昨日5月7日に「題名のない音楽会」の公開収録に初めて参加しました。
きよしさんがゲスト出演されることをお友だちから教えていただいたとき、日程的に無理とまず思ったのです。
でも収録する会場が東京オペラシティ コンサートホールであると聞いて、これは何としても行きたい! 行かなくては!! と心に決めたのです。
だって、あの素敵なホールできよしさんが歌唱されるなんて。
クラッシック専門のホールですから、今後も、そうそうあるとは思えません。
観覧ハガキの整理番号は600番台後半ながら、幸運にも入場できることになったので、当日はもう何としても仕事をやりくりして(多少の不義理をさせていただいても)、参加することにしたのです。
先に東京オペラシティとコンサートホールのことについて、少し書かせていただいて、後半、収録のことを書きます。
そして最後の最後に、この番組の初代司会者の黛敏郎さんのこと、少し余談で書きますね。
【東京オペラシティとコンサートホールのこと】

このホールの正式名称は、”東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル”といい、東京オペラシティの芸術監督をつとめられた作曲家の武満徹さんの名前を冠しているのですが、天井は変形ピラミッド型で、荘厳な空気が漂う空間。
そんな空間に、きよしさんの歌声はどんなふうに響くのかしら?
想像しただけでうっとりしたのです。

このオペラシティは、きよしさんにとって思い出深い場所。
もちろん「輝く! 日本レコード大賞」の授賞式が、オペラシティ内の新国立劇場で開催され、きよしさんが毎年ノミネートされて出演されているということもありますが、オペラシティのある初台はきよしさんが上京してデビューするまでの3年あまりを過ごされた地ですものね。
水森先生に歌のレッスンをしていただいたあと、よく近くの商店街のお肉屋さんで揚げていただいたコロッケを食べながら、オペラシティのベンチでひとやすみされていたそうです。
「デビュー前の僕はというと、必ずこの広場のベンチでコロッケ片手に、故郷の事を思い出したりしていました。歩き去っていく人たちを人間観察していると、僕も頑張ろうという力が湧いてきたものです」
と、そんなふうに番組のムック本にも書かれていました。

このベンチにきよしさんはよくすわっていらしたそうです。
そして、この画像は、このベンチからホール側を見たところです。

【「題名のない音楽会」の公開収録のこと】
6時からあらかじめ観覧はがきに書かれている整理番号順に並んで、順番に座席指定券と引き換えということでしたが、10分前に到着したところ、かなりの人がエントランスの外に並んでいました。
初参加のため勝手がよくわからなかったのですが、ほぼ整理番号順に前列からうまっていくものと思っていたので、2階席か3階席になるものとオペラグラスも持参していたのです。
いざ、引き換えとなり、Kさんとふたりで会場に入ると、長テーブルがあり、5か所ほどに分かれて座席指定券の引き換えをしていました。
えっ? どうしましょ?
このとき、特に係の方の誘導がないので、どこに並んでもよかったのです。
いざ選択権が自分にあると、それはそれであわててしまいました(笑)。
あらかじめテーブルの上に裏返しにして2枚置かれていた座席指定券を手渡してくださいました。

かなり後半での入場でしたが、驚いたことに1階席になり、オペラグラスも不要となったのです。
収録は2回分おこなうということで、入場時にパンフレットをくださいました。
以下は放送の内容にふれるものになりますのでご了解くださいませ。
1部はのゲストはMay Jさん。
テーマが”音楽さかのぼり探検隊~「アナと雪の女王」のルーツを探せ!”でしたので、「Let it go」を唄ってくださいました。
司会の佐渡裕さんの会話がとても楽しくて、
収録がスタートする前に、佐渡さんが近況をお話しされてから、番組のオープニングの練習をしたのです。
佐渡さんが、「みなさんと一緒に、新しいページを」とおっしゃたら、皆で右手でページをめくる仕草をしながら、声をそろえて、”めくりましょう!”と言うのですが、佐渡さんの説明がわかりやすいこともあって、一度の練習でOKとなりました。
1部、2部とも演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。指揮は岩村力さんです。
1部は8月24日の放送でご覧いただくことにしまして、ここでは2部の収録の様子を書きますね。
1部の収録が終わると20分の休憩となりました。
きよしさんがゲスト出演された第2部は、番組の”50周年企画”の第1週め。
「番組が生まれた1964年の音楽」というテーマで、放送は5月25日(日)とのことでした。
東京オリンピックのファンファーレの演奏のあと、きよしさんが登場されて、「東京五輪音頭」を唄ってくださいました。全身真っ白なタキシードに、左胸には真紅のバラ。
きよしさんが唄ってくださる「東京五輪音頭」、大好きですが、それにしても、フルオーケストラの演奏をバックに聴かせていただけるなんて、”これって、夢じゃないのよね!”と自分に言い聞かながら聞いておりました。
きよしさんが舞台に登場すると、ファンの欲目をさしひいても、そこだけぱあっと明るくなって、それはきよしさんにスポットライトがあたっているからばかりではないなあと、昨夜も思って、きよしさんを見つめていました。
今年になってからHKピュアリバーにバイオリンが加わりましたが、きよしさんの声の魅力のひとつに、どんな楽器や歌声と一緒になっても、自己主張を揺るがすことなく、けれど他の音と心地よく調和し響き合うところがあるでしょうか。
きよしさんに出会って以来、きよしさんの歌声を何よりア・カペラで聴きたいという気持ちが強かったわたしですが、次第に他の楽器や歌手のかたとのコラボレーションによる、きよしさんの歌声の魅力も楽しませていただくようになったのです。
ここでトークのゲストということでジャーナリストの田原総一朗さんが登場されました。
きよしさんは佐渡さんと司会の本間智恵さん、田原さんと一緒にステージ前方に進んで(舞台下手から本間さん、きよしさん、田原さん、佐渡さんの順)お話しされたのですが、きよしさんはすわっておられるコンサートマスターの方が、立っているきよしさんの後ろに隠れてしまうことを気づかわれて、とっさにサッと屈まれたのでした(笑)。
番組がスタートしたときはテレビ東京で放送され、スポンサーはそのときからずっと出光。
田原さんはテレビ東京のディレクターだったそうです。
番組はその後、テレビ朝日系列に変わり今日に至っているそうです。
当時は今よりずっとオーケストラのかたたちのプライドが高く、ポピュラーを演奏するなんてケンカを売っているようなものなので、田原さんは、”実はオーケストラの人たちは怒っているんじゃないか”と思っていたのだそうです(笑)。
田原さんの言葉に指揮者の岩村さんはじめオーケストラの皆さんは大笑いしていらしたのですが、
きよしさんは、とても緊張されていたようで(フルオーケストラの演奏で、この荘厳なホールで唄うのですものね)、
「唄わせていただいて、ありがとうございました」
と、会釈されたのです。
田原さんは、尚もオーケーストラについて、”オーケストラの前に立っちゃいけないような雰囲気がありましたよね”とおっしゃってから、オーケストラの皆さんに
”今日は、皆さん、大丈夫ですか?”
なんてお聞きになったのです(笑)。
田原さんのトークに聞き入っていたきよしさんは、
「それを聞くと、緊張しますね」
とおっしゃっていました。
佐渡さんは、
「いろんなスタイルで歌うことも楽しいですし、発見がすごいですね」
と、おっしゃり、収録された番組について、”CMの入れ方”ひとつにも、音楽をだいじにしていることがわかると感心されていたのです。
「いろんなスタイルで歌うことも楽しいですし、発見がすごいですね」
と、おっしゃり、収録された番組について、”CMの入れ方”ひとつにも、音楽をだいじにしていることがわかると感心されていたのです。
ここで1964年に公開された映画音楽がメドレーで演奏され、きよしさんは、舞台下手側に置かれた椅子に着席されてお聴きになっていました。
演奏が終わると、舞台下手に、1964年にヒットした曲のレコードジャケットがズラリと貼られたボードが登場。さまざまな要素が取り入れられた作品群に、日本の、日本流に独自に変えていく力の素晴らしさについての話題になり、
佐渡さんが、”カツカレーなんてインド人も知らない”とおっしゃると、客席から笑いがこぼれました。
司会のかたが、きよしさんに、そのボードに並んでいる曲の多くをカバーされていることを聞いてくださると、
「ヒット曲が多く生まれた年だったんですね。
(このなかの曲)たくさんカバーさせていただいています。
これからもずっと唄い継がせていただきたいと思っています」
きよしさんはそうおっしゃったのです。
そして、”時代”についての話題が広がっていくと、
「今の時代は何を求めてるんでしょうね」
と、きよしさんはひとことおっしゃったのです。
一瞬、えっ? という空気が漂ったので、そのひとことはアドリブ(思わずこぼれた本音)でしょうか?
答えが、すぐには見つからない問いに思えましたが、後半の田原さんのトークのコーナーでその答えをいただいたように、わたしは(勝手ながら)思ったのです。
続いて、”1964年の歌謡曲メドレー”となりました。
ここできよしさんが、小走りに舞台下手袖の扉の向こうに戻られたので、お召しかえなのかしら?と思ったのですが、それはきよしさんが登場するシーンをあらためて撮影するためでした。
その際にも、オーケストラのかたにしきりに会釈されておりました(笑)。
「恋をするなら」
「涙を抱いた渡り鳥」
「明日があるさ」
の3曲スペシャルメドレー。
「題名のない音楽会」のファンでお越しになっているかたが多数のようでしたので、きよしさんの生の歌声を聴くのは初めてのかたも多かったのではないかと思いますが、「明日があるさ」で、きよしさんが手拍子の仕草をすると、またたく間に手拍子が広がっていくのがわかりました。
オーケストラのかたたちも気持ちよさそうな表情になっていって...。
きよしさんの声って、聴く人をこんなに幸せにしてしまうんだなあと、そこだけなぜか客観的に見つめていたのです。
個人的には、「涙を抱いた渡り鳥」の唄い出しのあの爽快感! 初めて聴いたわけではないのに、ドキーッとしてしまって(嬉!)。
楽しくて、気持ちよくて、このままずっとこの音に身をひたしていたいと思わずにはいられませんでした。
「明日があるさ」を唄い終えると、きよしさんのお顔がほころんだように見えたので、それまでは実はとても緊張されていらしたであろうことに気づいたのですが、きよしさんはどんなお気持ちだったのでしょう?
きよしさんが大きな拍手に送られて退場されると、
佐渡さんが、
「氷川さんのような素晴らしい歌手に出ていただくと、オーケストラも嬉しいし、聴いていて、幸福感があるじゃないですか。
氷川さんもこれだけの編成のオーケストラの演奏で唄う機会はそれほどないと思いますから。
気持ちよく唄っていただけたでしょうか?」
とそんなふうにおっしゃってくださいました。
世界的に活躍されている指揮者の佐渡さんもまた、”氷川きよし”の歌唱に何より”幸福感”を感じ取られたことに感激せずにはいられず、また、以前、ブログにも書かせていただきましたが、その歌声が軽々と国境も言葉の壁も超えるであろうことを感じさせられたのでした。
その後、田原さんが1964年についてお話しされました。
”1964年に日本はどーんと変わって、今までその延長のようで、その後は大きく変わっていない。
今度のオリンピックで変わるでしょうか?”
そのようなことを矢継ぎ早におっしゃったかと思います。
そして、”次のオリンピックのテーマって何でしょう? これから見つけていかないと”
とも。
きよしさんは舞台袖に戻られていたときのことでしたが、きよしさんの発した問いへの答えのように、勝手ながらわたしは感じていたのです。
そして「題名のない音楽会」の司会に黛敏郎さんを起用した斬新さについてあらためてお話しされ、
”ようやく時代が番組に追いついた”
と田原さんがおっしゃると、
”黛さんのような挑戦ができているだろうかと考えます”
と、子供のころからこの番組を見ていたという佐渡さんがしみじみとおっしゃっていました。
黛さんを偲んで、黛さんが作曲された「東京オリンピック」が演奏されました。
演奏が終わると、きよしさんも舞台に登場されて、ていねいに会釈されると、拍手に送られて、下手舞台袖へと戻っていかれたのです。
こうして書こうとしても言葉がうまくう浮かばないほどに、きよしさんの歌唱に惹きこまれて聴いていて...。
理屈もどこかに飛び去っていき、わたしが感じていたのは、ただただ幸福感!
これまでも何度もそんなことを書かせていただいてきたのですが、佐渡さんが、まさにそのことをおっしゃられたことに、あとになって感動してじんときています。
5、6年前のクリスマスディナーショーのときでした。
お手洗いに行って、列に並んでいたときのこと。
わたしの後ろに並んでいらしたかたが、
”きよし君の歌、聴くと、いやなこと、みんな忘れちゃう!”
とわたしに話しかけてこられたのです。
60代くらいのかただったでしょうか?
名前も知らず、お顔ももうはっきりとは覚えていないのに、なぜか折々にそのかたの言葉を思い出すのです。
名前も知らず、お顔ももうはっきりとは覚えていないのに、なぜか折々にそのかたの言葉を思い出すのです。
ほんとうに、”氷川きよし”の歌声は、多くの人たちの心の疲れや苦しみ、傷を癒す力に満ちているのですよね。
きよしさん、いつも素敵な歌声をありがとうございます。
今日もあなたの歌声のおかげで、笑顔になれます。
そして幸せ感じています。
※こちらは、いただいたプログラムの1ページです。

以下は、きよしさんとは関係のない余談ですが、黛敏郎さんの思い出を少々書かせていただきますので、興味のあるかたはよろしければお読みくださいませ。
わたし、出版社にいた新人時代、黛さんにお会いしたことがありました。
ある映画監督の本を作っていて、そのなかの音楽についてのページ作りや評論をお願いした評論家のかたが、黛さんにある作品のことで取材をしたいというので、わたしがアポを取るために電話をしたのです。
合同事務所のようなところが窓口になっていて、電話に出たかたに簡単な用件を伝えると、1時間もしないうちに黛さんが電話をくださったのでした。
「もしもし、黛です。
先ほど、電話をいただきました」
と、ここで、わたしが本について詳しく説明しようとすると、
「○○さんについて聞きたいんだって?」
と、こちらがびっくりするほどに気さくに話を進めてくださいました。
たしか、その翌日か翌々日に1時間ほど時間がとれるので、ご自宅近くのどちらかの国の交流会館のロビーが自由に使えるからとおっしゃって、わたしは評論家の先生について取材にうかがったのです。
そして、急な取材だったことはもちろん、モノクロページで予算もそれほど取れなかったのでカメラマンを頼まず、何とわたしがマイカメラで黛さんのスナップを撮らせていただいたのでした(汗!)。
そこで取り上げる作品がだいぶ以前の作品だったこともあり、黛さんはとても懐かしい思いで、取材を楽しまれているように見えました。取材時に話題に出た本にとても興味をもたれ、評論家のかたに本のタイトルを確認し、その場でメモをとられていました。
20代だったわたしは、テレビで見るイメージからもっと怖そうなかただと思って、かなり緊張して最初の電話をしたのですが、とても気さくで折り目正しく、お会いできたことが嬉しく思えたかたでした。
それ以後、直接お目にかかる機会もなく、黛さんは他界されましたが、あの電話での会話や、取材時のこと、こうして思い出すのです。
今回、きよしさんがゲスト出演されるので、参加させていただいた公開収録でしたが、思いがけず、黛さんに再会させていただいたような気持ちになったのです。
収録を終えて帰る道々、まさにすべてが一期一会なのだなと感じ入ったのでした。