「僕、この風景、焼き付けよう、目に...」
まぶしそうに仙台サンプラザホールの客席を見渡しながら、きよしさんは、そうおっしゃって、じっと、また向きを変えてさらにじっと観客の笑顔を見つめたのです。
夜の部でのこと。
なんて幸せそうなきよしさんだったことでしょう。
昨年11月以来の仙台サンプラザホールでのコンサート。

昨年のコンサート・夜の部のアンコールで「幾千もの祈り」を唄ったあと、
”皆さん、また僕が仙台に来たときは、来てくれますか?”
そうじゃないと、さびしいから...”
と、おっしゃっていた、さびしがり屋のきよしさんのことが思い出されました。
きよしさん、わたしたち、あのときのこと覚えているよ。
今日は約束どおり、来たよ!
客席からあふれるそんな思いを、誰よりもきよしさんが感じ取り、受け止めてくださっているようにわたしには思えたのです。
 
4月18日、桜満開の仙台。
朝、東京を出たときは小雨が降っていましたが、仙台に近づくにつれて雨は弱まり、仙台はときおり薄日の射す花曇りでした。
 
「そんないっぺんに見られると、おしょすい! おしょすい!」
きよしさんは、オープニングの2曲を唄い終えて、股旅姿で登場されると、宮城弁で”恥ずかしい”という意味の”おしょすい”という言葉を連発。
感情をこめて恥ずかしそうにきよしさんがおっしゃったので客席からどっと笑いがこぼれました。
夜の部では、”おばんです”とご挨拶されてからやはり、この言葉をおっしゃって(笑)。
東北弁のきよしさんも素敵! なんて、わたし思っていたのです。
オープニングは「星空の秋子」、続いて「満天の瞳(ほし)」。
チェリーピンクのスパンコールのロングジャケットに、同系色のサテンのベストとパンツをお召しになっていました。きよしさんの熱唱と情熱あふれる振りに場内は一気にヒートアップ。
続いての股旅演歌のコーナーでは、先月の「NHK歌謡コンサート」で着用された、黒地に葦の葉と川が描かれた着流しをお召しになっていました。
「箱根八里の半次郎」、「大井追っかけ音次郎」、「番場の忠太郎」と続く歌唱に、”氷川きよし”の進化の手応えをずしんと感じたところで、新曲「大利根ながれ月」の披露となりました。
この日、きよしさんの「大利根ながれ月」の初生歌唱をお聴きになったというかたも多々おられたようで、その爽快で、心地よさにしびれるような節回しを、わたしもまたその日初めて聴かせていただくような思いにさせていただき、感動ひとしおだったのです。
 
続いて、”昭和の珠玉の名曲コーナー”となり、きよしさんは司会の西寄ひがしさんの口上を受けて、舞台のステップ上段・上手から登場。
エンジ色に黒のラインで流線型の模様が描かれたジャケットとネクタイ、シャツは白。ベストとパンツは黒のサテン。靴は黒のエナメル。左胸には真紅のバラを飾っておられ、一瞬パンツの気になる部分を確認されてから(笑)、なにごともなかったように、鮮やかにステップを降りてこられました。
「誰か故郷を想わざる」を上手、下手でワンコーラスずつ。
「リンゴ村から」を下手側でワンコーラス。
「船方さんよ」を上手側でワンコーラス。
「赤いランプの終列車」をセンターでワンコーラス。
「無法松の一生~度胸千両入り~」をセンターステップ中段でワンコーラス、そしてそのまま上段に上ってフルコーラス唄ってくださいました。
めくるめく”氷川節”に、2000人の観客が心をひとつにして聴き惚れ、酔いしれたのです。
 
わたしはといえば、「船方さんよ」のきよしさんの歌唱に、カバーされた当初のきよしさんの歌唱とその姿、そしてその歌声に胸ときめかせて聴き入っていた自分の感動や感激までもがくっきりと思い出されて、そのすべてが今現在のきよしさんに自然に重なっているようで...。
ああ、あのときがあって、今このときがあるのだなあと、しみじみ思い、じわじわと感動が自分のなかに広がって、熱を帯びているのを感じていました。
そして「無法松の一生~度胸千両入り~」。
20代前半でこの曲を唄っていたときの、きよしさんのこの曲と格闘するかのような力技の歌唱に、この人は歌に対してどうしてこれほどまでにひたむきになれるのだろうかと感動したのですが、15周年を迎えての「無法松の一生~度胸千両入り~」のきよしさんの歌唱の魅力をどう表したらよいのか、言葉がうかばないのです。
高音から低音。こぶし、うなり、ビブラート。押しては引いて、寄せては返して...。
のしかかって迫ってくるような迫力の歌唱に圧倒されて呆けていると、トンッと突き放したような歌唱も織り込まれて、圧倒されながらものめりこむようにして、きよしさんの歌唱に”面白さ”を感じていました。
そのときの状態を言ってみれば、きよしさんの歌唱の前にもう何もかも忘れて、すべてはきよしさんの思いのまま、”もう、きよしさん、どうにでもしてください~”という状態(危ないでしょうか?)になっていたのです。
 
そこで「きよしのドドンパ」のインストロメンタル演奏が入って、演奏が終わると、
”ヨーソロー!”
と、どこからともなく、きよしさんの声が。
「あばよ」のイントロが流れてきて、そこにマドロス姿のきよしさんが登場。
その洗いたてのような清々しい真っ白さに、一瞬にして目を奪われたのです
セーラーカラーの真っ白なかぶりの上着とストンとした裾のパンツは白地で、襟と袖口、パンツのサイドにブルーと赤のラインが入って いて、左胸には15周年のエンブレム、胸の前にはブルーのチーフスカーフが結ばれています。
帽子は白地のベレー帽風、ふちにやはりブルーと赤のライン。足元は白いスニーカーでひもは鮮やかなブルーと赤でした。
 
今現在の、氷川きよしの唄う「あばよ」のなんてダイナミックなことでしょう。
氷川きよし号に乗って海の上をすべっているような爽快感に包まれ、聴き入っていたのです。
心がどんどん晴れやかに、そして軽やかになっていきました。
唄い終えると、きよしさんは、「あばよ!」と一言おっしゃって、サーッと去っていってしまったので、
ええっ? もう終わりなのかしら?
とさびしさを感じたのです。
包容力にあふれながらも、いたずらっこのような愛らしい笑顔が時折こぼれて、なんてなんてチャーミング!
先の記事に思わず“大人・チャーミング”なんて勝手な言葉を作って書いてしまいましたが、包容力あふれる大人の男性の魅力とピーターパンのような愛らしさという相反する2極が、きよしさんのなかでは自然に共存しているのですもの!
もう、わたし、”マドロス・きよし”にはまりそう(と見栄はって書いてみましたが、正直、そう書いた時点ではまっています)。
 
と、その魅力に思い切り動揺していたところ、西寄さんが、
”マドロス・きよし~!”
と、きよしさんを呼び戻してきてくださいました(笑)。
ここでオープニングトークとなり、きよしさんは帽子をぬいで、3階席、2階席、1階席それぞれと熱く熱くエール&視線を交わしたのです。
客席からの声やボードに気づかれて、
「”愛してるわよ?” 」
とその声を反芻されてから、こくんとうなづき、
「僕も愛しています」
きよしさんは客席に向き直ってそうおっしゃったのです。
1階席にかわいらしいお子さんの姿をみつけると、年齢をお聞きになって、”4歳”という返事が返ってくると、
「4歳。若いね~」
なんて、大真面目にきよしさんがおっしゃったので、場内大爆笑となりました。
ここで司会の西寄さんがマドロス姿のままで再び登場されました。
きよしさんが「あばよ」を歌唱されているとき、間奏で舞台の上段に登場されたのですが、白とネイビーブルーのボーダーシャツに黒っぽい無地のジャケットに胸に15周年のエンブレム、ベージュのパンツ、サングラスをかけられて、イタリアのマドロスさんという体で登場し、サングラスをはずしてキメポーズをされ、場内の笑いを誘っていたのです。
 
そんな西寄さんが、
「15周年、新たな船出ということで『あばよ』でした」
というようなことをおっしゃり、きよしさんのマドロス姿の素敵さを言葉にされると、きよしさんは、”西寄さんのマドロス姿も素敵ですよね”、と客席に同意を求められたのです(笑)。
かなりの拍手があったようにわたしには聞こえたのですが、
「まばらな拍手、ありがとうございます」
と西寄さんがおっしゃったものですから、さらに大うけになりました(笑)。
そして「大利根ながれ月」の話題になって、24曲連続オリコン総合チャートにランクインされた演歌史上では初の大記録を皆で喜び合っていると、
「ありがたいですね~。
僕、もう思い残すことありません」
きよしさんはつぶやくようにそうおっしゃってから、まだまだがんばりたいことがたくさんあるのだと言い直されたので、そのつぶやきが、いっそうきよしさんの心の奥底の声にように感じられてじんときてしまいました。
「15周年ということで演歌に立ち戻ろう。節目の年は股旅でと思って。『大利根ながれ月』のジャケットもデビューのときのイメージで作らせていただきましたけど」
そんなきよしさんの言葉に、”変わらないですね~”とおっしゃった西寄さんに、
「いやあ、変わりますよ~。やっぱりねヨボッとしていますよ」
ときよしさんが返すと、なぜに”ヨボッと”なのかを西寄さんが聞いてくださったのです。
「事務所の先輩の水森かおりさんと、1日に『夜桜演歌まつり』でお会いして、その後15日に『歌謡コンサート』で
またお会いしたんですけど、そのときに、”おたがいヨボッとしたね~”って話したんです(笑)。
でも、小じわやたるみが出ることも美しいことだと思うんですよ。
年齢を重ねることは幸せを重ねることですからね。
皆さん、がんばりましょう!」
きよしさんはそうおっしゃってから、”オーッ!”とかけ声をかけてくださり、皆も一緒に”オーッ!”と右手を掲げて声をあげたのでした。
そんな客席を見渡して、
「僕がいるから、と言ったらおこがましいかもしれませんが...。
これからも一生懸命唄っていきますので、僕とともに生きていきませんか?」
きよしさんは、静かに微笑みながらそうおっしゃったのでした。
わたしにはその言葉が夢のようにうれしかったのです。
 
ここで舞台監督のヤマノベさんが登場されました。
おふたりいらっしゃる舞台監督さんはともに宮城出身ということを、この日西寄さんが紹介されて、先のブログでその鮮やか手腕を書かせていただいたのはコンサートツアーの”長”で、ニシカワさんとおっしゃることも知りました。ヤマノベさんは夜の部にご両親を招かれていて、3階席の中央にお越しになっていらしたヤマノベさんのご両親にきよしさんがご挨拶されていました。
 
ここで質問コーナーとなりました。
おひとりめは3階席、山形からお越しの75歳のかたでした。
きよしさんの歌の素晴らしさをおほめになって、さらにそのかたのお友だちが音楽の先生をされているのですが、いつも生徒さんたちに、きよしさんのように”大きく口を開けて唄うように”という指導をされているということをお書きになっていたかと思います。
きよしさんはそのかたのお心をしっかりと受け止められて、
「年齢とともに声も変わっていきます。皆さんもそうでしょう? それが渋味というもので、日本酒のように年月を経て出る味わいだと思います。
僕も生身の人間なので心もあるし、肉体もありますから、年相応の歌唱法を身につけて、長く唄っていきたいと思って、日々生活しています」
聞いているこちらが驚くほどに誠実に心のうちを言葉にしてくださったのです。
 
おふたりめは、きよしさんがデビューしたときの年齢と同じ22歳という仙台在住の学生さんでした。
旅行好きなでの県外にも遠征され、鳴門でも質問を読まれたということで、辞退されたのですが、
「せっかくだから質問だけでも」
と、きよしさんが望まれて、質問続行となりました(嬉!)。
質問は、”今の自分はきよしさんがデビューしたときの年齢ですが、きよしさんは、その頃どんな親孝行をしていましたか? ”というものだったと思います。
きっときよしさんに接するなかで、そのかたが自分なりの”親孝行”について考えるようになっての質問なのでしょう。
きよしさんはその年若いファンのかたに、チケットを購入したり、県外のコンサートにいらしてくださることに、お金を使っていただいて申し訳ないし、無理していただいているのではと心配されていることを言葉にされたのです。
”僕のためにお小遣いをつかっていただいて心が痛みます”
というようなニュアンスのこおをおっしゃったきよしさんに、
”洋服とかにあまり興味がないので、お小遣いを”氷川きよし”に使うことにしていて、ちゃんとお金も貯めています”
と、そのかたが冷静にお答えくださったので場内大爆笑。
きよしさんも安心されたようでした。
そして、22歳のときのご自身の親孝行について、
「デビューしてテレビに出ていましたので、それが親孝行だと思っていました。
僕が好きな歌を唄っていられることを親も喜んでくれていますし。
僕、皆さんに応援していただいて、(大好きな)歌が唄えて、おいしいごはんが食べられていることに、感謝しています」
きよしさんはそうおっしゃったのです。
 
その学生さんが色紙を辞退されたので、もうひとり質問を読まれることに。
そのかたは都内在住のかた(77歳と質問用紙に書かれていたそうです)ですが、”山奥”から、ご親戚ふたり(質問者の叔母さんということでした)をコンサートにお連れになり、3人で参加されたということでした。
ふだんでもタヌキが出るような”山奥”(たしか東鳴子とおしゃっていたかと思います)に住んでいることを言いかけて、”タヌキ”のところで、西寄さんと目が合われたようで、
”西ちゃん、ごめんなさい”
とそのかたがおっしゃったので、場内大爆笑。
当の西寄さんは”なんでそうなるの~”という様子で苦笑されていましたが、その質問が、”野生動物に出会ったことはありますか?”というものだったので、さらに、きよしさんはじめ皆の視線が西寄さんに集まり、くすくすと笑い声がこぼれたのです(笑)。
「この笑いはなんですかっ!」
と大きな声で西寄さんがおっしゃったのですが、
きよしさんは、しばし熟考されて、
「会ったことあるかなあ...。へび?」
たしかそう言いかけてから、
「ないですかね~。
僕は自分を野生動物にたとえるなら、サルですかね? 
いやニワトリ? 3歩歩いたら忘れるから(笑)」
と、愉快そうにおっしゃったのです。
そんなきよしさんの楽しそうな様子に、”山奥”からお越しになられたおひとりが、
「わたしたちもがんばるから、きよしくんも(まだまだ)がんばって!
昨年はクマが出ました。
でも平気です。まあクマみたいな二人ですから」
と、どう見てもかわいらしいそのかたの言葉に、またも場内がわっとわいたのでした。
きよしさんも、”クマみたいだなんてとんでもない”という様子で、そのかたに会釈されていました。
”山奥”といってもおふたりがお住まいになっているのは車で行かれる地ですけれども、こんなやりとりを聞いていて、美空ひばりさんのブラジル公演に、アマゾン在住のかたが何日もかけていらしたというエピソードが思い出されて、ひとり、ますますうれしくなって、ふふふっと笑いがこぼれたわたしでした。
「帽子をお預かりしましょう」
西寄さんがそうおっしゃって、きよしさんが手に持ったままでいた帽子を受け取って舞台袖に戻られると、きよしさんは、
「七つ星」、そして、
「ふるさとの風」を唄ってくださったのです。
 
袴姿で「白雲の城」、「玄海船歌」、「浪曲一代」と歌唱が続きました。
きよしさんご自身が先日の「氷川きよし節」(文化放送)でも、今の自分の唄う「玄海船歌」が”好き”だとおっしゃっていましたが、ほんとうに、聴くたび、きよしさんの歌唱に、わたし、ぼうっとしてしまうのです。
そして「浪曲一代」の歌唱に、心の底から、”うーん”とうなったわたしでした。
”氷川きよし”の歌声が、どれほど言葉を尽くしても書き表すことなどできない豊かで鮮やかな色彩と輝きにあふれていることをしみじみと感じるのです。
それは”氷川きよし”が全身全霊をかけて、”氷川きよし”にしか表現できない世界ということなのでしょうね。
 
ラスト「一剣」を残すのみとなったところで、ラストトークとなりました。
「今まで、皆さんもいろんなことがあって、今日まで渡り歩かれていらしたと思います。
僕は、皆さんが日々笑顔で健康でいてくださることを、毎日祈っています。願っています。
震災後、石巻へお邪魔させていただきました。
事務所にも内緒でこっそり行かせていただきました。
そこでほんとうに考えさせられました。
そして自分の存在がちっぽけに思えました。
でもたとえ微力でも、歌で勇気とか希望?
そう。
希望をもって明るく前向きな気持ちになっていただけるような歌手に成長していきたいと思わせていただきました」
きよしさんは、さらに、
「明日もあさっても、その先も、皆さんが笑顔で健康でありますように!」
とおっしゃって、「一剣」を声高らかに唄ってくださったのです。
 
ここでエンディングとなり、アンコールを待ちました。
”きよしコール”が響くなか、全身を包み込むような真っ白なロングコートをお召しになって登場されたきよしさん。
「櫻」を歌唱されるものと思っていたら、流れてきたのは「陽春」のイントロでした。
きよしさんの優しくあたたかな歌声の底流に沸騰しそうなほどの情熱が渦巻いているように感じて、わたしの心も熱を増していったのです。
さまざまな光景が思い出されてきたのですが、とりわけきよしさんのコンサートで長崎に行ったあと、五島列島の福江島を旅したときのこと。
鬼岳にある天文台で、夜の星を見せていただいたその光景がありありとうかんできたのです。
きよしさんが「陽春」をすでにリリースされていたときのことでしたので、広大な星空を眺めていて、うかんできたのはきよしさんの「陽春」でした。
”ともに生きていきませんか?”
という、きよしさんがこのコンサートのオープニングでおっしゃった言葉が思い出されて、感動で胸がいっぱいになっていました。
「きよしのソーラン節」(ワンコーラス)、ふたたび「大利根ながれ月」と続いて、「きよしのズンドコ節」で、名残惜しくもフィナーレに。
センター上段に上って、大きな白い羽を広げられたきよしさんは、しきりにお礼をおっしゃって、
”明日もお元気で~”と手を振って、振って、何度も振って。
いよいよ幕が下りるお別れのそのときに、
”またね!”
と、きよしさんは一言おっしゃったのでした。
 
※皆さま、更新にお時間いただいてごめんなさい。
昼の部まで書かせていただきました。
夜の部は明日、アップできると思います。
なんだか自分でも書きながら、いろいろなことが思い出されて感動でぼうっとしてしまします。
 
仕事もちゃんとがんばっています!
皆さま、ここで、時代劇風に、
”怒涛の(?)夜の部コンサートの報告を待て!”
でございます(なんて悪ノリして、ごめんなさい)。
それではしばしの間、ごきげんよう、さようなら。