オープニングから「星空の秋子」、「満天の瞳(ほし)」とエネルギッシュな歌唱!
”股旅演歌コーナー”のコーナーになると、縞の合羽に三度笠をかぶった股旅姿のきよしさん、登場するやいなや、客席前方に乗り出すように猛ダッシュ。
客席がおおっ!とどよめいたのです。
きよしさんはそんな客席の反応を受け止めながらさらに勢いよく下手に移動し、
「ようこそお越しくださった。おひかえなすって!」
とおっしゃってから、「箱根八里の半次郎」を唄ってくださったのでした。
最近のきよしさんは、歌唱だけでなく、ステージのステップを降りたりステージ上を移動される際に、部分タタタッと小走りされたり、逆にちょっと立ち止まったり、こちらの想定外の動作をされるので、ますますドキドキさせられています。
皆さま、こんばんは。深夜の更新です。
大宮ソニックシティ 大ホールでのコンサート・夜の部に参加しました。
2000人を収容する大ホールということもあって、オープニングトークでは、2階席、1階席後方、1階席前方と客席とのやりとりをそれぞれじっくりとしてくださり、”イェイ!”、”ヨッ!”、”ハッ!”といったかけ声も、きよしさんがのけ反るほど大きな反応が返ってきたのです。
1階席後方とのやりとりでは、上手側で、客席に向かって思わず投げキッスをし、ご自身で、
「投げキッス!」
と律儀に(?)おっしゃったのでした。
きよしさんの投げキッスですもの。
たとえ2000分の1とわかっていても、わたし、心とろけて、舞い上がってしまったのです。
ここで司会の西寄ひがしさんも登場されて、きよしさんとあらためて挨拶を交わされてから、放送予定のテレビ番組のインフォメーションをしてくださいました。
15日は「NHK歌謡コンサート」にご出演。番組HPによりますと、「大利根ながれ月」を唄ってくださるそうですね。
そして19日は同じくNHKの「伝えてピカッチ」にご出演。
1日に開催された「長良グループ 夜桜演歌まつり」にそちらの番組からきよしさんと水森かおりさんへのお花が贈られていたので、出演があるのかしら? と期待していたのでうれしいですが、番組HPによりますと、
ピカッとひらめく「ひらめき力」と「伝える力」を男女で競い合うゲーム・バラエティー。
カタカナ禁止の連想ゲームや、粘土・ちぎり絵で男女が激突!
19日は”歌手SP”。副題に” デザイン科出身・氷川きよしの実力は?”なんて書かれていますが(笑)。
きよしさんいわく、
「新番組なんですよね。『伝えてピカッチ』、ご存じのかた、いらっしゃいます? 計算とか知識を競う番組ではないんですよ。僕、数学とか計算は、はっきり言って迷惑です(笑)」
きよしさんは、ここで”迷惑”を連発されていましたが、そんなきよしさんが、わたしは大好きなんだけどなって思っていたのです。
続いて27日にテレビ朝日系で放送される「ぶら~りふれあい珍道中 島旅ニッポン(仮)」の紹介を西寄さんがされると、きよしさんは収録のことをお話ししてくださいました。
きよしさんが訪れたのは長崎県小値賀島(おぢかじま)。佐世保港からフェリーで3時間の人口2千人の島に、事務所の山川豊先輩とご一緒に3泊されたそうです。
「小値賀島と言いまして、おぢかじま。ぢは、切れ痔のぢ...」
と、きよしさんが言いかけると、西寄さんから”待った”がかかったのですが、
「いぼ痔とか? ええ? じゃあ、なんて言えばいいんですか?」
と、ちゃんと考えてのことなのに~と、ちょっぴりオカンムリ気味のきよしさんに、
しばし考えてみた西寄さん、
たしかに、”じ”ではなく”ぢ”と書くことを説明できる例が浮かびませんね、と謝罪(大げさ?)されたのでした(笑)。
たしかに、”じ”ではなく”ぢ”と書くことを説明できる例が浮かびませんね、と謝罪(大げさ?)されたのでした(笑)。
「島民は2000人で、かつては1万人いたそうですが、若い人がどんどん島を離れてしまって過疎化が進んでいるんですね。
佐世保から船で3時間かかります。
佐世保から船で3時間かかります。
島には病院がないので、1か月に1回、医師(せんせい)が診療に来てくれるんです。
お世話になったのは○○さん(きよしさんの本名と同じです)というお宅だったのですが、心が優しくて、それが嬉しかったんです。
ええとホームシアター? えっ?」
きよしさんは”ホームステイ”とおっしゃりたかったということがすぐにわかったのですが(笑)、
アメリカの民間教育団体ピープルトゥピープルが高校生、中学生向けにおこなっている教育プログラム”student ambassador (学生大使)”に参加した生徒たちにアンケートをとった結果、最も満足度が高かったプログラムとして”小値賀・平戸のプログラム”が世界で1位に選ばれたということでした。
”ホームシアターとホームステイでは全然違うんじゃありませんかねえ~”という様子の西寄さんを横目に、
「そんでもってさー」
と、きよしさんはおっしゃって話を続けたのです(笑)。
「郷土料理をいただいて、○○さん夫妻も九州の言葉で話すので、僕も九州弁いっぱいしゃべったんです。だから、”肩の凝らん”というか。
”きよしちゃん、これ食べなさい”って言ってくれて。
厚揚げをすり鉢ですって野菜を入れたものとか(白和えのようです)、いろいろなお料理をいただきました。
布団干したり、お掃除したりさせていただいて...。
情があって、じーんとしました。
3泊しましたけど、帰りたくなかったです」
3泊しましたけど、帰りたくなかったです」
きよしさんは、お仕事ではあるものの、それ以上にお仕事を超えての人とのつながりを体感して、また島のかたたちの優しさ、温かさにふれ、ほんとうに感動されたのだということを一生懸命お話ししてくださったのです。
「島を離れるときに、港に島の人たちがたくさん見送りに来てくださったんですよ。
出発するときに船からテープを投げたら、涙がバーッと出てきました」
きよしさんはお話ししながら、そのときのことを思い出され、ちょっと泣きそうになってしまったのでしょうか?
「んでもってさ!」
と、ご自身で明るく仕切って、
「佐世保に着いたら、すぐに○○さんに(お礼の)電話したんです。名刺をいただいていたので。
”いつでも、来んねー”と言ってくださって。
僕の”素”が出ていると思います」
そんなふうにおっしゃって、”番組をぜひ見てくださいね”と結ばれたのでした。
余談ですが、きよしさんのお話を聞いていたら、わたしは、わたし自身が体験した、堺の街を訪れて、いよいよ離れるときの何とも言えないさびしさを思い出したのでした。
ここで、”ふれあいコーナー”となりました。
この日、色紙は、舞台の上で書くことになりました。
舞台監督さんが、ステッカーと15周年のスタンプが押された色紙を2枚、ステージにお持ちになると、きよしさんは、さらさらとその場で色紙をお書きになられたのです。
やっぱり、文字を書くきよしさんの姿も素敵と見入ったわたしでした。
まずは2階席から。
10月に開催される”デビュー15周年記念 氷川きよし衣裳展”(10月9日~13日、都内にて開催)の開催に寄せて、、“もう一度見たい!あの衣裳”と、衣裳展のタイトルを募集していますが、
”1点をとても選べません。きよしさんはどの衣裳が思い出深いですか?”
というようなものでした。
そのかたは、きよしさんとのお話のなかで、8周年の横浜アリーナでの山車に乗って場内を1周するシーンでの衣裳を挙げられていました。
あの石川五右衛門をイメージした衣裳で、「夢勝負」を唄っておられたことを西寄さんが補足してくださると、
きよしさんは、突然、ア・カペラで「夢勝負」らしき歌(なんて失礼!)を唄ってくださったのでした。
初日のときに、その麗しの衣裳のきよしさん、着物に帯がくるりと巻かれていたので、
山車での歌唱を終えたあとのトークで、
”お代官様、やめてけろ!”なんて、時代劇での”あられもない”セリフをおっしゃっていたのです(笑)。
”お代官様、やめてけろ!”なんて、時代劇での”あられもない”セリフをおっしゃっていたのです(笑)。
わたしとKさんは顔を見合わせて大笑いし、そして、”あんなこと言っちゃって、きっとマネージャーさんに怒られちゃうね”なんて話したことが思い出されます。
きよしさんは、「夢勝負」、”ええと~”という感じで、数フレーズ唄われて、あれ何か違う?と思われたようで(笑)、
「あれ、なんか忘れちゃった(汗!)。すみません。
自分で言うのもなんですけど、画期的なことをしてきましたからね。
やっぱり………」
としばし熟考されたきよしさんでしたが、きよしさんの思い出の衣裳は、
「中野サンプラザで初めてコンサート「チャレンジステージ」の白い衣裳に花を着けて。
マネージャーさんが女性なので、そういうデザインを考えてくれました。
(あのころは)氷川きよしらしさを探していました。
デビューの時も、ちょっと細身のスーツを着るようにしていました。
あとは、えー、えーと、うーん...」
とお困りの様子のきよしさんに、西寄さんが、客席に、”皆さまはいかがですか?”
と、問いかけてくださいました。
5周年記念コンサートで「青龍」を唄ったときの赤い衣裳や「きよしこの夜」で「玄武」を唄ったときの衣装など、さまざまな声があがっていました。
さて、その白い衣裳にお花を着けたというのはこちらですね。

たしか2009年のデビュー記念日に、特別に当時を振り返って着用してくださいましたね。
ちょっとそのときに自分で書いていたブログの記事を見てみました。
きよしさんはグレーのゴブラン織り風のフロックコートに着替えて登場し、デビューの思い出を話され、司会の西寄さんが
「2000年の2月2日は何をしていたのですか?」
ときよしさんに質問すると、
「家にいました」とのこと。
デビュー前からキャンペーンをしていましたが、CDの発売日当日はまだお仕事の予定が入っていなかったので、何軒かのCDショップに行き、ご自分のCDが置いてあるかを見てまわり、あとは家で過ごされたそうです。
2001年7月5日に中野サンプラザで開催された、きよしさん初のコンサート”チャレンジステージ”のオープニングで着用された、何輪ものバラの花が飾られた白いジップアップ式の上着にを持ってこられて、舞台上で上着を脱いで、その衣裳に着替えられました。
きよしさんは最初は少し気恥ずかしそうな様子でしたが、
8年を経てふたたびその衣裳をお召しになってスポットライトを浴び、目の前には変わらないファンの姿。
その瞬間、きよしさんにの胸には様々な思いが過ったことと思います。
「そろそろ時間を2009年に戻しましょうか?」と、西寄さんがおっしゃるまで、きよしさんは、ご自分からその上着を脱ごうとはしませんでした。※これは2009年2月2日&3日のみのスペシャル演出でした。
質問者のかたに、たくさんのお友達がいることを知ったきよしさん、
「話すことって大事ですよね。
そこから始まるというか。
人と人って1秒でも合わなかったら、出会えなかったでしょう?
だからそんな縁でつながっているきよ友さんを見ると、すごく嬉しいなあー」
しみじみとそうおっしゃったのでした。
2つめの質問は1階席から。
15周年記念にファンクラブ限定で作られたオリジナルDVD-BOXについて(4月30日まで申込受付中)、撮影した沖縄でどこの景色が素晴らしかったでしょうかというような質問でした。
きよしさんはここで西寄さんと共にしゃがまれました。
「実は、昨年6月に1か月座長公演をさせていただきまして、皆さま、その節はありがとうございました。
それで千秋楽の翌日か、その次の日くらいにすぐ沖縄に行ったんです。
沖縄に3泊しまして。写真集も映像も撮りました。
初めてのコンサートツアーのスタートが沖縄だったんですよね。
僕、イルカに初めて乗ったんです。
イルカのヒレにつかまって。でも僕に対して慣れてないから、言うことをきかないんですね(笑)。
イルカってほんとうに頭がいいんですよ~」
途中、”イルカに乗った”ことを強調され、ご自身のことを一瞬、”イルカに乗った少年”とおっしゃってから、城みちるさんのお名前と、城さんが事務所にかつていらした先輩であることなどまで言葉にされたのでした。
もう、その勢いで、「イルカに乗った少年」、唄っていただきたかった、わたしでした(勝手な願望ですみません)。
西寄さんが、
「その映像は(DVD)にありますか?」
と聞いてくださると、
「あるます!」
と断言してくださいました(笑)。
”あるます”って言葉、いいですね。
ここからお話は迷走?
きよしさんは、ほかに印象に残った場所を考えておられたのですが、突然、
「あの、牛のいるところにいったじゃないですか、ええと、ギュウスイ」
きよしさんはなぜわからないのかな? という様子で、”ギュウスイ”を連呼されたのですが、こちらも、それは何かの食べ物のことかしら?と、”???”状態(笑)。
そこは西寄さんがすぐに気づかれて、
「えっ? 水牛でしょう」
とフォローしてくださったのです(笑)。
きよしさんは、”そうだよ水牛って言おうとしていたんだもーん”という感じで笑っておられたのですが、
「あと、何したんだっけ...」
と、また考え始めたのです。
そして上手前列のかたと、ごく自然に会話をされているきよしさんを横目に、西寄さんが、
「ものすごく自然体。ありのままが映ってます。
ある意味、今日もありのままですけど」
とまとめてくださったのでした。
きよしさんは、
「僕なんかの写真集なんて申し訳ないなあと思って...。
それにできれば無料で差し上げたいところなんですけど、社会のルールもあるものですから」
また、きよしさんたら、そんなこと気にして。
皆、楽しみにしているんですから、ねっ。
わたし、つい最近、ラジオから流れてきた BEGINの「島人ぬ宝」がちょっとマイブームで、沖縄に心惹かれているところでした。
きよしさんに「島人ぬ宝」もいつか唄っていただけないかしら?
でも、きっとそうしたら大泣きしてしまいます。
そういえば昼の部に参加したお友だちのOさんからお聞きしたのですが、昼の部で気持ちよく眠られていたかたがいらして、きよしさんはそのかたに気づかれて、起こさないように、小声で子守唄を唄われたのだそうです。
きよしさんに子守唄を唄っていただくのは、わたしの永遠の夢のひとつなので、聴いてみたかったなあという思いと、そのかたを羨ましく思ったのですが、そのかたはお隣の娘さんが起こそうとしてもなかなかお目覚めにならなかったそうなので、きよしさんの子守唄は夢のなかでお聴きになられたでしょうか?
大いに盛り上がった”ふれあいコーナー”はここで終了。
きよしさんは西寄さんと共に立ち上がると、まるでお年寄りにするかのように、西寄さんの手をとってステージセンターまで進まれたのでした(笑)。
きよしさんは、ご自身の思いをご自身でナレーションされて「ふるさとの風」、「七つ星」を唄ってくださり、暗転したのでした。
この日の「七つ星」を聴いていたら、他界した自分にとって大切なかたたちのことが思い出されたのです。そのかたたちの人生がきよしさんの歌声の力でドラマのように、その情景はうかんできて、わたしは深い感動に包まれ、ふうと吐く息のように悲しみが癒されたのでした。
「月が笑ってる」、「カラスの口紅」、「かあさん日和」と胸熱くなる熱唱が続きました。
舞台が暗転すると、西寄さんが”氷川きよしヒストリー”を語られますが、
”向かうは10月7日8日の日本武道館での大舞台”という後半でおっしゃった一言が心に響いたのです。
「白雲の城」、「玄海船歌」、「番場の忠太郎」、「浪曲一代」と唄ってくださってからラストトーク。
この日の「浪曲一代」の歌唱は、なんて魅惑的だったことでしょう。
きよしさんに、”こんな唄い方もできるんだけど、どうかな?”なんて言われているような気持ちにさせられたのでした。
前後しますが、「番場の忠太郎」のセリフ回しも、主人公の心がその瞬間、弾けそうなほど感じられて、ドキッとさせられたのです。
ラストトークで、きよしさんはあらためて来場のお礼をおっしゃると、そのままマイクを通していないのでお声は聞こえませんが、”ありがとうございます”とおっしゃりながら、後ろに数歩さがってから深々と一礼されたのでした。
そして、ふれあいコーナーで感じておられることを言葉にされて、とりわけ相模女子大学グリーンホールでの”ふれあいコーナー”で質問が読まれた高校生の女の子のことが印象深いということでした。
そのかたはおばあちゃんに連れられて初めてきよしさんのコンサートを体験して、すっかりきよしさんにはまってしまったけれども、その日は、一緒に来るはずだったおばあちゃんが体調を崩して来ることができなくなって、ひとりで参加されていたのです。
おばあちゃんが歩けなくなってしまった悲しさと、でも質問が読まれたので、そのことを家に帰っておばあちゃんに話してあげられると思ったら、うれしくて涙が出てきたと言って、泣いておられたのでした。
「15周年と一言で言っても、どなたもいろいろなことがあったかと思います。
”ふれあいコーナー”で皆さんのお話をお聞きして、皆さんの人生のひとコマに氷川きよしが関わらせていただいていることを知って、(あらためて)責任を感じていますし、氷川きよしとして一生懸命唄っていかなければならないという使命感も抱いています。
皆さん、これからもどうか僕を見守っていてください。
そして、氷川きよしを、かわいがってやってください」
”き! よ! しっ!”
”き! よ! しっ!”
ひとりひとりが発する小さな小さな声が、次第にまとまって、大きな大きな”きよしコール”になっていきました。
きよしさんは、”ありがとうございます”というようにうなずかれてから、
”皆さんコール”を重ねてくださって、”さよおなら”で締めくくってくださったのです。
そして、この次の曲が最後の曲になることを、きよしさんがおっしゃると、”えっー”という”不服の声”の大合唱。
「えっ、早い? じゃあ、あと40曲ぐらい唄いましょうか?」
そんなきよしさんの言葉に大きな大きな拍手が起こると、、きよしさんは目を丸くされてから、40曲歌唱がかなわないことに申し訳なさそうに微笑まれたのでした。
そして「一剣」を唄ってくださいました。
アンコールで「櫻」、「きよしのソーラン節」、ふたたび「大利根ながれ月」を唄ってくださり、いよいよ「きよしのズンドコ節」でフィナーレとなりました。
「大利根ながれ月」の胸のすくような歌唱に聴き入り、ラストのくっと盃を傾けてお酒を飲み、徳利を背負(しょ)う仕草に平手造酒をいっそう身近に感じたのです。
そして、ステップを細かく踏んでスピーディーでエネルギッシュな「きよしのズンドコ節」にこの日も圧倒されるような思いになっていました。
きよしさんはステージのステップの最上段で、大きな翼を羽ばたかせながら、客席を見渡して、いよいよ幕が降りるそのときに、
「また逢いましょうね!」
とおっしゃったのです。
きよしさん、今日も新たな感動をありがとうございました。
※以上、駆け足での更新で失礼します。
日中、あらためて読み直しをしますので、変換ミスなど、お見苦しい点、どうかお許しくださいませ。