトは、その時点でわたしにはそんなになかったのではないかと記憶をたどって思うのです。 
そして、わたしの、”?”が最高潮に達したころ、たまたま机の主と廊下でバッタリ会って、”お久しぶりです”と机を時々お借りしているお礼や近況報告をし合っていたときに、そうだ、あの茶髪の人のこと、聞かなくちゃと思って、
「机の上に置かれているあの茶髪の人は何なんですか?」
と、その方にたずねたのです(笑)。
そこではじめて、その茶髪の人が、これからデビューする演歌歌手であることを知らされたものの、余計に何が何だかわからなくなって、
「あの人のファンなんですか?」と聞いたのですが、
「いやだー、違います」
とのお答え(笑)。
何しろそのかたもきよしさんのプレス一式しか見ていないわけですから、そこはわたしともどもお許しくださいね。
そして、
「わたしの友達があの人と同じ職場で働いていて、やっとデビューできることになったから、何かできることをしてあげたいって思ったそうなんです。
それで口コミもばかにならないから頼むと言われて、あのプレスシートやフォトカード一式を渡されたんです。
でもわたしも宣伝するあてもないので、会社の机に飾っておけば、誰かの目にとまると思って...」
と、そんな答えが返ってきたのでした。
そこで、わたしは、
「あの人、歌、上手なんですか?」
と聞いたのですが、
「わたしも歌はまだ聴いたことがないんです」
との答え。
それで逆に、歌を聴いたことがないのに、応援しようという気持ちにこの人をさせた、”あの人(きよしさんのことです)”って、何者なんだろう?
と思い、そこで、初めて、わたしは”氷川きよし”という名前を認識したのでした。
「歌は聴いたことはないんですけど、人柄のとっても良い方なんですって。だから友達が何か自分もしたいって」
そんな彼女の言葉に、
「まあ、デビューするくらいだから歌は上手なんでしょうね」
とわたしのほうがいい(笑)、ふたりで、”それはそうね”とうなづき合ったかと思います。
 
そのとき、失礼ながら、歌手といえば歌がすべてなのだから、人柄が良いことなんて何のメリットにもならないのではないかしら?
それどころか、そんな人が厳しい競争の世界でやっていかれるのかしら?
 まだ、きよしさんのことを、”あの人”と呼び、その歌声を聴いていなかったその日。
わたしはそんなことを考えたのでした。 
 
年が明けて、”名づけ親はビートたけし”というタイトルの小さな記事が「日刊スポーツ」に載ったのを目にしました。
”あの茶髪の人”、いよいよデビューしたんだ。
そのとき、わたしはまだそんなふうにきよしさんを見つめていました。
そして、間もなくその歌声をラジオで聴き、さらにCDで聴き、一瞬にして魅せられ、とりわけその年の6月にリリースされた「股旅演歌名曲選」に収録されていた「旅笠道中」を聴いたときに、バアーッと、土埃のたつ木立や街道がうかんできて、自分に何が起こったのだろう? という体験をした瞬間、”氷川きよし”が自分にとって特別な歌手(わが魂の歌手)になったのでした。
 
それなのに、これから書こうとしていることはとても失礼かもしれず、申し訳ないのですが、
わたしはその歌声にそこまで魅せられたものの、きよしさんの人柄というか、きよしさん自身にほとんど興味がなかったのです。
ですのでキャンペーンや握手会や公開放送に行って、きよしさんに会ってみたいとも思わなかったですし、きよしさんが出演する歌以外の番組にもほとんど興味がなく録画をしてまでは見ていなかったのです。
なにしろ”良い人”だということに何の価値があるのだろう? 屈折していたり、クセがあるような人のほうが人間的に面白いのでは? と思っているようなわたしでしたから、テレビで見るきよしさんの優しく誠実な様子に、なるほど聞いていたとおりの人なんだなあと思いながらも、だからそれがどう歌と関係があるっていうのかしら? 
わたし、”この人”がたとえ悪魔でも、悪い人でも、その歌声が好きなんだもんと、まだ2002年頃までは思っていたのでした。
 
でも、その歌声に魅せられていけばいくほど、なぜ自分がそんなにまでその歌声に飽くことなく魅せられ続けるのかを考えずにはいられず、
また、きよしさんの歌声を聴きたさに、コンサートや公開放送に足を運ぶようになり、筋書きのないライブでのきよしさんの様子を見るなかで、次第に”氷川きよし”という人に興味を抱くようになったのでした。
 
このことも以前、ブログに書いたことがありましたが、
2002年7月5日。
「夏祭りにっぽんの歌」の中継生放送のときのこと。
きよしさんは渋谷公会堂で昼夜2回のコンサートを開催されたのですが、その日は「夏祭りにっぽんの歌」(テレビ東京)にも出演することになっていました。
「夏祭りにっぽんの歌」の会場は五反田ゆうぽうとホールで、時おり、きよしさんのコンサートの様子が番組内で流れていて、きよしさんは夜の部を終えたら、そのまま会場近くのライブハウスに移動して生中継するということでした。
当日、観覧に当選したのは約80名で場所はSHIBUYA BOXXというライブハウス。
ちなみにこのSHIBUYA BOXXはNHKホールの斜め向かいに今もあります。この時は完成したばかりで翌日7月6日からオープンということでした。ですので、きよしさんはオープンの前日にそのライブハウスの舞台に立ったのです。
案内状には「夏祭りにっぽんの歌 氷川きよしコーナー観覧当選のお知らせ」と書かれ、19:00集合(解散予定22:00)とありました。この案内状に整理番号が書かれていて、その番号順に入場となりました。
会場はオールスタンディングでしたので、立つ位置を決め、スタッフの方の説明がありました。
さて、ここからが大変。生中継ですから、絶対に失敗があってはいけません。恐るべき綿密なリハーサルが始まりました。
きよしさんは近くの渋谷公会堂でコンサート中ですから、スタッフの方が、きよしさんの代わりにまったくの本番通りに「箱根八里の半次郎」を歌います。きよしさんが実際に使用するマイクで照明も本番通りです。そして私たちは配布されたペンライトを左右に振りますが、テレビカメラの画像にきれいに納まるように、広がったり、固まったり、いくつかのバージョンを試すのです。
スタッフの方は声が裏返ってしまって、本当に歌が苦手のようでした。でも本当に真剣で必死でした。
「皆さん、僕の下手な歌をお聞かせすることになって申し訳ありません。ただ生中継の放送の時にトラブルがないように、氷川さんが実際にされるように本番どおり歌いますので、どうかご協力お願いします」
そんな挨拶をされたように記憶しています。
ご本人がおっしゃるように、本当に歌は苦手な様子でしたが、後できよしさんが同じマイクで同じように歌われた時、同じ人間の声といってもこんなにも違うものなんだと思ってしまいました(キーの問題だってあったかと今はわかるようになりましたが、スタッフさんごめんなさい)。

私たちはかれこれ1時間近くリハーサルをし、30分くらい休憩をし、またもとの立ち位置に戻って、きよしさんの登場を待ちました。休憩中はモニターで番組の放送が流れているのを見ました。
21時すぎでしたでしょうか。
「今、氷川さん到着されて、お支度中です」
とスタッフの方が声をかけてくれました。
すると、いつもそうなのですが、疲れは一瞬にして吹き飛び、胸がドキドキしてきます。
カメラさん、音声さんも一斉にスタンバイされました。
そしてその時に曲目などについての最終的な説明がありました。
「氷川さんは今日の放送では『箱根八里の半次郎』を唄います。放送されるのはその1曲ですので、それ以外に唄ってくださるかは氷川さん次第です。
放送される1曲だけになるかもしれませんのでご了承下さい」
そんなふうにおっしゃったと思います。
きよしさんは昼夜2回のコンサートを終えて、そのまま移動されてきたのです。
わたしはその時、スタッフさんがあえてそうおっしゃるのですから、放送される「箱根八里の半次郎」1曲だけになるのだとごく自然に思っていました。
それでもごく間近できよしさんの歌を聴けるのですから大満足だったのです。
もちろんもう1曲のためのカラオケの準備はされていたことがあとでわかるのですが、スタッフの方もきよしさんがどれほど疲労しているのかをわかっていたからこそ、
”放送終了後にもう1曲唄って下さい”とは強く言えなかったのではないかと思いますし、スタッフの皆さんも常にいっぱいいっぱいの状況でお仕事されているでしょうから、放送が無事終了したら1分でも早く撤収したいというお気持ちもあって当然だったかもしれません。

そしてきよしさんが登場しました。
会場にはスモークがたかれ、生中継で会場の司会の方ときよしさんが挨拶をかわし、少しお話しされてから、「箱根八里の半次郎」を唄ってくださったのです。
わたしはすっかり夢見心地ででしたが、もちろん配布されたペンライトは、練習どおりに振らせていただきました(笑)。
唄い終えると、
「ありがとうございましたー」
ときよしさんと司会者の方とのやりとりがあり、生中継は無事終了。
わたしはもう胸がいっぱいでした。
昼夜2回のコンサートを終え、そして、さらに生中継の大仕事(やはりかなり緊張すると思います)を終えたのです。
きよしさん、疲れていないはずはありませんね。
ところが、中継放送が終わると、さらにニコニコと笑顔でわたしたちにお礼をおっしゃり、
「今日お越しくださった皆さんのために歌います」そうおっしゃって、
「きよしのズンドコ節」を唄って下さったのでした。
もし唄わないことにしても、そのことはすでにスタッフさんが前もっておっしゃっていましたし、いくらでもスタッフさんが上手に言い繕うことだってできるのに、何てファン思いの優しい方なのだろう、そして何て誠実な方なのだろう。
「きよしのズンドコ節」を約80名だけのために、にこやかに一生懸命に唄うきよしさんを見ながら、そんなふうに思ったのです。

こんな言い方はよくないかもしれませんが80名ほどの観客でしたし、きよしさんが疲れていて「これ以上唄えません」とおっしゃっても当然の状況だったと思います。
それなのに「きよしのズンドコ節」を熱唱して下さったのです。
わたしは今でもその時のきよしさんの真心を忘れることはできません。
そして「きよしのズンドコ節」を唄い終えると、「今日はありがとうございましたー」と深々とお辞儀をして、きよしさんは舞台袖に戻られたのですが、その後ろ姿はさすがに疲れている様子に見えました。

自分ではその自覚はなかったのですが、わたしの”氷川きよしへの旅”はそこから一気に加速したのかもしれません。


※ここまでが前半です。
後半で、これまで書く機会がなかった2008年10月の「氷川きよし節」の公開収録で、わたしが目にしたこと(その当時はこのブログに書けませんでした)を書かせていただく予定ですが、今月はこのまま「咲かせて きよし 歌の花」を続けさせていただき、仕事の締切を乗り越えます。
6月は4日によこすか芸術劇場で開催されるコンサートに参加させていただく予定ですので、その前には後半をアップしたいと思っています。
もちろん1か月皆勤賞を果たせたら月末には、あるご報告もします。
 
もう、がんばっています~。
それもこれも、きよしさんが唄ってくださっているおかげ。
そうでなければ、とてもとてもこんなにはがんばれません。
 
今、わたし、思いっきり笑顔なんです。
きよしさんの歌声を聴いて、きよしさんのことを思うと、わたし、もうそれだけで幸せなんですもの!